第16話 因果oh報
今は開業主の息子が病院を引き継いで運営している。
病院長、もとい息子のほうとは長い付き合いである佑真は、病院に到着するとためらうことなくその息子に診察してもらうよう掛け合い、院長のいる診察室に通された。
「まさか、こんな時間に佑真が来るとは、珍しいこともあるもんだね」
診察室に通されてすぐに椿姫の腫れた頬の処置を始める医者、
「悪かったな、藪上さん。順番もあるだろうにすぐ診察してもらって」
「いいんだ。なにせ佑真からの指名だからな。それに、今日は患者が少ない。もしかりに増えたとしてもほかの医師が担当してくれるから問題ない」
達哉は七葉総合病院に務める男性医師。若くして父親の病院を任されてかれこれ数年。複数の専門を持ち、類まれなる知識と才能で医療に貢献してきた優秀な医師である。
細身で高身長。色素がやや薄めの黒い髪。とくに特徴といったものはない三十路のおっさんだが、普段から清潔感を意識し、穏やかな性格で物腰も低く、人当りの良いことで患者からは好かれ、ほかの医師からも信頼されている人格者である。
「それにしても、佑真君が診察してほしいって子が、まさか榛名さんだったなんてね」
「なんだ。知り合いなのか」
「よく病院に来るからね」
まさか椿姫が達哉と知り合いなのは意外だった。
「ほーん……親しくなるくらい病院に通ってんのか」
「う、うん。よく藪上先生にはお世話になってるって、感じかな」
少し歯切れの悪い椿姫は気まずそうに目を逸らす。気にする場面ではないのだろうが、佑真は少しその反応が気になったが、今は達哉との会話を続けることにする。
「結構長いつき合いなのか?」
「そうでもないさ。榛名さんが……中学の頃だったかな? 大体そのくらいだったな」
「数年前か。椿姫はわりと
「中学の頃は結構大変だったんだぜ? 医者として患者の詳しいことは話せないけど榛名さんは頑張ったもんだよ。ああ、今も頑張ってるか。今もたまに、薬を貰いに来てるよ」
達哉の言葉に椿姫は空笑いを浮かべる。
「そうか。身体弱かったんだな」
「今はそれほどでもないさ。まあ、用心に越したことはないけど」
ひょんなことからとはいえ、椿姫のことを知れた貴重な話だった。椿姫のことを一つとも知らない佑真にとって非常に嬉しい情報だった。
「先生! わたしそこまでひ弱じゃありません!」
「あはは、そうだったな」
ご機嫌が斜めの椿姫に、達哉は小さく笑い飛ばし、処置を終える。
「はい、処置完了っと。口の端は大したことなかったから消毒だけで。腫れが引かないようだったらまた来てくださいね。一様、痛み止めと塗り薬出しとくから」
「ありがとうございます」
治療が終わったことで一段落がつき、佑真はほっと息をつく。
「ありがとな、藪上。今日はマジで助かった」
「良いってことよ。俺とおまえの仲だろ?」
「ちょっと臭いっスね。その台詞」
「いいだろう、べつに。こういうものは言ってみたいさ」
「ちげぇね」
否定するわけでもなく軽い茶番で終わらす。
「それじゃ、帰るか」
佑真はそう言うと、おろしていたカバンを再び肩にかけ、ついでに隣に置いてあった椿姫のカバンも持って本人に渡す。
「忘れ物はないよな?」
「うん。カバンだけだから」
「了解。んしゃ、藪上。世話になったな」
「先生、ありがとうございました」
確認を終えた佑真たちは、達哉に軽く挨拶すると診察室を出ようとする。
「おう。あ、ちょっと待ってくれ」
なにかを思い出した達哉は慌てて、帰ろうとする二人を呼び止め、机の一番下の棚から白く平たくも中身の厚みで膨れた薬袋を椿姫に渡した。
「はい、いつものね。今回は多めに入れておいたから」
「あ、ありがとうございます。いつも助かります」
「なーに。これくらい」
椿姫はお礼を言うと、カバンに薬袋を入れる。
「そんなに薬がいるほど、どこか悪いのか?」
べつに興味があるわけではなかった。薬を処方してもらっている、と佑真は完結させるつもりだった。この七葉総合病院で処方される薬は外の薬局で別途料金を支払って貰う。だが、急な来訪でこうも簡単に処方されるという不自然な流れに疑問を持ってしまう。
椿姫はどう見ても健康優良児。薬を飲むような場面に出くわしたことがない。
「あ、あぁ、えっと……。これはだな」
歯切れの悪い二人の反応を見るに、裏があることは確実だ。
「……、まあ、なにか事情があってのことだろうけど、こうも気になる状況を見てしまっては無視もできん。理由ぐらい聞かせてはくれないか?」
「……、まあ、なにか事情があってのことだろうけど、こうも気になる状況を見てしまっては無視もできん。患者のプライバシーを守る義務があるのは重々承知だが、理由ぐらい聞かせてはくれないか? ここで渡す理由をさ」
「そ、それは……」
瞬間、診察室のスライド式の扉が勢いよく開いた。
ばっと叩きつけるような音は、診察室に漂い始めた不穏な空気をかき消す。
偶然にも診察室に現れたのは満身創痍の透だった。その身になにが起こったのか、言わずとも教師にお灸を据えられたのが見て取れた
「随分と、派手にやられたもんだな」
「………………。すまん、もう一人追加で頼めるか?」
「あ、ああ……それはべつに構わないが」
呆然としていた達哉は我に返り、透の治療を始めるのだった。
――――
誰もが寝静まったであろう深夜の桜葉学園。人気がなくなり、静寂だけが学園を包む世界に一人の男が誰の許可も得ず不法侵入をしていた。
「……クソがッ! クソがァッ!」
月明かりが射し込む窓際に姿を現したのは手塚壮一だった。
佑真から逃げ帰った後、なぜか兄に制裁された。
なんでも佑真から壮一の情報が届いていたらしく、それを知った壮一は弄ばれていることに怒り狂い、兄の制裁から逃亡して情報部に向かっている最中だった。
「なにもかも滅茶苦茶にしてやる……! 低俗の分際でボクに指図しやがって! あいつが集めたという情報を全部かっさらってやる!」
情報部の部室にたどり着いた壮一は鍵がかかった扉を蹴り破った。まずテーブルから蹴り飛ばし、目に入った絵畜生が書かれた湯呑を持ち、床に叩きつけて破壊した。
「低俗は低俗らしく、汚ねぇ豚小屋にいるほうがお似合いなんだよッ! なのになんで……なんでッ! 最近の輩はよ……! なぜッ! ボクにッ! 逆らうん、だッ!」
壮一は部室の品々を破壊し、修繕できないくらいに粉々にしていく。自分の怒りが収まるまで情報部にある物すべてに八つ当たりする。
「低民は大人しく金持ちの命令に従っていればいいんだよ……ッ! ボクは特別なんだ! 人を動かす力を持っているんだ! なのに、どいつもこいつも逆らいやがってッ!」
荒れた息を整えながら、引き出しに手をかける。
そこは収集した情報が大量に保管されている場所だった。佑真たちが収集した、いわば努力の結晶でもある情報に壮一は目をつけたのだ。
「フフフ、ここにある情報を全部売り捌けば……! 情報部に関わってきた全員の人生を狂わすことができる! 信用を失った情報部は廃部、あの低民どもを学園から追放することも可能になる! なによりこれを使えばボクだけに従順なしもべが作れる……! ボクだけの人形が手に入る。ああ、なんて良い日なんだぁ!」
悪人に相応しい笑みを浮かべ、中身を想像しながら大量の情報が書かれた紙屑のためだけに引き出しを勢いよく開ける。
壮一は予想しなかったのだろうか。厳重に保管された場所になにもないわけがない。だが、私欲で周りが見えていない壮一は警戒しなかった。慎重という言葉が頭の片隅から消えるほどに、ただ単純な思考回路で情報部の図中に嵌ってしまったことに気づかずに。
引き出しが全開になった瞬間、金具が外れる音とともに、空中に大きなペットボトルが数本投げ出せれた。一瞬だけ宙を舞ったペットボトルは落下し、元の場所へ戻っていく。
壮一の目線は自然と落下するペットボトルを追いかけ、引き出しの中へ引き込まれていく。そこで目にしたものは、宙を舞ったペットボトルと同じ容器が数本ほど綺麗に並んでいた。それもまた、ペキペキと不穏な音を鳴らして。
「あ?」
壮一は知らないことだ。引き出しは手につきやすい場所にあった。そして情報を取りやすいように少し力を入れただけで錠が外れる仕掛けがされている。
なら、そこにある物は、放課後に佑真たちが椿姫に教えるために仕込んだドライアイス爆弾であり、侵入者が開けた途端、作動して爆発するフェイクの引き出しであること。
壮一はペットボトルの正体がわからず、ただ不思議そうに爆弾を見つめている。
無知で愚かだった。そう簡単に情報が手に入るなんて甘い考えが。そして、佑真たちがテリトリーに侵入した者に慈悲も情けすらかけないことを、爆弾が物語ってることにも。
やがてドライアイス爆弾は膨張を続け、ペットボトルが大きく軋むと同時に爆発した。
張り裂けるような爆発音が静寂を打ち消して学園中に響き渡る。
真正面から喰らった壮一が無事なわけがなく、なにが起こったのかを理解できないまま悲痛な叫びを上げ、耳を塞ぎたくなるような爆発音によって絶叫はかき消された。
………………、そして。
後日。
手塚壮一の停学が決まり。
入院が決まった。
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