第24話 椿姫の後悔
部活終了の時間を迎えてから三〇分ほどが過ぎた。
無人の部活棟は静寂が覆い、眩い太陽が窓から差し込み、朱色の世界が広がっていた。
部室の前まで戻ってきた椿姫は、佑真から貰った鍵を使って開錠して入室する。
「失礼しま~す……、と」
静かな部室に顔を出す椿姫。部活終了時間とともに出たばかりの部室だったが、椿姫が部室に一人という状況は新鮮味を感じる。毎日のように佑真と透が会話している部室の光景が当たり前だったせいか、二人がいない部室はかなり寂しい気がした。
佑真が部室で楽しそうにしている姿がないだけで廃墟のような静けさが立ち込めるのも不思議なものだった。これからは先に来て佑真たちを待つことができる。待ちくたびれたよ、と佑真に向けて言える。
それもこれも、透のおかげで部外者ではなく関係者としてこの部室にいられる。
夢にまで見た佑真と一緒に過ごせる唯一の空間。透には感謝してもしきれない。
「……ここまで早かったなぁ。ぜんぶ、透君のおかげ」
椿姫は、佑真の隣に来るまでの道のりを振り返り、懐かしんだ。
佑真たちとはまだ日の浅い関係だが、濃厚な時間を過ごした。だからこそ、この部室に佑真たちと一緒にいたい気持ちが募り、次第に胸が苦しくなっていく。
それもそのはずだ。
椿姫がこれからすることは、そんな日常を壊すようなことなのだから。
自分自身の秘密で脅迫され、なりふり構わず保身に走ってしまった。それが徐々に心を許してくれた佑真を、椿姫のために動いてくれた透を裏切ってしまうことになろうとも。
相談すればよかった。助けを求めればよかった。透にだけでも。
だけど、それは結果的に佑真に秘密を知られるわけで。結局なにもできなかった。
「今まで時間だけに身を任せて、自分から動こうとしなかった
椿姫は情報が大量に詰まった棚に手をかけ、仕掛けられた罠を慎重に解除する。一つ一つ罠を解除していくだけで罪悪感だけが増していく。嫌な作業だ。
「最低な女だ。これじゃ、佑真君の隣にいる資格なんてないね」
椿姫の独り言。なにを言おうが、理由があろうが言い訳にしかならない。思い留まることもできたかもしれないのに、ここまで来たらもう戻れない。
今、椿姫が手にかけている引き出しは壮一が引っかかったすぐ隣の引き出しだ。
佑真が教えてくれた罠の解除法だ。どこになにが収納されているのか、どれがフェイクか、どこが一番危ないか、すべて覚えている。思い出として。
解除が終わり、引き出しを開けた。
中から大量のファイルをありったけカバンに詰め込んだ。
ギャルの注文どおりのファイルを。佑真たちの頑張りを。
「……ごめんね。佑真君」
懺悔にもならないだろう言葉を発した椿姫。
「………………そういうことか」
「……ッ!」
瞬間、聞き覚えのある声に動揺し、椿姫は抱えていたファイルを落とす。
振り向いた先にいたのは、無表情のまま椿姫のことを見つめる佑真だった。
――――
今日の椿姫の様子がおかしかった。透との約束を破棄してまで追いかけてきたら盗みを働いていた。佑真が教えたとおりに罠の解除し、大量の情報をカバンに突っ込んだ。
そして、声をかけなければ綺麗に罠を仕掛け直していただろう。それを椿姫は慎重かつ冷静にこなしていた。
その様子を背後から見ていた。
背中越しではなにをしているのかわからなかったが、椿姫が振り向きざまに落としたファイルを見て確信に変わってしまった。
昔はあっただろう裏切られる気持ちはとうに消え去り、何度も目にした光景をただ見ていた。少しだけ残念そうに、寂しそうに椿姫の絶望に変わった顔を見ていた。
「……。よぅ、椿姫。さっきぶり」
佑真はいつものように素っ気ない挨拶をした。
「佑真、君……」
歯切れの悪い返事。まあ、犯行現場を見られて平気な顔をしている人なんていないだろう。ましてや、短い間だったとしても好意を抱いていた男が目の前にいる状態。いや、今の椿姫には好意があったのかすらわからない。これまでの椿姫が見せてくれた笑顔もすべて噓なのかと考えてしまうと喪失感のようなものを感じた。
ああ……、そうだったのか、と。
知らず知らずのうちに気を許していたんだ、と佑真は気づいた。
そして、椿姫に裏切られた事実にショックを受けていた。
なんで? なんて疑問に思わなかった。目の前の事実だけで十分だった。それ以上の情報を頭に入れたくなかった。考えたくもなかった。
佑真は言う。
「今まで楽しかったか?」
「……っ」
椿姫はなにも答えない。佑真は言う。
「弄んで、面白かったか?」
「…………っ」
なにも言わずにただ縮こまるだけの椿姫。佑真は言う。
「騙せて嬉しかったか?」
「………………っ」
どれも無回答。悪いことをして言い訳なんて言えるわけがない。いや、むしろそれすらも演技だとするならばどうだろうか。今の佑真にはどの椿姫も信用できない。
「ホントに楽しかったよ。短い間だけど」
「……っ!」
佑真の何気ない本心だった。
それが上っ面な言葉だとしても椿姫の心に深く突き刺さる結果になった。裏切り者として向かい合う椿姫には返すことができない。はち切れそうな想いすら返せない。できるのは、とっくに得ていたものをドブに捨てた事実に嘆き、目を見開いて後悔する顔を佑真に晒すことだけだ。
「わたし、佑真君に近づけてたんだね……」
「でも、そんな俺を見ておまえは面白がってたんだろ?」
「ち、ちがっ!」
「違わない。食い物で釣れたときなんてさぞ面白かっただろうなぁ」
「そんな……」
椿姫がなにを言おうが、佑真は取り合わない。佑真はもう、椿姫のことを敵として認識したために、すべて戯言にしか聞こえていない。
「俺もしくじったもんだ。おまえは秘密を握られてるから大丈夫だ、なんて安心してたが、まさか捨て身で踏み込んでくるなんてな」
呆れた口調の佑真は溜息を吐き、言葉を続ける。
「保険で誰かの秘密なのか、あるいは捨て身の秘密なのか、まあ、噓だろうと調査すればいい話だ。それに公開処刑するのは確定してるわけだからな」
「………………っ」
公開処刑……それは情報部における制裁方法。この学園で在籍し、この七葉市内で起こした悪行を新聞形式で張り出すこと。秘密を晒すことはしない。使ったらその場で効力を失うから使うのはあくまで悪行。それでは秘密を管理している理由にならないだろうが、情報部が持っているだけで効果を発揮する。
他人が知っている、それだけで本人には不都合だ。
今の椿姫でどこまで晒せるか未知数だが、問題はない。
情報部から情報を盗むだけでも他人が脅かされる事実が広がり、それだけで生徒同士がシナリオを勝手に作ってくれる。非常にエコで都合の良いサイクルだ。
「まあ、最後だ。持ってる情報は持っていけばいい」
「……、えっ?」
佑真の意外な言葉に椿姫は疑問を持つ。なぜ、と。
「どうせいるんだろ? バックにいるヤツらも一網打尽にするのさ。もう終わってるも当然なんだ。こっちは勝手にやるから協力してくれよ」
「ぜんぶ、お見通しなんだね……うん、わかった」
「ならよし。ああ、取引は明日であってるか?」
椿姫は頷く。
「わかった。んじゃあな、椿姫」
「……、じゃあね」
今にも泣きそうな顔を隠すように俯く椿姫。泣きたいのはこっちだ、と佑真は思いながら目を瞑る。一様見なかったことにして立ち去るのを待った。
椿姫が歩き出す足音がする。名残惜しいようなどうでもいいような椿姫の歩く音が横を通り過ぎていく。結局最後まで、椿姫が出ていくまで佑真は目を開けなかった。
「……さて」
目を開け、床に散らばったファイルを拾い上げ、開けられた棚の中身を確認する。
誰の情報が盗まれたかを佑真はファイルと記憶を照らし合わせ……。
だが、一目棚の中を見た瞬間、佑真はある失念をしていたことに気づいた。普段の佑真なら目先に囚われるようなことはない。早く気づくべきだった。
それは佑真がよく把握している棚の中身とその位置。自分から椿姫に教え、記憶にも新しいはずなのに忘れていた。
佑真が持っているファイル、椿姫が盗もうとしたはファイルはすべて空白だった。
「……、そういうことかよ」
佑真は、今頃になって自分の犯した過ちに後悔した。
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