第25話 定まらない想い

 翌日の午後。昼休みが終わり、五時限目の授業が始まる時間帯だ。


「聞いてると思うが、今日は全職員での緊急会議で午前授業となってる。各生徒は部活などせずに即帰れよ。残る場合はちゃんと担任に伝えるように。ホールルームは以上だ。ああ、あと、寄り道して問題を起こすなよぅ。解散」


 気怠そうな江崎はそう言うとホームルームは終わり、静かだった教室は騒々しくなる。

 今日は予定になかった全職員との緊急会議が開かれることになった。急なこともあり、いつも内容を掴んでいる情報部の佑真ですらわからない。

 緊急の会議なら内容が気になるところだが、知ったところで意味はないだろう。なら生徒たち同様に午前授業という事実に歓喜し、自由に行動しようと佑真の中での日程が決まった。まあ、今の佑真にはこの時を満喫するほどの余裕はないが。

 佑真は気怠さを感じつつも、カバンと一緒に席を立ち、今にも教室を出ようとする担任の代わりにホームルームに出ていた江崎を呼び止める。


「なんだ? 天瀬が声をかけるなんざ、大雨でも降るのか?」

「もし降ったら真っ先に江崎先生の傘物ぶっ壊しにいきますんで」

「……、冗談にマジで答えんなよ。洒落になってねぇ」

「こっちも冗談のつもりなんですが?」

「天瀬の冗談は冗談に聞こえねぇんだよ。……で、俺になにかようか?」


 溜息を吐く江崎は首に手を回しながら佑真に訊く。


「はい。部室にいくつもりなんで言っておこうかと」

「……。天瀬なら許可なんて取らないと思ってたんだが。そうか、なら会議が早めに終わったら歓迎会でもするか? まだやってないんだろ? 榛名の歓迎会」


 江崎がそう言って、佑真の片方の眉が撥ねる。


「歓迎……」

「一週間以上もいて退部もしていない。情報漏洩もしてない。なにより不良のたまり場みたいな情報部に馴染んだ。天瀬がどう思ってんのか知らんが、少なくとも敵視してるわけでもない。なら歓迎しないわけにはいかないだろ。前にもやったみたいに」


 確かに前に歓迎会を開いたことは佑真の記憶にも新しいイベントだ。だから椿姫の歓迎会を開こうと考え、部員の予定を聞いて決行日を考えていた。

 けど、昨日の出来事がきっかけで計画は佑真の中で消えかけていた。


「ああ……そうっスね。聞いときます」

「………………」

「なんすか?」


 佑真の妙に歯切れの悪い返答に小首を傾げる江崎はなんとなく、


「天瀬、なにかあったのか?」


 その言葉に佑真は無言だった。無表情のまま江崎を見ていた。

 数秒後の間、江崎は面倒くさそうに溜息を吐いて、


「なにがあったか知らねぇが。仲直りしとけよ。もしやるんだったら連絡しろよな」


 面倒くさそうに言って教室を後にする。


「………………。なんもねぇよ」


 なにも聞かなかった。なにも確認せずに呆れたような顔をしていた。

 江崎が佑真の微細な動きすらあまりない表情筋から読み取ったわけでもない。無意識に歩き出していた足を止め、窓に薄っすらと映る自分に目を向けていた。

 そこには無表情のまま見つめ合うもう一人の自分がいた。それ以上の答えはない。

 なら、態度に出ていたのか、と佑真はそう思った。

 気がつけば、佑真は情報部部室の前まで来ていた。

 部室に透はまだ来ていない。椿姫は当然来ていない。

 入室した佑真はパイプ椅子に座り、大きく息をついた。


「………………」


 部室は思いのほか静かだった。

 それもそうだ。今日は部活動がない。

 椅子にもたれた佑真は天井を仰ぎ、


「椿姫がいたら、先に来てたのかな」


 ふと、そんなことを口走る。

 もう椿姫がいることは当たり前だと佑真の中では思っていた。いや、そう錯覚していたのかもしれない。屋上で告白されたとき、友達になろうと提案し、その裏で嫌われるように立ち回ろうと策を練った。しかし、予想に反して椿姫は情報部に溶け込んでいった。笑顔で会話し、率先してお茶を淹れ、持参したお菓子を振舞った。

 椿姫は常に楽しんでいた。そんな大きな存在のおかげか佑真の抱いていた敵意もタチの悪い嫌われ作戦も不思議と消えていた。好意があることに触れるなら、佑真は鬱陶しく感じていただけで、椿姫と過ごす時間は悪くなかった。

 もし、昨日のことがなければ、渡した鍵を使って先に来ていたのだろうか。昨日、佑真自身の失念に後悔を抱いた。


「………………」

「おっそくなったおぅ! 鷹山透、ここに参上!」


 目を瞑ろうかと佑真が思っていると、遅れてやってきた透が部室に現れた。


「……。よっ、透。昨日はすまなかったな」


 小学生並みの元気で登場する透を見て、佑真は悩んでいるのが馬鹿らしくなり、いつものように適当に挨拶する。


「昨日? ああ、いいよいいよ。忘れ物したんしょ? ならしょうがないよ」

「そうか? 駄々こねる幼児みたいに大泣きしてたくせにか?」

「してないですけど!? 普通に別れたじゃん」

「普通、ねぇ?」

「おい、その含みのある言いかたやめてくれよ。意味深に聞こえるじゃんか」


 不貞腐れる透は定位置に座った。いつものように携帯を取り出す。


「あっ、そういえば椿姫ちゃんは?」

「ああ?」

「椿姫ちゃんだよ。まだ来てないの?」

「ああ……」


 佑真が溜息を吐くと、透は首を傾げ、


「今日はいつにもまして元気ないね。どしたの?」

「なぜそう思う?」

「だっていつも覇気のない声で喋ってんのに、今日はいつにもまして魂が抜けているというか抜けきっているというか、空回りしてるような感じがする」

「いつもと変わんねぇじゃねぇか」

「いやいやいや。絶対違うね。いつもより死んでる」

「死んでんのか」


 長い付き合いとは怖いものだ、と佑真は溜息を吐いた。幼少期からの付き合いとなるとほんの少しの違和感にすら反応する。お互いを知る二人は何事にもズカズカと歩み寄るし、ズバズと容赦なく罵り合う。それら含めて一蓮托生の関係だ。透が違和感を主張した時点で佑真は腹を括る以外の選択はなかった。


「まあ、いいか。最初から言うつもりだったしな」


 そう言って佑真は席を立った。


「ん? なにが? というより、椿姫ちゃんは?」

「もう、来ないじゃねぇの?」


 透の問いに佑真は素っ気なく答える。


「はい? なぜに?」


 佑真の言葉をイマイチ理解できない透は左右に首を折る。半分くらいふざけて聞いている透を尻目に佑真は溜息を吐きながら罠が仕掛けられた棚の前に立ち、椿姫が盗んでいたファイルの一部を手に取って見せた。


「昨日、椿姫がこのファイルを盗んだ」


 透は絶句した。目を見開いて瞬く透の姿はコメディ漫画のキャラを彷彿とさせる。まあ、思考停止しているだけであろう。透にとって椿姫は腕によりをかけて佑真を屋上に誘き寄せて告白させる作戦を決行した張本人だ。それが椿姫が裏切りました、と突然言われて信じられるわけがない。なにせ透が信用して佑真の前に立たようと思った最初の人だから。


「えっ? じょ、冗談っしょ? もう佑真ったらブラックジョークが過ぎるよぅ」

「冗談に聞こえるか?」


 いまだ信じずに笑って誤魔化そうとする透だったが、澄ました佑真の一言に表情が次第に険しくなっていく。天真爛漫が売りの透が珍しいくらいに慌てた顔をしていた。


「嘘だ! そんなはずない!」


 ばっ、と椅子から立ち上がった透は声を荒げた。勢いよく立ち上がったせいでテーブルに太もも当たり、透が手から離していた携帯が床に落ちる。携帯のカバーが欠ける音がした。いつも肌身離さず大事そうに持っている携帯を落としてもなお、透の意識は佑真に向いている。そうなるほど、透は動揺していた。


「だが、事実だ」


 動揺する透を無視して反復するように佑真は答えた。


「なっ、なにかの間違いだよ! 椿姫ちゃんはそんなことするはずがない!」

「昨日、俺がこの目でしっかり見てたとしてもか?」

「そんな、そんなこと……」


 透は項垂れて向き合い難い現実に頭を抱える。

 今にもオーバーヒートしてしまいそうな透に佑真は、


「いいんじゃねぇの? べつに」


 冷たく言い放った。


「……、はい?」

「結局はいつもどおりに戻るだけなんだ。なら考えなくてもいいだろ」

「本気で言ってるのか?」


 頭を抱えていた透の目つきが切っ先鋭き刃へ変貌する。滅多に激怒することのない透は佑真に怒りの矛先を向けていた。そんな感情的になった透に向かって佑真は鼻で笑った。


「本気っつったら、どうする?」

「佑真ッ!」


 その一言に透は激昂した。佑真の胸倉を掴み、背後の棚に叩きつける。

 佑真が叩きつけられた衝撃によって棚の上に置かれたファイルが乱雑に床へと落ちた。

 胸倉を掴まれた佑真はただ透にやられるがまま、抵抗する意思を一切見せずに怒りに満ちた透の目をじっと見ていた。

 怒る悪友の目、瞳に映る自分の情けない顔。そんな思わず目を背けたくなるような光景を前に佑真は背けることなく、ただそれを受け入れていた。


「えっ……」


 だが、床に撒かれた真っ白いファイルを見て透の顔から怒りが消える。次第に脱力していく透の手は胸倉から離れ、ありえないを体現したような顔で俯いた。

 一度視線を上げ、罠が仕掛けられている棚を見た透は察してまた俯いた。


「椿姫ちゃんはなにも盗らなかったんだね」


 透は俯いたままそう言った。


「ああ、結果的になにも盗ってなかった」


 佑真は素っ気なくそう返答する。


「じゃぁ、なんで!」


 ばっ、と顔を上げた透は佑真の肩を掴んで、


「椿姫ちゃんがここにいないんだよ! 無実だったんだろ!?」


 訴えかけるように力強く揺すった。

 そう、椿姫は無実だった。だが、すぐに身の潔白が証明された昨日の時点で佑真は椿姫の後を追おうとはしなかった。


「なんでだろうな」


 佑真は少し考える素振りを見せたが、透に返ったのは淡泊な答えだった。

 こういう状況下において、はっきりとした答えを出すのが佑真であり、それを知っている透からしたら意外過ぎる答えだった。

 力強く揺すっていた透の手が止まり、力なく肩から滑り落ちていった。


「なんだよ、それ……」


 透は弱々しく呟く。


「……。最初はさっさといなくなればいいと思ってた」


 それに答えるかのように佑真はぽつりぽつりと話し始める。それに透は耳を傾ける。


「俺たちに近寄ってくるヤツなんざ、大体がくだらない理由だ。レッテルが欲しいだけのクソ女。情報が掠めたいだけのクソ女。俺たちの弱みを握りたいクソ女。どす黒い嘘つきばっかだ。今回もきっとそうなんだと高を括ってたさ」


 過去、佑真と透は深く傷ついた。とくに佑真は重傷と呼べるくらいの心の傷を負っている。それは透が重々承知している。ほかの情報と取引できるほど安価ではない。

 透は手を強く握りしめた。その間、佑真の言葉は続いている。


「だけど、椿姫はそうじゃなかった。透が信用するくらいだ。俺も気づかないうちに椿姫のことを受けれてた。世の中捨てたもんじゃないな、って思ったもんだよ」


 佑真は椿姫との僅かながらの思い出を振り返り、今まで感じてきたものを語った。本音なんてこっぱずかしいだけだが、透には固い口も簡単に動く。

 透が静かに頷いている間も、佑真は言葉を続ける。


「けど椿姫は盗みを働くとこを見てすべてが嘘だったんだ、と思った。でも蓋を開けてみれば事実はまったく違った。椿姫は無実だ」

「なんで、追いかけなかったの?」


 静かに聞いていた透が、佑真に問いかけた。


「追いかける? 無理に決まってんだろ。あんな酷いこと言っちまったんだから。俺らしくない先走った考えで椿姫の心を傷つけた。突き放した。顔を、見なかった」


 佑真の澄んだ声音で語られる後悔。感情が表に出ない機械のような佑真は悔しがっていた。それを否定せず、肯定せず、なにも言わずに透は無言で聞いていた。

 透は息を吐き、口を開く。


「それで? そっからどうしたい?」

「……、どうしたもこうしたもねぇよ」

「ホントは謝りたいんじゃないの?」

「……、」


 透の問いに佑真は困惑した。

 普段は澄まし顔の佑真が困惑している。そんな情けない悪友に透は呆れた。


「どうしたい?」

「……、わからない。こういうときどうしたらいいのか、わからない」


 いまいち答えが定まらない佑真に透は眉を顰める。佑真ほどではいかずとも面倒くさそうにウェーブのかかった大きな溜息を吐いた透は佑真の肩を強く叩き、


「ええい埒が明かん!」


 やり投げのような叫び声を上げ、廊下に追い出そうとする。


「お、おい、どうし――」

「シャラップ佑真! 自分ではっきり答えを出せないなら一度椿姫ちゃんに会ってこい!」

「い、いや……」

「立ち止まんなし佑真らしくない! 迷ってんならウジウジしないで晴らしてこい!」

「だがな……」


 透の背中を押す力がどんどん強くなる。


「答えはすぐそこにあるんだから見失わないうちにいってこい! 椿姫ちゃんの居場所はとっくにわかってんだろ? 聞き耳立てるくらいしてこい!」

「透……」

「もし全部やってこなかったら絶交だ! 末代まで呪ってやる! 椿姫ちゃんと話しできないなら僕は協力しないからな! 以上、いってらっしゃい!」


 バンッ、と部室の扉を締め切られた。

 透の勢いに押されるがまま締め出された佑真は困った顔をして後頭部をかく。そして、透の言われたとおりに椿姫のいる場所に向かって歩き出した。


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