アマザクラ

兎藤うと

一章 始期編

第0話 嘲笑う偽りの感情

 見上げる少年の目には、見事なまでに咲き誇る桜が映っていた。

 なぜそこに立っているのか、どこを歩いて来たか、少年は憶えていない。気づいたら桜だけが咲く森に迷い込んでいた。そして、森の中で開(ひら)けた場所にいて、その中心に佇む巨大な桜の目の前に立っていた。――そして、少年は泣いていた。

 森を春風が通り抜け、静寂に満ちた世界に草木たちの囁くような音が響き渡る。

 散りゆく桜の花弁《はなびら》とともに、少年は必死に考えていた。


 なんで都市まちのみんなは僕たち家族を虐めるんだ、と。

 少年は、純粋に人を助けたかっただけだ。 


〝天才〟と呼ばれ、やることすべて褒められて生きてきた。こんな人を幸せにできる才能があるのなら、人のために使っていきたいと、少年はずっと強く思っていた。

 だけど、そんな少年の純粋な気持ちすら、ある日を境に踏みにじられた。

 友達には裏切られ、見捨てられて、見て見ぬふりをされて。あまつさえ先生までもが。そして、良い歳こいた大人がなにもしなかった。

 なにか悪いことをしたのか? 気に入らないことでもしたのか? そんな理由ではなかった。理由なんて最初からなにもなかった。


 気づいたときには、もう遅かった。


 残ったのは、悲しみと憎しみ、そして孤独と不快感だけだった。

 顔に出るはずの表情は、様々な感情が混ざり合い、少年は笑うことも、怒ることも、すべてわからなくなってしまった。静かに流れ出る涙が、それを物語っていた。


 しかし、少年はずっと立ち止まっているわけではなかった。自分がどうなろうと、結果は造り出す。どうすれば、無自覚な犯罪者に苦しみを理解してくれるだろうか。

 少年は考えた。脳をフル回転させて考えた。どうすれば生かしたまま殺せるかを。

 その考え方が次第に純粋だった少年の心を、思想を黒く染め上げていった。

 そして、答えに辿り着いた少年は、力の抜けた声でこう呟いた。


「……そうだよ。心もろとも折ってやればいいんだ。人の領域に土足で踏み込んでくる愚か者を、二度と立ち直れないようにしてやればいいんだ。なんだ……馬鹿だなオレわ、こんな簡単ことで良かったのか! ははは! あハ、アハハハハハハッ!」


 少年は悪魔が乗り移ったかのような、そんな狂った笑みを浮かべていた。

 桜が散りゆく中で、少年の頬から感情のない涙が零れ落ちる。

 夕闇に染まる時刻。見る物すべてを嘲笑あざわらい、自ら壊れていった。

 どうしようもない感情の中でも、瞳はずっと桜を見続けている。大事なものを自ら散らしていく少年と同じように、瞳に映る桜もまた、静かに花を散らしていた。



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