第22話 不幸は突然に


 部室で佑真たちが楽しく会話している頃。

 椿姫はまだ校舎に残っていた。教室に明日が提出日の宿題を忘れてしまい、どうしても終らせないといけない課題を急いで取りに戻っていた。

 佑真が在籍する二年B組の隣。二年C組が椿姫の教室である。

 静かな廊下を小走りで通り抜け、自分の教室の扉を開ける。

 部活終了時間が近いこともあり、教室には誰も残っていない。無人だ。


「えっと、課題、課題……っと。……、あった」


 課題をカバンに入れ、椿姫は携帯で時間を確認する。


「えっ、もうこんな時間。早く帰らないと」


 椿姫が思っていたより時間が進んでおり、少しだけ焦りを感じながら教室を出る。物静かな廊下を小走りで昇降口へ向かおうとするが、途中でその足は止まった。

 ふと、窓際のほうを振り向く。向こう側は夕陽があたり、一帯を朱色に染め上げた世界が広がる。それを分断する硝子には、悲哀に満ちた自分の姿が映っていた。

 椿姫は、部活での佑真の言葉を思い出していた。


「……穢れてる女は無理、か。わたしじゃ無理なのかな」


 椿姫は俯く。最初から無意味な戦いをしていたんじゃないのかと、そう思うと悲しかった。自分のことを話せば佑真はきっと離れていく。友達という首の皮一枚の状態の関係すら簡単に終わる。透は励まそうとしていたが、佑真の言葉は紛れもない本心だ。あれを言われてしまったら諦めるしかない。

 だけど……。


「もうちょっとだけ、佑真君の隣にいたいっていうのはワガママなのかな……」


 椿姫は窓際に映る自分に投げかける。

 すでに失恋したような、虚無感に打ちひしがれながら迷走して、もう少しだけ、と今は居続けられるだけ佑真と一緒にいることを決めた。

  気持ちの整理がつき、階段のほうへ向かおうとすると、階段のほうから一人の女子生徒が出てきた。

 話したこともなく、接点もない女子生徒。すれ違うだけならまだ良かったのだが、その女子生徒は椿姫を一目見るなり道を塞ぐようにして立った。

 校則違反ギリギリの着崩した制服。太ももの付け根が見えるぐらいに短いスカート。その腰には薄黄色のセーターを巻きつけていた。褐色の肌に金色の髪。でも、椿姫にはその肌と髪色は天然のものではないことはすぐにわかった。

 俗に言うギャルだった。


 ギャルは椿姫に目を向けて近づいた。


「おまえ、榛名椿姫だよなぁ」

「そうだけど。なにか用かな?」


 椿姫はそう返答すると、ギャルは不敵に笑った。

 その笑みに後退る椿姫の背後からギャルの取り巻きたちが現れる。そして、拒む椿姫を強制的に女子トイレに連れ込んだ。

 椿姫を壁のほうに叩きつけたギャルは髪の毛を掴んだ。


「い、痛い……っ!」

「知らねぇよそんなこと」


 金髪のギャルは顔を近づけて口を開く。


「おまえさ、あの情報部の一員になったらしいじゃねぇか。あの天災の二人にやけに気に入られてるらしいじゃん」

「気に入られているのかわからないけどね……。イィ……ッ!」


 髪の毛を引っ張る力が少しだけ強くなる。


「おまえさ、なんか調子に乗ってるよな」

「……調子に、乗ってなんか、な……ッ!」


 頭皮の痛みに言葉が途切れる。


「調子に乗ってるよなぁ。美少女コンテストで二回も優勝して、男にもチヤホヤもされていればそりゃ調子に乗るよなぁ? その勢いで今度は〝高嶺の花〟を通り越して〝鉄壁の城塞〟と言われてる一人とおまけ一人をはべらしてんだからよぅ」

「はべらせてなんかいな……イッ!」


 またしても髪の毛を引っ張られる。


「気に食わないのはそれだけじゃないんだけどさ。ま、この際どうでもいいや」


 少しだけ間を開けて金髪のギャルは口を開く。


「おまえさ。情報部と仲がいいんだろ? なら、鍵を持っているはずだ。それをちょいと貸してはくれないかな? 勿論、すぐに返すよ、すぐに」


 顔が当たる至近距離で見下すような目で見つめて言う金髪のギャル。


「クスス、最もなにもなければの話だけどね」

「その辺で落とさなきゃいいけど」


 わざとらしくギャルの取り巻きの女子生徒二人がそう言う。おそらく返さない。仮に返したとしても鍵のスペアを作るに決まっている。


「いや、丁度良いし、このアマに頼もっかなぁ? なあ、あたしたちの代わりにさ。情報部からなんでもいいから情報を持ってこいよ」

「いっ……嫌だ……」


 弱々しく答える椿姫。その瞬間、金髪のギャルは椿姫の腹部を殴られる。


「なに? おまえ、あたしらに盾突くっていうの? どうなってもいいの?」

「痛いのはヤだろ? 言うとおりに動けよ」


 静かに殺気の帯びた口調で取り巻きと金髪のギャルは言う。

 だが、痛みに耐え続ける椿姫に痺れを切らした金髪のギャルは髪の毛を引っ張り、片腕を掴んで関節技を決めて個室のドアに身体を叩きつけた。

 椿姫は呻き声が上げ、肩からカバンがずり落ちる。


「こんだけのことをしてもまだ頼まれてもくれないのか?」

「往生際が悪いッスよ。そろそろ折れろよクソアマ」


 ギャルたちの暴力を受けてもなお、痛みに耐える椿姫は従う気はなかった。


「それでも……二人を、裏切りたく、……ないもの」


 絶対に裏切りたくない。椿姫自身どうなろうが、佑真と透との信頼を失いたくはなかった。透が助力してくれたおかげで仲良くなれたのに、こんな終わりかたで関係を打ち切るなんて佑真が良くても椿姫は絶対に嫌だった。


「あくまで、うちらの頼みを聞いちゃくれないのかぁ。これを見てもそれを言える?」


 だが、ギャルがポケットから取り出した一枚の写真を椿姫が見た瞬間、


「あ……ああ……っ!」


 目を見開いて顔が真っ青になった。

 それは椿姫が誰にも知られたくない、見られたくない秘密だった。


「ど……、どこで、それを……っ!」

「教えねぇよバーカ。それにしても……。ははぁ、いけないですねぇ、椿姫さんは。まったくうちらは頭が上がりませんよぅ。うちらに従わないならさ。これ、学園中にばらまいちゃおっかなぁ? そしたらどうなるんだろうな、明日からの学園生活」


 わざとらしく写真をちらつかせるギャルは言葉を続ける。


「当然、騒がしくなるだろうねぇ。一日も持つのかな? 美少女で有名な椿姫ちゃんがこんな悪い子だなんて、学園中の生徒どもが知っちゃったらアンタの居場所はあるのかなぁ? 情報部に居られるかなぁ?」

「やめ……、て……、ください……ッ!」

「ああ? なに言ってんのか聞こえないんだけど。はっきり喋ってくんない?」

「やめて……、くださいっ……!。お願い、します……。頼まれた情報を持ってきますので、どうか……っ、それだけはやめてください……ッ!」


 あれだけ裏切りたくないと言っていた椿姫は涙目になりながら了承してしまった。


「最初からそうすりゃよかったんだよ」


 佑真を強く思う気持ちがあるというのに、結局は我が身大事さに裏切ってしまう形になってしまった。ただ悔しい思いに打ちひしがれた。

 そんな中でもギャルは嬉しそうに、


「ありがたいねぇ、情報を見繕ってくれよ。申し訳ないねぇ」


 申し訳なさそうに注文を言い、髪から手を放した。申し訳ないと言っていたが、ここにいる人たちは最初から悪いだなんてこれっぽっちも思っていないだろう。苦痛を与えて楽しむ彼女たちに、どれだけ訴えようともきっと届かない。

 すると、鐘の音が学園中に響き、下校時刻を告げる放送が入る。


「あーあ。おまえがもたついてるうちに下校時刻になっちまったじゃねぇか。どうしてくれんの? うちらの遊びにいく時間消えちゃったじゃんか。おい」

「はい、ネェさん」


 ギャルが合図をすると取り巻きの一人がなにかを渡す。


「あんがと」


 取り巻きに短く礼を言うと、ギャルは渡されたカッターから刃を剥き出しにする。カチカチカチと独特の音を出しながら椿姫のほうに刃を向ける。


「な、なにをする気なの!? ……やめて、お願いやめて!」


 椿姫はこれからなにをされるのかを察し、無理矢理にでも拘束を解こうと必死になって暴れ始める。しかし、そんな暴れる椿姫を取り巻きたちに押さえつけられた。


「おまえが渋ったのが悪いんだからな。社会なら従わない奴には罰が下るのも当たり前よ。こんな軽い罰だけで許されるんだから、おまえは幸せもんだよ」


 そう言ってカッターの刃を椿姫の首に当てる。


「や、やめ……」


 恐怖で椿姫の声は霞み、次の言葉が出てこなかった。

 ギャルが嫌らしく笑うとそっと刃を引いた。



 ――――



「……、ん?」

「どうかしたの、佑真?」

「いや、今誰かの声がしたような……」


 佑真と透は部室の片付けをしていた。会話が長引いてしまったことで片付けるのが遅れ、少し部活動終了時間が過ぎてしまった。


 そして今に至り、佑真の耳はなにかを聞き取っていた。


「気のせいじゃないの? 幻聴とかだったり」

「俺をなんだと思ってんだ?」

「いやぁ、ゴメンゴメン。佑真の耳は特別性だもんね。僕の聴覚じゃ佑真の聞き取った音は聞こえないから、つい気のせいだと思っちゃうんだよね」

「俺の耳は普通だと思うがな。まあ気がしただけだ。なにか聞こえたわけじゃないしな」


「なんだ電波受信しただけか」

「毎回脳内アダルトコンテンツを受信してる奴がなにを言う」

「あっ、馬鹿にしたなぁ? こうなったら佑真にも同じコンテンツを」

「ほっぺのシップ増やしてぇのか?」

「は、はは……やっぱなんでもないです」


 シップを張った片方の頬を摩る透は苦笑しながら逃げた。

 片づけを終わらせた佑真たちは、カバンを持って帰り支度を済ませる。


「それじゃ、帰りに佑真のオアシスでも寄ってく?」

「いいな。丁度新作が欲しかったところなんだ」

「まだ未読のも多いのに?」

「気分にもよるだろ」


 何気ない会話をする二人は部室を出て施錠した。



 ――――



 佑真たちが部室に施錠した同時刻。

 ある階の女子トイレからギャルと取り巻きたちが楽しそうに話しながら出てくる。

 今日はどこにいくか、相談したり、提案したり、女子生徒の何気ない日常を送っていた。

 その女子生徒三人が出てきた女子トイレに、浅く斬られた首を抑えて端で蹲る椿姫の姿があった。あの三人が消えた後にできた静寂に同化するかのように座っている。

 椿姫は泣いていた。涙は小川のように頬を伝って零れていく。わずかに手の隙間から滲み出る血。それを椿姫は、これは罰なんだ、と自分に言い聞かせ、後悔と悔しさが混じり合った複雑な感情とともに四肢ししを抱き寄せて蹲る。

 落ちかけている朱色の太陽は窓辺から射し、椿姫を静かに照らしていた。


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