キスをしたい

「それで? 普段はどんな風に過ごしてるんだ?」

「どんなってなんだよ」


 昼休み、与人と久しぶりに飯を食ってる時のことだった。

 付き合うようになってから霞と昼は常に一緒だったが、こうして偶には前と同じようにお互いの友人たちと昼食を摂ろうということになった。


 チラチラと霞が離れた席から俺を見ており、その度に朝比奈さんを始めとした友人たちに揶揄われている。そんな様子に微笑ましくもあり、俺を気にしてくれることを嬉しくも思っていた。


 さて、普段どんな風に過ごしているか……か。


「それは霞とのことだよな?」

「当たり前だろ。やっぱり恋人としてやることはやってるのか?」


 恋人としてやることというのはイマイチ想像出来ないのだが、この場合の質問の意図はつまりそれってことだよな。


「答える義理はない」

「まあそうだろうけどよぉ……やっぱ気になるじゃんよ」


 気持ちは分かるが何故にそこまでのことを話さねばならんのだ。

 というか俺も霞もまだ付き合い始めて二カ月も経っていない。だからそこまでのことは……うん、まだ当然してはいない。


「ま、いいけどよ。普段のお前らのラブラブっぷりを見て予想することにするわ」

「……ラブラブっぷりってな」


 与人だけでなく、霞の友人たちにも似たようなことは言われていた。

 霞との仲は良好だしお互いに遠慮なくモノを言えるのも俺たちだからだろう。幼馴染として過ごした時間がある意味遠慮という壁を取っ払い、何を口にするにも怖気づくことなく相手に伝えることが出来るのだと思う。


「……やることか」


 俺はボソッと呟いた。

 今こうして霞と一緒に居るだけでも毎日は楽しいし幸せなことだ。だが以前に霞が言っていたように俺としても一人の男である。目の前に霞という素晴らしい女性が無防備な状態で居たのなら当然意識はしてしまう。


『……和希?』


 柔らかそうな唇に目を向けることもあるがそれだけだ。

 流石にエッチな行為はまだまだだとして、キスくらいはしてみたいという気持ちはあった。けれど実際にそれに行動を移せない俺は……まあヘタレでもあるのだろう。


 そんな風に考えていると申し訳なさそうな顔で与人が口を開いた。


「おい、そこまで考え込まないでくれよ。聞いた俺が悪かった」

「……あぁいや、別に謝ることじゃないって」


 ……与人に聞いてどうこうなるものでもないが、俺は聞いてみた。


「なあ与人」

「なんだ?」

「恋人とキスをする瞬間ってどんななんだろうな」

「それを恋人の居ない俺に聞くか?」


 だな、申し訳ない。

 でも与人は話していて楽しい奴だし、友達思いのとても優しい友人だ。霞たちも話す時も物怖じしないし普通にしてればモテると思うんだけどなぁ。


「ま、お前もそのうち彼女が出来るって」

「そうだといいなぁ……はぁ」


 いや絶対出来ると思ってるぞ俺は。

 トントンと与人の肩を叩いてから俺は改めて霞に視線を向けた。するとどうやら霞もあれから俺を見ていたらしく、絡み合うように視線が交差した。俺からすれば少し照れてしまうことなのに、霞には全くそんな様子もなくジッと見つめてきている。


「……はは」


 少し手を上げてみると、霞も応えるように手を上げてくれた。

 そうすると朝比奈さんたちがニヤニヤしながら霞に何かを話しかけている。俺に与人や他の友人が居るように、霞の傍にも頼りになる友人が居る……何だかんだ、恋人もそうだけど友人の存在も学生生活にはやっぱり欠かせないな。


 それから時間が過ぎて放課後になった。

 いつものように霞と一緒に教室を出て下駄箱に向かい、靴に履き替えて外に出る。あれから少し経ったのだが、先輩もあれから俺たちに絡んでくることはなかった。そして霞の下駄箱に手紙が置かれることもなくなっていた。


「ようやく私が和希のモノだって伝わったんだと思う。静かで良き良き」

「そうだといいなぁ」

「うん。でも私は和希が逆に告白されるかどうかが不安」


 それは心配しなくてもいいだろう。今まで告白されたことなんてないし、何より霞っていう素敵な女性が傍に居て目移りなんてするわけがない。似たようなことを以前にも言った気がするが、それだけ霞の存在は俺の中で大きいんだ。


「霞」


 腕を伸ばして霞の肩に手を置き、そのまま引き寄せた。

 霞が驚くことはなかったがどうしたのかと視線を上にあげた彼女に、俺は思っていることをそのまま伝えた。


「俺が霞から離れることが想像出来るか? 俺は出来ないね」

「……ふふ、そうだね。全然出来ない。和希は私に夢中だから」


 ……本当に霞ってそういうことを平気で言うよな。

 静かになった俺を霞がクスっと笑ったものの特に聞いてくるようなことはなかった。俺と霞はそのまま寄り添うようにして帰宅するのだった。


「はい、ジュース」

「サンキュー」

「ん」


 夏が近づいたということもあって大分気温が高くなってきた。

 霞から受け取ったコップに口を付け、注がれたオレンジジュースを喉に通すと冷たい感覚にとても癒される。


「あぁうめえ」


 思わずと言った具合に呟いた俺を見て、霞も笑みを浮かべてジュースを飲んだ。

 美味しそうにゴクゴクと飲む姿、コップを離した唇にやはり目が行った。お互いに肩が触れ合うほどの距離だからこそ意識してしまうのだ。


「……っ」

「和希?」


 一度意識しだすと中々頭から離れてくれない。

 こういう時に女性経験の無さが顕著に表れる……まあ霞以外の女性経験なんてそもそも想像できないが、それでも意識してしまうとダメだな。


「ねえ和希、何か悩んでない?」

「……分かるか?」

「うん。当たり前でしょ」


 本当によく気づいてくれる幼馴染だ。

 聞かせてほしい、そう言うようにグッと顔を近づけてきた霞に俺は少し距離を取るように離れてしまった。


「あ……」


 そして、当然そうすると霞が悲しそうな声を漏らす。

 俺は何をやってるんだと自分に文句を言いたくなる気持ちと、霞を拒絶するつもりはないんだという意味も込めて声を掛けるのだが……完全にチョイスをミスった。


「キスをしたいんだけどどういうタイミングですればいいのかわから……はっ!?」

「……キス?」


 途中で止まったけど全部言ったようなもんじゃねえか!!

 慌てる俺とは別に、霞はキスという二文字をブツブツと呟いている。どうしようかこの空気、そう思っていると霞はこんなことを口にした。


「キス、しようよ。簡単、お互いに唇を当てるだけ」

「お、おう……」

「……ん」


 霞は目を閉じて唇を突き出した。

 これは……これはもう逃げられないのか? この期に及んで逃げようとした自分自身にそれはないだろうと喝を入れた。霞がここまでしてくれたのに逃げるなんて流石に情けなさすぎるだろう。


「……?」

「……っ」


 ただ、そこで俺は気が付いてしまった。

 霞も顔を真っ赤にしてプルプルと震えていることに。霞も恥ずかしいのにここまでしてくれた……ならもう逃げるわけにはいかないじゃないか。


「……ほんと、何から何まで引っ張られてるな俺は」


 昔と立場が逆転したような気がして苦笑した。

 さてと、こういう場合はあまり相手を待たせるのもダメだろう。俺はうるさいほどに鼓動する心臓の音を感じながら、ゆっくりと霞の顔を近づいていく。


「っ……」

「……ぅん」


 ただ触れ合うだけのキス、唇の先に霞の柔らかな唇を感じた。

 熱い……体全体がとてつもなく熱い。でも、まるで時が止まったようなこの瞬間がとても心地よかった。


 十秒経つかどうか、そのくらいで俺と霞は顔を離した。


「……キスしちゃったね」

「あぁ……なんつうか」

「なに?」

「幸せだった」

「そうだね……とても幸せだった」


 そうして霞が再び顔を近づけてキスをしてくるのだった。


「……これでもう慣れたし、いつでもキスが出来る」

「そ、そうなのか?」

「うん。和希、もう一回キスをしよう」

「……おう」


 もう一度だけキスをした。

 お互いに顔を離し……って霞? 目が回ってないか?


「……あぁ……視界がぐわんぐわんするぅ」

「霞!?」


 ……その後、俺は目を回してしまった霞を受け止め調子を取り戻すまでずっと抱きしめ続けるのだった。

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