伝家の宝刀を抜け

「……よし、そろそろ準備をしよう」


 一人しかいないリビングで霞はそう呟いた。

 隣に居るはずの和希は友人たちと出掛けており、そこに付いていくわけにもいかないので霞はお留守番だ。ただ、今回に関してはそれがちょうど良かった。


 以前に和希が霞の為にと日頃のお礼を込めてスイーツを買ってきてくれた。

 それだけでも嬉しかったのに、その夜にもまた霞をとことんまで愛してくれた。正直なことを言えば正に幸せの絶頂とも言えるべき日々を霞は生きている。もうこれ以上は必要ない、そんなことさえ思ってしまうほどだ。


「さてと、帰ってくる頃には色々出来てるかな」


 だが、もらうだけではいけないと霞は考えたのだ。

 気にしなくていい、俺がしたいからそうしたんだと和希は言っていたが彼女だからこそその優しさに報いたい。和希の為に磨いた料理の腕を発揮し、いつもよりも豪華な夕飯を御馳走しようと思い立った。


「ふふ、こうやって和希の為に料理を出来るのが幸せだね」


 自分の料理だからこそ自信を持って言えるが、霞の料理は本当に美味しいと自負している。和希も嫌な顔せず美味しいと言ってくれるのが何よりの証拠だろう。いずれ和希の為に作ってあげたい、そんな願いが身を結んで今がある。愛する彼氏の為に料理を作れることが本当に嬉しくて、それを食べて和希が美味しいと喜んでくれることが幸せなのだ。


「取り合えずそうだね……あまり作りすぎてもあれだし。って、これじゃあ普段とあまり変わらないかもしれない」


 和希の好きなものを片っ端から作っても、それだけ量が増えれば逆に和希の負担になってしまう。せっかく作ってくれたのだからと無理をして食べてくれる姿が目に浮かんでしまい、それはダメだと霞は首を振った。


「普通に作ろっか。唐揚げとか魚の白身フライ……ふぐのお刺身も出しちゃえ」


 結局豪勢にしようと意気込んだが普段食べるものに落ち着きそうだった。

 まあ無理に豪華にしようとしても和希に気を遣わせてしまうだろうし、そうなるくらいならいつもよりほんの少し量が増えるくらいでいいかなと考えた。


「ふんふんふ~ん♪」


 揚げ物も大事だがサラダのようなものも大切である。

 和希がいつも美味しいと言って食べてくれるポテトサラダも作ることを決め、和希が帰ってくるまでに全ての準備を終えるために頑張ることにした。


 それから時間が経過し、もうすぐ和希が帰ってくる時間になった。

 料理はもう完成しておりテーブルの上に並んでいる。我ながら良い出来じゃないかと頷き、ここに来て霞はもう一つ和希を喜ばせるための行動に出ることにした。


「何だかんだやってないことがあった」


 和希と色んなことをするようになって、周りに認められるようなラブラブな関係なのは言うまでもない。しかし、まだあの伝説とも言える伝家の宝刀をまだ霞は抜いていなかった。


「服を脱いでっと」


 夏ということで着ていた涼しげなワンピースを脱ぎ、その下のブラとショーツも脱いで綺麗に畳んで置いた。


「装着」


 そして裸の状態からエプロンを着けて準備完了だ。

 後は獲物……コホン、愛する彼氏が帰ってくるのを待つだけである。






「……マズったな。ちと遅くなっちまった」


 六時までには帰ると言っていたのに少しだけ遅くなってしまった。遅くなったとは言っても十五分くらいだが、霞からまだ帰らないのかとメッセージが届いていたのでそれはもう急いだ。


「怒ってはないと思うんだがなぁ」


 流石にそこまで遅くはないので怒られることはないだろうが、それでも霞には謝らないといけないだろう。走って少し汗を掻きながら何とか玄関の前まで辿り着き、玄関のドアを開けて中に入った。


「ただいま~! 悪い霞!」


 今の時間帯ならリビングに居るはずだと思い、俺はすぐに靴を脱いでそのままリビングに向かおうとしたのだが……それよりも早く扉が開いて霞が姿を見せた。


「かす……み……?」

「おかえり和希」


 怒った様子はなく、それどころか俺を待っていたと言わんばかりの雰囲気だった。

 ……っと、それはどうでもいい……いやどうでも良くないんだけど。どうして俺の声が尻すぼみになったのか、それは今の霞の姿に原因があった。


「どうかな?」

「どうかなって……えっと……」


 服を着ずに直接肌の上にエプロンを着けている状態……裸エプロンだ。そう、裸エプロンだったのだ。どうかなと言ってその場でクルッと回ったが下着はやっぱり確認出来なかった。


「……エッチすぎんか」

「その言葉を待っていた」


 いや待ってたってなんでやねん。

 まあでも、愛おしい彼女の裸エプロン姿をはしたないとは思わなかった。彼女がこんな姿を見せるのは俺の前だけだと分かっているし、単純に色っぽく人差し指を口元に当てている姿が妙に似合っていた。


「何だかんだやってなかったしね。ねえ和希」


 綺麗な微笑みだが、やっぱりエッチな雰囲気は隠せていない。俺に近づいた霞は悪戯っぽくこう口にするのだった。


「お風呂にする? ご飯にする? それとも……私?」


 それはもしかしたら男子が言われて嬉しい言葉にランクインするかもしれない。霞の言葉にごくりと唾を飲み込んだ俺だったが、走って来たことで背中に掻いた汗に気持ち悪さを感じたと思ったら、次いでお腹がぐぅっと鳴った。


「……取り合えずお風呂に入ってからご飯にしたいかな」

「……むぅ!!」


 どうやら霞が望んだ答えではなかったらしい、まあ分かってたけど。

 とはいえ、今の俺のお腹の音は聞こえていたらしく霞は苦笑した。


「和希らしいなぁ。早くお風呂とか済ませておいで、今日は和希の大好きなものばかり作ったんだよ?」

「マジか? 分かったすぐに戻るぜ!!」


 そう言って駆け出すフリをして背後に再び目を向けると、霞がリビングに戻ろうとしていた。俺はその背中に抱き着くように身を寄せ、霞のお腹に腕を回して逃がさないように抱きしめた。


「寝る前に霞を御馳走になりたい……なんて?」

「……ふふ、いいよ。私を食べて♪」


 ……むくりと起き上がりそうになる分身に喝を入れて俺は風呂に向かった。

 そうして風呂を済ませてリビングに戻ると霞はちゃんと服を着ており、テーブルの上には俺の大好物ばかりが広がっていた。


「めっちゃ美味そうだな!」

「でしょう? ほら、お腹空いてるだろうから早く食べようよ」


 ……ほんと、こうして霞が料理を作ってくれて改めて思うことがある。

 好きな人が料理を作ってくれるって本当に幸せなことだ。温かな食事と温かな霞の想い……最高に幸せだと噛み締めながら、俺は料理を食べるのだった。




「……ふふ」

「どうしたんだ?」

「さっき私に抱き着いた時にさ、またピンって指で弾いたよね」

「……そうだっけ?」

「やる気スイッチ、案外気に入ってない?」


 いや、だってあんな姿をしていたら普通それくらいの悪戯は……はい、言い訳はしない気に入りました。


 下を向いて照れた俺を見て霞はずっと微笑んでいるのでした。

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