聞こえなくなった声
「……はぁ」
「おい、最近お前そればっかだな」
昼休みの教室でつい溜息を吐いてしまい与人にそう指摘された。
そこまで溜息を吐いているつもりはなかったのだが、与人からすれば気になるレベルだったらしい。
「悪いな……ほんと、どうしちまったんだろうな」
「白鷺さん絡みか?」
「っ……」
霞のこと、そう言われて俺は黙り込んだ。
与人はそんな俺を見てニヤリとしながらも、決して茶化して終わらそうとはせずに話を続けた。
「喧嘩でもしたのか?」
「いや、してない」
霞とは別に喧嘩なんてことはしていない。
別にぎこちないわけでもないし、お互いに遠慮し合う仲でもない。まあ、あの日を境にボディタッチが増えたがそれにドキドキさせられる毎日が続いている。
「見てて分かるけど白鷺さんクラスでもグイグイ来るもんなぁ」
「……あぁ」
そう、最近霞がやけにグイグイと距離を詰めてくる。
その度に俺はクラス中の視線に晒されながらも、そんな霞の行動に文句を言うことも出来ず黙って受け入れていた。拒否……する気なんて起きない。そんなことをすれば霞が嫌な気持ちになるのが分かっているからだ。
「……本当にそれだけか?」
本当にそれだけなのかと思うことがある。
もしかしたら霞は……なんてことを考えるようになったがそれはないなと否定してしまう。俺の心の奥底に居座り続ける誰かが、お前は霞の傍に相応しくないのだと耳元で囁いてくるようで……。
「こいつは重傷だな。なぁ白鷺さん」
「……え?」
与人が霞の名を呼んで俺はつい声を上げてしまった。与人の視線が向く先は俺の背後、俺はまさかと思って後ろに振り向いた――その瞬間、顔面にあの時の感触が再び蘇った。
「何を話してたの?」
「……ちょ、ちょっと霞?」
目元を抑える柔らかさから抜け出そうとしたが、顔を半分動かしたところでガッシリと霞に捕まった。顔の右側半分、耳が完全に霞の胸に沈んでいた。
「いや……まあちょっとなぁ」
「歯切れが悪いね」
おそらく、与人も俺がこうされるとは思ってなかったんだろう。以前に後頭部に胸が当たっていたわけではなく、今回は完全に誰にでも見える光景だ。しっかりと膨らみが形を歪めているのも分かるし、何なら俺の視線の向く先に居る男子は血涙を流す勢いで俺を睨んでいるのだから。
「……霞、俺は目を瞑る」
「うん? いいよ、こうしててあげるね」
その声がとても温かくて優しい、でも俺に刺さる視線はとても痛かった。
まあ男子の視線はともかく朝比奈さんたち霞の友人たちはとてもいい笑顔で楽しそうにこちらを見つめてはいるが……あ、手を振ってきたし。
「それで、何を話してたの?」
「……いや、まあ大したことじゃないんだが」
「話して」
「イエスマム」
おい。
霞の勢いに負けて与人が話そうとしたその時だった。ガラガラっと教室のドアが開く音が聞こえた。相変わらず俺は霞に捕まっているので動けないが、クラスの視線が教室に入ってきた誰かに向いているのが分かる。
そして、こんな声が傍で聞こえた。
「白鷺さん、ちょっといいかな?」
「私?」
霞も予期していなかったのかその声に振り返ったようだ。
その拍子に俺は霞から離れることが出来たので、俺もそちらに視線を向けた。そこに居たのは一つ上の先輩、確か
「少し時間をもらいたいんだ。いいかな?」
「申し訳ないですが暇ではありませんので」
霞の言葉に先輩は苦笑したが、それでも退かずに言葉を続けた。
「以前に手紙を出しても来てくれなかったからこうして直接来たんだ。せめて話だけでも聞いてくれると嬉しいんだが」
「……あぁあの時のですか。行かなかったことが答えなのですが」
「……それはそうなんだけど」
……今少し先輩の眉が吊り上がった気がした。
あくまで俺の見間違いかもしれないが、確かにそう見えたような気がする。仮に霞が呼び出しを受けたとしても昼休みは後十五分程度しかないし、大した話は出来ないと思うのだが妙に諦めが悪い先輩だった。
「先輩、本人がこう言ってるんだから良くないですか?」
「君には関係ないと思うんだけど」
確かにその通りだけど……っ、なんで今関係ないと言われて気に入らないと俺は思ったんだろうか。心臓にチクッと針を刺されたような、そんな不思議な感覚に俺は首を傾げた。
「俺は霞の幼馴染ですから。しつこいのを見たら守るでしょ普通に」
「幼馴染? ……まあどうでもいいけど、だからって君が――」
「関係あります」
う~ん?
おかしい、今度はさっきと違う顔の左側が優しいモノに沈んだんだが。
「和希は幼馴染だけど、私のことを一番理解している人です。私が困っていることに気づいてこうして言ってくれる。あなたなんかよりもよっぽど私のことを分かっています」
「っ……白鷺さん、教室でそういうことをするのは辞めた方が――」
「むぐっ!?」
俺もそれには同意します、なんて思った瞬間に顔を無理やり回されて再び顔面が胸に包まれた。
「なにか?」
「……いや、というか君は――」
「せんぱ~い? 色々聞いてましたけどもういいんじゃないですか? 脈無しってやつだと思うんですけど~?」
この声は倉持さんか。
倉持さんの声が聞こえてしばらくした後、先輩はまたの機会にと言って足音が遠くなっていった。
「私と和希の絆の勝利、ぶい……和希?」
「……霞さん、さっきのこと思い出してください」
「さっきのこと?」
いくら教室とはいえ、この顔全体に感じる感触は大変幸せだ。だが君は結構無理矢理に首をグギッとさせたよね? つまりはそういうことなんだよ。
「……はっ!?」
霞は俺から少し離れ、再び頭に手を当てて反対側にグギッと回した。
「霞……もしかして俺を殺したいの?」
「そ、そんなことないよ!」
慌てる霞の様子が可愛くて、俺はついつい家でするのと同じように頭を撫でてしまった。一秒、二秒とそうしたところで我に返った俺だった。
「……すまん」
「謝らなくても良い、家で続きを所望する」
胸の前でグッと握り拳を作った霞の言葉に朝比奈さんたちが盛り上がった。
「……やるなぁお前」
「……………」
誰か俺を殺してくれ、とまでは行かないが恥ずかしさで死ねる。
……でも、少しだけ気づけたかもしれない。どうして霞と過ごすようになってから目で追うようになったのか、さっき関係ないと言われて心が苦しくなったのか。
「……はぁ」
少しだけ気づいたとしても、それはそれで困ったように溜息が出た。
『お前なんかじゃ釣り合わねえだろ。白鷺にさ』
……はは、聞こえてくる言葉にうるせえと笑えるくらいにはあの時から俺も変わったのかもしれない。
「和希?」
少しでも不安になれば気づいてくれる幼馴染が傍に居る。
その彼女本人が俺に気にするなと言ったのにいつまでもグダグダ考えるのは違うだろう。だから消えろよ、その声はもう必要ないんだ。
『』
もう、声は聞こえてこなくなった。
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