迫り寄る闇
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【手記】
D.1353 炎翠の月12
アグリア平原にて
テーラに向かうには大陸の真ん中を走ったペペ山脈を越えなければならない。ディクライットとテーラ間の開通作業を押し進めている公道を目指して移動していると、魔物に襲われているトーテという街の人々とでくわした。
最近は闇の魔物の噂だけでなく普通の魔物もかなり活発だ。注意して山越えをするべきだろう。
──デュラムが山を超えられるか心配だ。
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【旅の記憶】
その日、僕はペペ山脈に沿って南下する形で旅を進めていた。デュラムの調子は良く、今日はいつもよりも進度が早い。
この大陸は中心にそびえる山脈によって東西に分断されている。ディクライットとテーラ二国間の移動は山脈を越えるか、北に位置するニクセリーヌという人魚の種族の国──彼らは歌を魔法のように扱うらしい──を通らなければならない。
僕が前者を選んだのは五年前から作業が開始されたディクライット=テーラ公道の存在を知ったからだ。作業がある程度進んでいれば北に大きく迂回せずにテーラに行くことができるだろう。
途中立ち寄った馬宿の情報では今日中には公道の入り口に着くはずなのだがいっこうにそれは姿を見せない。道を間違えたのだろうか。
ディクライットの城下町が見える。あちらの方向に城があるなら合っているはず。地図を見直そうと思ったその時、爆音が聞こえた。
城とは逆の方向だ。煙が上がった方を見ると少し遠くで馬車が横転していた。馬車は二台あって、横転した方が爆発したようだ。各々の馬車から逃げるように何人か出てくる。事故?
少し近づいて様子を見ようとした時、再度爆音が鳴り響いた。今度は爆発音というより雷鳴だ。誰かが雷の魔法の詠唱をしている。これは魔物との交戦だ。
「デュラム!」
足で合図を送るとデュラムが勢いよく駆け出した。こういう時の彼は他の馬とは違い勇猛で果敢だ。
馬車に近づくと思った以上の人がいた。馬やスペディ──馬によく似た生き物だ。長い耳が垂れていて、温厚で長距離移動に優れている──が倒れていて痛々しい。そして馬車の向こうから、この惨状を作った犯人が姿を現した。
見たことのない魔物だ。鳥のような容姿だがかなりの巨体で足が長くて大きい。そしてそれは口を開け、そこから炎を吐き出した。一見それは魔物の体の中で生成されたもののように見えたが根本的に原理が違う。あれは魔法だ。火球はみるみるうちに馬車へと近づいていく。
「エーフビィ・ヴァッサー!」
魔物が放った火球に水の魔法をぶつけると二つの魔力は拮抗して掻き消える。しかし次の瞬間、別の方向からもう一つ火球が飛んできた。複数体いるのか。
このままだとデュラムが危ない。氷の魔法で火球を相殺し、彼から飛び降りて魔物の気を引くために雷の魔法を撃った。当たらない。その時、後ろから声をかけるものがあった。
「伏せて!」
突然の指示に従い伏せると、声の主を確認する前に詠唱と雷鳴が轟いた。一閃、雷の魔法の稲妻が網のような形を描いて先ほどの魔物に向かっていった。
けたたましい魔物の悲鳴が響き渡り、一体の魔物が黒煙となって消える。脅威は少し減ったが、未だ火球は平原の上を跳び続けている。
また魔力の消費を大きくしたくないので、剣に水の魔法を込める。振ると水の塊が軌跡となって現れるそれを使って馬車を巻き込まないように火球を斬り続ける。馬車の方にはどうやら護衛が二人ついていたようで、雷の魔法を撃った女性が詠唱しながら僕の方まで近づいてきた。
「援護ありがとう! 積荷に引火してしまって立ち往生してたの。あなた
「少しなら。専門じゃないから大したことはできないよ」
「馬、走らせられるかしら?」
振り返ると馬とスペディは立ち上がっていた。怪我をしているが足が折れているわけではなさそうだ。
「いける……と思う。過信はしないでほしい」
「わかった! じゃあこっちはなんとかするから、馬を動かせたらできるだけみんなを離れたところに誘導するようにもう一人の筋肉バカに言っておいて! エーフビィ・ドナー!」
僕に指示するだけして前を向き直した鋭いつり目の彼女は射るように魔物に雷を撃ち続ける。僕は少し離れた馬車のところまで走ると怪我をしていたのは馬の方だった。興奮気味の彼を撫でながら
もう一人の護衛を探してると向こうから声をかけてきた。ガタイのいい彼はもう一つの倒れた馬車の中の人を外に引き出している途中だった。
「おい兄ちゃん、ありがとうな! あいつなんか言ってたか?」
「あ、君か。さっきの彼女ならみんなを離れ……」
──轟音。
僕の声は言い終わる前に突然の地を鳴らす音で掻き消えた。それと同時に今の今まで話していた彼が馬車ごと空中へと舞う。なにが。
馬車に乗っていた人々の悲鳴で一瞬自失していた僕は我に帰る。空中に打ち上げられ落ちてくる人々がゆっくりに見えた。
「エーフビィ・ヴィント!」
彼らが地に叩きつけられる寸前、できるだけ広範囲に風の魔法を飛ばした。彼らの無事を確認する前に今度は自分の体がはじき飛ばされる。
運良く受け身を取れたが失敗していたら足が折れていたかもしれない。衝撃がきた方向を見るとそこには岩でできた巨大な蛇のような魔物が鎮座していた。
シュヴァンスタール? 小さいものはよく見かけるが、あんな大きいものは初めて見た。先ほどの彼は無事だったようで、大きな斧で斬りかかるがその硬い体には弾かれて通らない。
「エーフビィ・ドナー!」
背後からの詠唱。先ほどの女性が魔法を使う魔物を仕留めてこちらに向かってきていた。しかし雷の魔法も岩でできたその巨体には効いている様子はない。水の塊をぶつけてもびくともしない。どうするべきか。
その間その魔物は尻尾を振り回したりと縦横無尽に動いていた。そんなに動きは遅くないが、機動力のない今、あの巨体に目をつけられたら避けられない。すなわち何もしなければここにいる全員の命はない。
ふと、倒れた馬車が目に入った。さっきの魔物の魔法で引火して爆発したと言っていたが、もしかしてこれが使えるのでは。すぐ近くまで走ってきていた彼女に声をかける。
「積荷の中身はなに?」
「積荷? なんでそんなこと」
「いいから!」
「積荷はほとんどが爆薬……あっ!」
彼女も気づいたのだろう。同時に走り出すと無事な方の馬車へと辿り着いた。
「君、雷の魔法以外は?」
「私は雷だけ……」
「そっか。じゃあ僕が炎の魔法を撃つからあの魔物の近くに爆薬を投げたらすぐに退避して。いいね」
僕の言葉に頷くと彼女は手際よく積み荷を降ろし始めた。周りにいた他の人たちも僕たちの意図を汲んだようで手伝い始める。僕はもうひとつの馬車のほうへと走り魔物の気を引くために水の塊をぶつけ続ける。魔物の大きなしっぽがこちらに向かって振り下ろされた。よし。
ある程度時間を稼ぐと僕の真横を電撃が通り過ぎて行った。あちらは用意ができたようだ。ガタイのいい彼がしんがりとなってほかの人たちは離れた場所へと向かっていく。あともう少し耐えればうまくいきそうだ。
と、その時。馬車の裏に一人逃げ遅れている人を見つけた。薄紫色の髪のその女性は身を縮こまらせて震えている。声をかけると、若草色の瞳と目が合った。溢れんばかりの涙がこぼれる。
「あ、あの、わたし。あし、が。うごかなく、て」
「立てないか。わかった、そこにいて」
あちらは避難も完了し、準備もできたようだ。あとは彼らが爆薬を投げるのを待つだけ。馬車の真上に水の魔法を繰り出す。全身びしょ濡れになり、逃げ遅れた彼女は驚いた顔をする。それと同時に向こう側の彼が爆薬を投げ飛ばした。バラバラになったそれが魔物の巨体にぶつかるその寸前、僕は炎の魔法をできるだけ細い筋にして繰りだす。それが引火するのを見届ける前に爆炎に備えて僕はマントを翻した。
爆発音とすさまじい暴風。マントの中の女性が怪我をしないようにしばらくそうしていると、やがて音と風は収まった。
魔物が絶命した時の嫌な臭い。よかった、成功だ。
ほっと胸をなでおろすと遠くから何人かの声が聞こえてきた。魔物がいなくなったことを確認して、皆集まってきたのだ。
話を聞くと、彼らはトーテという街の住人で、ディクライットからの積み荷を街に運んでいる途中だったらしい。彼らにディクライット=テーラ間の作業場所を聞くと教えてくれた。今いる場所からは少し影になっていて見えなかったらしい。馬車は一つになってしまったが命がなくなるよりはいいとお礼を言ってくれた彼らに別れを告げ、次はそこへ向かうことにする。
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