望郷

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【手記】


D.1348 融雪の月7

雪が深い


 フィリスおばさん、陛下、エインの三人には事情を話してある。

 私の両親が亡くなってからおばさんは母、陛下は父のように私を気遣ってくれた。

そのような人たちのためにも、私は早く戻らねばならない。

 近いうちにエインと連絡を取ってみようと思う。


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【旅の記憶】


 雪がちらついていた。はらはらと舞い散るそれを眺めながら、僕は小さなため息をつく。

 雪を見ると城下町のことを思い出す。僕は生まれてから旅に出るまで、ずっとディクライットの町で暮らしてきたのだ。冬に雪がないほうが落ち着かない。町は今どんな景色だろうか。

 大切に思ってくれていたあの人たちは今何をしているだろうか。そんなことを考えながら、故郷の雪に思いを馳せるのだった──。


***


 それは僕がまだ旅に出る前の話しだ。

 暖かいチョコレートは冷えた体を温める。幼いころと変わらないその味に僕は幾分落ち着いていた。

「それで、ディラン。話って?」

 声をかけたのは、薄い水色の髪にピンク色の瞳。ティリスの母親、フィリスだ。

 少し不思議そうに微笑んだ彼女はティリスにそっくりだ。正確にはティリスのほうが彼女に似たのだが、瓜二つの笑い方を見ているとこちらもつい微笑んでしまう。

 しかし、その和やかな空気も僕の言葉で台無しになるだろう。重たかった口をおもむろに開いた。

「僕は、あなたに謝りに来たんです」

「何か悪いことでもしたの?」

 突拍子のない話だった。彼女は首をかしげていて、僕の罪悪感は増すばかりだ。

 僕は、心を決めて話し始めた。

「僕はある理由のために数日後、旅に出ます。ティリスとの婚姻の儀が近づいたこの時期にこのようなことになってしまいました。おそらく、婚姻の日までに戻ってくることは難しいでしょう。許してくれとは言わない。僕はただ彼女の婚約者として、あなたの大事な一人娘の門出を台無しにしてしまうことについての謝罪をしに来たのです。本当に、申し訳ありません」

 僕が言い終えるまで静かに聞いていた彼女は、一つため息をついた。

「目をつむりなさい、ディラン」

 何だろうか。フィリスのいうことに素直に従うと、ほんの少しの静寂が広がった。

──衝撃。

 剣聖の名に恥じない痛烈な一撃。左ほほに走った痛みに目を開けると、その時には彼女の温かい抱擁に僕は包まれていた。

「おば……さん」

「ごめんなさい、ぶったりして。でもこれであなたの婚約者の母親としての役割はおしまい。ここからは貴方の家族としての私の話をするわ」

「でも僕は……」

「ディラン。あなたはずっと前から私の、私たち親子の家族よ。あなたがティリスを大事にしてくれていることを私は痛いほど知っているわ。そんなあの子との婚姻を無下にしてまで、やらなければならないことがあるのでしょう?」

 目頭が熱くなるのを感じた。そうか、この人は僕ら兄弟が両親を失ったその日から、ずっと僕たちのことを本当の子供たちのように思ってきてくれたんだ。僕はその熱さをこらえながら、どうして旅に出るのかということと、ティリスが今どういう状況なのかということを説明した。

 一通り話し終わると、また少しの静寂が部屋に広がった。フィリスさんはチョコレートの入ったカップを置くと、真剣な目で僕を見つめた。

「……そういうこと。やっぱり、ティリスのためだったのね。ディラン、ひとつお願いを聞いてくれる?」

「必ず生きて帰ってきて。そして、あの子を幸せにしてあげて」

 僕はかみしめるように頷いた。この人のためにも、必ずティリスの呪いを解かなければならない。

「ありがとう。必ず、必ず約束を果たします。どうかこのことはティリスには伝えないでください。僕は死んだことにして、この街を出ていきます。彼女は本当のことを知れば、どれだけ傷つくかわからないから……」

「ええ、そうね。そのほうがいいかもしれないわ。本当に、気を付けていくのよ」

 そういって彼女は僕の額に口づける。再びの優しい抱擁はこれまでのどんな時よりも優しくて、そして力強かった。


 彼女は僕が家を発って見えなくなるまで、ずっと笑顔で見送ってくれていた。悲しげな色が残るその笑顔に胸が張り裂けそうになりながら、僕は次に会わなければならない人のもとへと、向かっていくのだった。

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