魔導士の贖罪

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【手記】

D.1352 明緑の月2

ディクラネカ平原にて


 怪我も大分よくなった。しばらくエスラティオスの元にいたが、彼はどうやら本当にリタの魔導士の闇の王復活を阻止しようとしているようで、私は彼を信用することにした。

 彼と彼の元気なポルシャンに別れを告げ、再び旅に出ることにした。


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【旅の記憶】


 エスラティオスに助けられてから、しばらくの時間が経った。

 部屋でこの辺りの地図を眺めていると、遠くからポルシャンの声が聞こえてきた。

「ディランディラン! ゴハンゴハン!」

 もうそんな時間か。立てるようになってからは僕がご飯を作るようにしている。世話になっているせめてもの礼だ。おかげで夕食前になるとポルシャンが僕を呼びつけるようになってしまった。

 台所に訪れるとエスラティオスがいた。なにやら庭から大きなカボチャを取ってきたようで、魔法で少し浮かせて運んでいた。どすんと大きな音を立てて置かれたそれは少しポルシャンに似ている。

「ふふふ、今日はこれでスープを頼む。ポルシャンが好きでな」

「スープスープ! カボチャカボチャ!」

 ポルシャンが飛び跳ね、台所の食器がガシャガシャと揺れる。エスラティオスはそれを気にも止めずに、その場に転がっていた杖を拾うと壁に立てかける。ポルシャンがいつも嵌っているものだ。

 カボチャを持ち上げるとかなり重量があり、少し力を込めてまな板に載せた。包丁を取り出して炎の魔法を込める。炎は出さないが熱を加えると刃を通しやすくなるのだ。

「ほう、そうすると良いのか」

「うん、熱を通すと扱いやすくなるものは多いよ」

 ふむふむと髭をいじりながらエスラティオスはいなくなり、僕は料理を続ける。切ったカボチャの種をくりぬいて皮をむく。身だけになったらまた熱を通してつぶして、ほかの材料と一緒に煮込むのだ。

 スープだけじゃ味気ないので肉も欲しい。ピッチャーの肉は臭みが強いのでスパイスでよく下味をつけて焼いておく。いい匂いがしてきた。


「今日もおいしそうな夕飯じゃ」

「スープスープ!」

 エスラティオスは夕飯時いつも嬉しそうだ。聞くとそんなに料理は得意ではないのだという。

 ポルシャンは気が向くとき以外はエスラティオスの杖に嵌まっていることは少ない。テーブルの上に乗った愉快な魔物は一口でスープを飲み干すと満足げに跳ねていなくなっていった。

「調子はどうかね?」

「だいぶいい。傷もほとんど治ったし今日は体の動きも良かった。明日の朝発とうと思ってる」

「そうか。それはよかった……と言いたいところじゃが、おぬしの作った飯が食えんのはいささか残念じゃな」

「あはは、旅が終わればいくらでも作れるよ」

「それはうれしいのお。でもわしは人里には下りれぬ身だからな」

「エスラティオス」

「初めて会った時にも言うたじゃろう。この生はわしらが理不尽にほかの人間から奪ったものじゃ」

「……あなたたちのしてきたことはけして許されることではない。でも、あなたは過ちに気づいてからずっと、リタの魔導士たちの目論見を阻止しようと尽力してきた。それが終われば償いは果たされるのでは」

「のう、ディラン。千と三百年じゃ。それほどの時間を生きながらえるのにどれほどの人間の命が必要だと思う?」

「それは……」

「数えきれんのじゃ。わしらが生きながらえるだけならまだしも、若返るほどの命など、数えるほどでは足りない。そしてわしらが不幸にしたのは命を奪ったものだけではない。その周りの人間たちも絶望の底に突き落とした。そう考えると、どんなに贖罪を求めたとしても赦されるような罪ではないのだよ」

「それでも」

「おぬしはまだ若くてまっすぐで、そして優しい人間だ。わしと生活を共にすることによって情も湧いているだろう。だがおぬしはわしがどのような振る舞いをしていたかを知らない。アルベルティーネがお前にかけた呪いのような、そんな酷いことをし続けてきたのだよ」

 返す言葉がなかった。彼がどう言った罪を犯してきたのか、僕は知らない。彼が教えてくれない限りはそれを知る術はないのだ。同時に知らないと言うことは同じ罪を背負うことができないと言うことでもある。

 エスラティオスは食べ終えた食器を持って立ち上がると今までで一番優しい声色で口を開いた。

「どれ。明日、発つ前に手合わせでもしようか。リタの魔道士との戦いかたも少しは知っておいた方が良いじゃろう」


✳︎✳︎✳︎


 放たれる炎の魔法。凄まじい熱のそれを氷の魔法で打ち消すと反対側から風の魔法が襲いかかる。

 捌ききれなかった僕は弾き飛ばされた。体勢を整える前に次の攻撃が繰り出され、襲いかかる氷の礫を雷で撃ち落とすが、その攻撃は止まない。

 連続して強い魔法を撃ち続けている張本人は涼しい顔をして先ほどから一歩も動かない。杖に嵌ったポルシャンは機嫌がいいのかぷよぷよと僕の挙動を眺めている。

 しかも無詠唱だ。この量の魔法を出すのに集中力を全く削いでないのが恐ろしい。このまま防御に徹していてもキリがないので僕は仕掛けることにした。水の塊を頭上に掲げてその強力な魔導士の周りにぶちまける。

 続けて氷の魔法で水を凍らせようとしたその時、凄まじい炎が彼の周りで燃え上がった。水が干上がり、僕の氷の魔法もかき消された。

「攻撃パターンが読める。もっと奇天烈なことをしろ。戦いも意思疎通を取る術の一つじゃ」

 変なことを言う。戦いで意思疎通を取ろうと思ったことはない。僕にとって戦いは自分や誰かを守るために行うものだ。いつだってそれは一方通行で、相手と分かり合えることなどないのだ。

 不意に風が吹いた。彼の長い髭が揺れて僕は魔力の動きを予感する。すると、思っていた方向からではなく、足元の岩が盛り上がった。戦っていた相手の目の前まで勢いよく転がった僕は、彼の手を借りて立ち上がる。

「お互い魔法除けをつけていなくてもこれじゃ。アルベルティーネは私ほど強くはないがそれでも同時に違う魔法を使うことぐらいは容易くできる。呪いをかけるぐらいだ、他の策だってあるだろう。彼女を相手取るなら相手が思ってもみない方法でやらねばならぬ」

「思ってもみない方法……」

「それは自分で考えるんじゃな。今は魔法だけで戦っていたがおぬしには剣もある。使えるものは最大限使うことを考えるんじゃ。最終的にはここじゃ」

 エスラティオスは自分の頭を指差して軽くつつく。本当に頭を使うことで千三百年以上も生きている魔道士たちと渡り合うことができるというのだろうか。

「考えてみるよ。本当に今までありがとう。世話になりました」

「ああ、道中気をつけるんじゃよ。次はどこへ向かうんじゃ?」

「闇の魔物に襲われる前に魔女を見かけたという噂を聞いたのでその周辺を当たってみようと思ってる。……どうかお元気で」

「贖罪を果たすまでは元気じゃ。ありがとうな」

 差し出されたその手を取るとしわくちゃだった。最後に握った陛下の手とよく似ている気がして、僕は顔を上げる。彼の緑色の瞳には寂しそうな自分の顔が映っていた。

 僕はこの人に陛下を重ねていたのか。そのことを認識すると同時に、彼の温かい手が離れた。

「サヨナラサヨナラ!」

「うん、さようなら」

 ポルシャンの声が僕らの別れの時間を告げ、デュラムを迎えに足を動かす。ほんの少しの穏やかな時間が、終わりを告げた。

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