辺境の村
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【手記】
D.1353 炎翠の月6
アシッド村にて
ラスタ=マリリスの近くに位置するアシッドという村を訪ねている。少し前に薔薇の魔女が立ち寄っていたようだった。
彼女の情報と引き換えに村長から村に魔物除けの結界を張ることを提案された。結界の材料を手に入れるため、村の近くに位置する鍾乳洞へと向かうこととなった。
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【旅の記憶】
薔薇の魔女の痕跡を追いかけるため、僕はラスタ=マリリスからそう遠くないアシッドという村に来ていた。長い黒髪で赤目の魔導士がその場所を訪れると言っていたという情報を行商人から聞いたのだ。
アシッドはディクライット領内の村にしては温暖な気候だ。今は夏というのもあってか、歩いているだけでも少し汗がにじむ。鳥たちが賑やかに話し声を立てたり、蝶や虫が花から花へと蜜を求めて渡っていく。のどかで美しい村だ。デュラムも機嫌が良く、しばらく長居しても良さそうだ。
故郷の城下町は夏でも夜になれば少し肌寒く、昼間はとても過ごしやすかった。この気候の違いは大陸を東西に分断するペペ山脈の形の影響だと言われているが、そんなことを研究する学者などはおらず、本当のところはわからない。
入り口近くにデュラムを待たせ、村の看板を潜って少し歩く。すると川のほとりに子供がいるのを見つけた。十二、三歳だろうか、成人よりは少し幼そうな彼らは異邦のものを見つけると駆け寄ってきた。兄妹だろうか、同じ青い目をした二人のうち、真っ先にこっちに向かってきた少女の方が口を開いた。
「おにーさん旅の人? ここはアシッド村。旅に寄るには特に何もない場所だよ」
「うん。ある目的があって、旅をしてる。何もないなんて、そんなことないよ。ここはとても美しい村だ」
「そんなこと言ってくれる人あんまりいないからびっくり。それで? 何か用があってきたんでしょ。あたしたちで良ければ案内するよ」
僕の言葉に目を丸くした少女の肩に、後ろに立っていた少年の手が置かれ、そして彼は僕を睨みつけた。
「チュン、あんまり他所の人に親切にしすぎるな。ただでさえ物騒なんだ。この前だって……」
「お兄ちゃん、それはもう終わったこと。この人はきっとそんなこと言わないよ」
「あはは、すごく警戒されちゃってるな。実は僕、この村自体に目的があってきたわけじゃないんだ。僕の探している薔薇の魔女という女性が、この村を訪れたと聞いてね。何か情報がないかと立ち寄っただけ。どう、少しは安心してもらえるかな?」
「安心するかどうかはあなたの振る舞いによる。だけど薔薇の魔女……多分少し前に来た」
「長い黒髪の綺麗な女の人でしょ。確か髪に薔薇を刺してた。そ……あの人を訪ねてたけど」
「あの人?」
「この村の現村長だ。会ってもいいことは無いと思うけど」
「彼女に関してなら少しでもいいから情報が欲しい。案内してもらえないか?」
少しの間があった。少年は冬の湖のように冷たい瞳でこちらをじっと見つめる。するとしばらくの後、僕に背を向けて村の奥に向かって歩き出した。
「ごめんね、お兄ちゃんは家族以外には厳しいの。でも案内してくれるみたい。私はチュン。お兄ちゃんはアンって言うんだ。おにーさんは?」
「君はお兄さんにとても大事にされているんだね。旅の者なんていい人ばかりじゃない。警戒するのが正しい判断だよ。僕はディラン。よろしくね、チュン」
まだ幼さが残る少女は人懐こそうな笑顔を見せ、先を行く兄の後を追いかける。どうやらこの村は美しい見た目に反した何か薄暗いものがあるような気がした。デュラムはよくても、長居は出来なそうだなと思いながら、僕は彼らについて行った。
村長の家は一目でわかった。周りの家々よりも大きく、そして壁には美しい刺繍の施された飾りがかけられている。ここまで長く歩いたわけでもなく、もしかしたらわざわざ道案内をしてもらうほどでもなかったかもなと思う。しかし嫌がりながらも道案内をしてくれているアンを止める気にはなれなかった。
「ここだよ。俺とチュンはここまで。これであなたは用事を済ませられるだろ」
アンは村長の家から少し離れた場所まで来ると立ち止まり、そして振り返った。何故、と聞き返すには質問されるのを拒否しているような目をしている彼に、僕は静かに頷く。
「ありがとう。道案内助かったよ」
村長の家の前まで行くと、ちょうど誰かが出てくるところと鉢合わせた。長い茶髪を三つ編みにした少女は僕を見ると少し訝しげな顔をして、家の中へと戻っていく。
ノックをしようとすると、その前に扉が開く。中から出てきたのは三つ編みの少女と同じ髪色の男だった。親子なのだろうか、先ほどの少女は彼の腰にしがみついて僕を覗いていた。
「あんた、どこからきた?」
「今は戻るべき場所のない旅人です。僕の旅の目的に関係する薔薇の魔女が、この村に訪れたと聞いて、お話を聞きに伺いました」
「魔女……魔女ねえ。まぁいいや、入んな」
てっきり追い返されるものだと思っていた僕は少し驚いたが、断る理由もない。そうして僕は村長の家へと入って行った。
「で、あんたはなんで魔女を追いかけてるんだ?」
先ほど僕を招き入れた男はスピィエンと名乗り、この村の村長だということだった。村の長と言うにはかなり若いその男は、飲んでいたお茶を机の上に置くとじっと僕を見る。
「あの魔女を手に入れたい?」
「……まさか」
「はっはっは、そんなわけないよなぁ。いくら美人だっつっても怖そうな女だったからな。本当のとこはどうなんだ?」
「それは……」
僕の事情は複雑だ。彼に説明しても怪訝な顔をされて終わるだけだと思った僕はどのように答えるべきか一瞬思案した。その一瞬の隙を逃さなかった村長は、再び口を開いた。
「あんた、魔導士だろ?」
「ああ」
「言いたくねえ事情があんならこっちにも提案がある。どうだ? それと魔女の情報で交換だ」
「少々複雑なのでね……なるほど、交渉がうまいな。それで、魔導士の僕に求める条件は?」
男は値踏みするように僕を見る。情に訴えかけるより対価を払った方が後腐れがなくて楽だと思ったが、一体どんな無茶な条件を突きつけようというのか。
「この村に魔物が寄り付かないようにしてくれねえか?」
「え、それだけ?」
「それだけってあんた……。ご覧の通り小さな村だ。魔法が使える奴なんていやしねえ。おまけに最近は騎士団が来ることも少ないしな。男手も多いわけじゃないし魔物の処理に手を焼いてるんだ。村に近づく魔物が減ればそれでいい」
「なるほど、僕に事情があるようにこの村にはこの村の事情があるわけだ。いいよ、それで行こう。ただしひとつ問題がある」
「問題?」
「ああ、魔物が来ないように魔法をかけるのはいいが、それは僕がいるときだけのことだ。だから僕がいなくなっても効果が持続する依代を探さなきゃいけない。用意できる?」
「依代っていうと具体的にはなんだ? 魔法には疎くてな」
「具体的には核となる魔宝石と、範囲を設定するための石だ。純度の高いものの方が望ましいけどあいにく僕の手元には魔宝石しかない。何か心当たりは?」
「石か……魔宝石だっけ。そいつぁ透明でキラキラした奴だろ。そういうんじゃなきゃいけないのか?」
「いや、種類が揃ってればなんでもいい。透明でもそうでなくても」
「ならいいもんがある。ただ、とりに行かねえとなんだが。黒くてテカテカした石が近くの鍾乳洞でよく取れるって話だ」
「なるほど。じゃあそこに行って石を採集して結界を貼ったら僕は魔女の情報を教えてもらえるということでいい?」
「ああ、交渉成立だ。他に必要なもんはあるか?」
「あー、地図が欲しいかな。村の形状を知りたい」
スピィエンは待ってろというと部屋の奥に引っ込む。彼の消えた方に目を向けると、物陰から見ていた先程の少女と目があった。
「君、村長さんの娘さん?」
少女はフルフルと首を振るとまた部屋の奥へと引っ込んでしまった。人見知りなのだろうか。
そんな間にスピィエンは戻ってきて村の地図を開いた。指で村で一番大きな建物を指し示す。
「待たせたな。ここが今いる場所だ。結界はここからここまで張ってくれればそれで大丈夫だ」
「ふむ……あれ、ここはいいの? 建物があるようだけど」
「そこは物置みたいなもんだ。無視してもらっていい」
スピィエンは持っていたペンで勢いよくその小屋にバツをつけ、地図を丸めると僕に寄越した。僕は受け取った地図を紐で結えて鞄にしまう。
「おそらく少し時間がかかる条件だ。その間はうちに泊まっていいから、好きに使ってくれ」
「ありがとう、世話になる。今日はひとまず洞窟の方を見てみる。また戻ってきてから案内してくれると助かるよ」
頷いたスピィエンを背に、僕は家を出た。頬を撫でるアシッドの風は木陰で暑さが弱まって、少しここちがよかった。
例の鍾乳洞へ向かおうと歩いていると、不意に服の裾を引っ張られた。驚いて振り向いた僕の目に映ったのは、先ほどの家にいた少女だった。
家にいた時にはもう少し幼く見えたが、外で見ると思ったより大人っぽい。道案内をしてくれた二人と同じくらいの歳の彼女は、僕と目が合うと口を開いた。
「お兄ちゃん」
「君は……」
「お願い。あそこね、アンとチュンのお家なの。あそこも魔物が近づかないようにしてほしいの」
「あそこって、物置だってとこ?」
少女は頷くと再び口を開く。少女の深い茶色の瞳が僕をまっすぐ見つめていた。
「私はチャチャ。前の村長の孫娘。昔は、あの子たちと私はずっと一緒にいたの。今は一緒にいられなくなっちゃったけど、私はあの家族に危ない目にあって欲しくない。だから、お願いお兄ちゃん」
なぜスピィエンは人が住んでいる場所を結界から除外しろなどと言ったのか、この村はどうも不可解だ。アンとチュンの家族がなぜ村長からそんな扱いを受けるのかは気になるが、関係のない旅人が踏み込むような事情ではなさそうだった。しかし……。
「うまくやるよ。ただ、このことは」
僕が唇に人差し指を当てる動作をするとチャチャの表情が明るくなる。素直に頷いた彼女は手を振りながら去っていく。
「絶対だからね、お兄ちゃん!」
さて、少し仕事を増やしてしまったが目的の場所は変わらない。僕はその場所に向かうため、デュラムが待つ村の入り口へと向かっていったのだった。
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