リタの魔導士

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【旅の記憶】

「ティリス!」

 見慣れない天井。延ばした腕の先には僕が先程まで見ていた愛しい人はなかった。

 夢……? 息が上がり、汗が噴き出していた。

 急に動いたからか、全身が痛む。

 見回すと、シミが所々に散らされた落ち着いた色の壁が広がっていた。大きな本棚がずらりと並んでいる。陛下の書庫にどことなく似ているその部屋のベッドに、僕は寝かされていた。

 ここは一体……。しばらく思案していると、不意に部屋の扉が開いた。

「やっと起きたか。その様子だともう少し休んだほうがよさそうだな。どれ、どうせ話し相手もおるまい」

 妙になれなれしいその人は長く黒いひげを三つ編みにしており、その髭が挟まらないように気を付けながら僕がいるベッドの端に座った。僕が髭を気にしていることに気が付いたのか、彼は目を細める。

「私の自慢なのだよ」

「ジマンジマン!」

「私の杖は喋るポルシャン付きなのだ、お得だろう?」

 彼の持っていた杖の上部に張り付いている魔物が、甲高い声を上げた。僕が目を丸くすると、彼は嬉しそうに笑う。茶目っ気のあるお爺さんだ。

「……あなたが助けてくれたのですか?」

「いかにも。まあ、知らせてくれたのはおぬしの賢い馬じゃがな。やたら興奮した様子であったから、ついていったのじゃ。安心せえ、彼は家の前に繋いでおる。あのような魔物に襲われてもう生きとらんかと思ったが、驚くことに息をしているではないか。焦って馬車の荷を捨てて空きを作ったよ」

 結構捨てたがいらないものばかりでよかったよ、と彼はまた笑う。

「それで……お主、名は? 私はエスラティオスという。どれ、当ててみるかのう。ディクライットの服を着ていて、倒れていたからうう~ん、タオレット! ……どうじゃ?」

 愉快だ。自分で言って、自分で笑っている。つられて、僕も口の端が緩んだ。

「そうだ、それだ。どんなに辛いときでも、笑顔というのは人を希望に導いてくれる。世が暗くなってきたときの知恵じゃよ」

 不思議なことをいうその人に、警戒心が薄らいでいく。

「……ありがとう。僕はディラン。ディラン・スターリンといいます」

「おお、見事に外れておったな。はは、タオレットなぞつける者はおらんか。……して、ディラン。なぜあのような魔物に襲われておったのじゃ? まさか自ら命を絶とうと噂のあるあの地域に行ったわけではあるまい」

 偶然居合わせた……などと嘘をつきたいところだったが、陛下に似たその瞳にはとても真実以外のことは言えなさそうだった。

「僕は今、ある人を救うための旅をしています。その手がかりを探すため、あの場所を訪れていました」

「手がかり? あのような場所に何があるというのだ?」

「……そこにいた魔物が目的でした」

 驚いた、という彼に僕はその魔物に似たものを以前見ているということ、そしてその魔物と僕が探している薔薇の魔女に関連がありそうだということを話した。

 薔薇の魔女。その言葉に彼は少し目を細めた。

「……して、そなたが助けたいと思っているのは一体誰だ? まさかその魔女ではあるまい。大切な人なのだろう?」

「ええ。僕が救いたいのはディクライットに住む女性。初代剣聖である母親を倒し、二代目剣聖となったとの噂を聞きました」

「剣聖……フィリス・バスティードの娘、ティリスだな」

「なぜ彼女を?」

「……ディラン。そなたは大変なものと戦っている」

「どういうことですか?」

 剣聖ともなればディクライットから離れた土地でもその名は届くのだろうか。ふとみると、先程までの穏やかな雰囲気とは一変し、彼の表情は真剣なものへと変わっていた。

「……私の話を聞いてくれるか?」

 真剣なその瞳に、僕は頷くしかなかった。 一呼吸置いた後、彼の口が再び開いた。




「昔、リタの魔導士という組織があった」

「創始の伝承に残る闇の魔導士のことですね」

「そうだ。そしてそれは伝承ではない。現実に存在し、今もこの世界にある者たちのことだ」

 突拍子のない話だった。伝承の話が現実だとして、それがティリスの呪いとこの人と、何の関係があるのだろうか。

「私と薔薇の魔女、アルベルティーネはとても古い友人だ。そして、リタの魔導士の一員でもある。いや、私に限ってはだった、というべきか」

「あなたと、アルベルティーネがリタの……でも、それが本当だとしたら何千年も生きていることに……」

 アルベルティーネはまだ若い女性だった。しかし彼は初老の男性だ。それは……。

「それは後で説明しよう。……闇の王ダンケルヘルトがいなくなった後、私達は指導者を失った。そして彼を復活させようと計画を始めたんだ」

「でも、ダンケルヘルトは始まりの精霊と最初の人間によって滅ぼされたはず」

「伝承ではな。実際は封印されただけだった。だからこそ、その復活に尽力をささげる者もいた。その一人がアルベルティーネだ」

「あなたがリタの魔導士で、アルベルティーネが闇の王を復活させようとしている……本当かどうかは別として、それがティリスを救うことと何の繋がりがあるのですか?」

「……闇の王復活には膨大な時間と労力がかかる。アルベルティーネが未来を見通せる種族であることは知っておろう?」

「ええ。黒い髪に赤い瞳。エンテイ族の特徴です。僕らディクライットの人間はその能力に幾度となく助けられてきました」

「その力こそが、今君たちをこのような目に遭わせている原因だ」

「どういうことですか?」

「彼女本人から聞いた話だ。将来我々リタの魔導士が闇の王復活に近づくその時に、ディクライットの剣聖、そして優秀な魔導士に邪魔をされると」

「闇の王の……復活の邪魔……剣聖が……」

「はじめ、私は初代剣聖と現王クラウディウスのことかと思うておったが、彼女はまだ若い二人だという。そして、君と新しい剣聖である彼女を脅威になる前に葬り去ろうという算段を立てたのだ」

「それがティリスへの呪い……だと」

 いかに疑いが大きくてもまだ信じていたかった人だった。両親の葬儀に来てくれたような人だ。それがまるで初めから味方ではなかったと言われてしまった。腕輪のことも何か理由があるか、まちがいでのことだと思いたかった。

「しかし、あなたは何故僕にそのようなことを話すのですか? あなたもリタの魔導士ならば、アルベルティーネの仲間。今すぐに僕を殺してしまってもおかしくないはずだ」

 僕の口にした発言は死を伴う危険のあるものだ。しかし、彼の口ぶりからは何故か僕に対しての敵意などは感じられない。むしろ好意さえ感じられる優しい眼差しで彼は僕をまっすぐ見つめていた。

「……長く生きるのに、疲れてしまってな」

 そう、彼がぽつりと言った。

「先の話で、大昔から存在している私たちのことを不思議に思っていただろう。無論、それは普通の人間では成し得ることのない長い寿命だ。私たちは魔導士と名のついている通り、強大な魔法を扱える者たちとして生み出された。そして、他の者の寿命を奪い、自分が若返り、その命を永らえる魔法も使うことができたのだ。私達リタの魔導士たちは、そうやって何百、何千もの時を生き続けてきた。他の人間たちの命を奪って」

 とても信じられない話だった。人の寿命を奪うなど……。アルベルティーネは、僕が出会ったころにはまだ少女だった。何千年も生きた人間がそれほどの若さを保てるほどの量の人間の命とは……。

「信じなくともよい。しかし、いやになってしまったのだよ。アルベルティーネは、まだ若く美しい。しかし私はどうだ? 寿命を奪うことをやめたら、本来の老いが進み始めた。かれこれやめてからもう五十年は経つ。私はリタの魔導士たちの考えは間違っていると思っている。闇の王の復活なぞ、あってはならないことだ。私は、私の罪深い人生の最後に罪滅ぼしとして、お前に協力したいと思っているのだよ。それに……いや、これはいい」

 言いかけた彼のその言葉の続きが少し気になったが、その悲しみを帯びた言葉に、僕は心を痛めた。

 しかしこの人を信用してもいいのだろうか、薔薇の魔女が完全に敵だとわかった以上、かつての仲間であった彼の言葉をすべて鵜呑みにしてもいいものなのか……。

「私を信じるのはじっくり考えてからでよい。傷が治るまではここに居るのがいいだろう」

 彼が出ていった後にはポルシャンがなにか言う声が段々と遠ざかるのみだった。



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【手記】


D.1352 新緑の月18    エスラティオスの自宅にて


まず、記載できていなかった闇の魔物の調査について書く。

 ・以前の竜型のものとは異なり、人間を模した形だった。

 ・いくつか種類がいる可能性が高い。

何らかの関連性がある種族である。

 ・対処法は不明。

前回は急に爆発し、今回は不意に襲われて気を失ってしまった。


 闇の魔物に襲われた後、エスラティオスという魔導士に助けられた。彼の話を以下にまとめる。

・エスラティオスと薔薇の魔女アルベルティーネは伝承に伝わるリタの魔導士であり、薔薇の魔女は遥か昔に封印された闇の王ダンケルヘルトを復活させようとしている。

・薔薇の魔女はエンテイ族の力で未来を予見し、ティリスと私がいずれダンケルヘルト復活の邪魔をすると考え、私たち二人を闇に葬る計画を立てた。

・エスラティオスは恐ろしい方法で命を永らえていたリタの魔導士であったが、闇の王復活の儀式を進めるかつての仲間と考えが合わず、今まで人の命を奪っていた罪の意識から、私に協力を申し出てくれた。


 まだ半信半疑だが、彼を信じてもいいと私はそんな予感めいたものを感じている。

私は、彼の協力を得ながらアルベルティーネに近づけるよう、努力するつもりだ。

まずは闇の魔物の痕跡を探ろうと思う。

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