薔薇の魔女の館にて

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【手記】


D.1347年 深雪の月27

薔薇の魔女の住む森内

荊に遮られて、少し暖かい。


アルベルティーネの館にて得た情報を記す。

・呪いは“紫水晶の伝承”に基づく。(故に私も含め、死に至る)

・騎士団での調査時に被呪(D.1347新雪27 紫水晶の洞窟)

・解呪方法不明。(現地に訪れ、手がかりを探す)


 目ぼしい情報はなかったが、アルベルティーネは私に協力的だ。

 私とティリスが呪いにかかっていることは疑う余地がなく、私は薔薇の森の中でこれを書いている。

紫水晶の洞窟へはここからだと七日ほどだ。


魔女から魔除けの腕輪を受け取った。役に立てば良いが。


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【旅の記憶】


 鬱蒼と茂る薔薇の棘が無数に広がり、僕の行く手を阻害する。


 うろ覚えながらも以前通ったことのある道──道といっても前に訪れた時からは何年も経過しており、今はもう完全に獣道と呼ぶより他にない──の茨を短剣で切りながら進んでいく。

 薔薇は彼女の一部のようなものだ。魔女はきっと僕が訪ねてきたことに気付いているだろう。

 小さな棘が体に当たり、文句を言うようにデュラムが低く唸った。

「僕も棘は嫌いだよ」

 彼の体についた小さな傷を治しつつ、僕は先ほどよりも広めに茨を切り開いて前に進んでいった。


 薔薇の魔女アルベルティーネ。彼女が自らの住処としている館の周りに薔薇を張り巡らせている理由は、おそらく彼女自身が他人とのかかわりをあまり望んでいないからなのだろう。

 しかし滅多に人の前に姿を現さないという彼女も、僕の両親とは関わりが深かった。今は亡き両親と彼女がどういう経緯で知り合ったのか聞く術はないが、前にここを訪れたのはその両親に連れられてのことだ。あまり覚えてはいないが、彼女はまだ若い少女だったと思う。

 未来が見える少女。彼女がなぜこんな森の奥に一人で暮らしているのか当時は想像もつかなかったが、今ならなんとなく理由がわかる。両親は彼女に対して、とても優しかったのだ。それは一重に、彼女が孤独であったからだろう。その親しさを伺わせるかのように、彼女は両親の葬儀にはその姿を見せたのだった。


 唐突に、茨が開けた。


 目の前に突如現れた大きな洋館を見上げ、僕は安堵の溜息をついた。絡みついた茨を避けデュラムの安全を確認してから、彼の手綱を近くにあった木の幹に括り付ける。

 待っていてとデュラムに声をかけると、彼は答えるように小さく尻尾を揺らし、僕は一つ頷くと館のほうに足を進める。


 薔薇のツルが館を覆うように広がっており、所々にその花が目を引く紅を見せている。館に来るものを拒むような棘と美しい花弁の落差がなんだか不吉だ。

 ふと、縦に長く伸びた窓の中に動く人影が見えた。

──薔薇の魔女だ。


 白いペンキで塗られた大きな扉の前に立つ。備え付けられた鈴は少し錆びていて、それを鳴らすと控えめだが通りやすい澄んだ音がした。

「エドワード・スターリンの息子、ディランです。伝書の件で参りました」


✳︎✳︎✳︎


「紅茶は嫌いか」

 呆けていた僕に言葉を投げかけたのは魔女だった。紅茶を片手にしたその魔女は不満げな表情で自分の茶器の中のものを啜る。

「いや、頂くよ」

 この部屋の内装に圧倒されていただけで、紅茶が嫌いなわけではないのだ。啜ると液体の熱さが伝わり、胃に流れ込んで行くのがわかる。ほんの少し薔薇のような甘い香りがする。茶器を置くと添えられた薔薇が少しずれ、音もなく机に落ちた。

 それにしても見事に薔薇に囲まれている家だ。外壁に絡み付いていたツルは窓の隙間から中に入り込み、その鮮やかな紅を僕に見せつけることを楽しんでいる。


「で、伝書の件なのだけど」

 僕が話を切り出すと、彼女は初めてこちらを見た。薔薇と同じ色をした瞳に捉えられ、一瞬息が詰まるような感覚に陥る。彼女が目をそらしたことに安堵すると、今度はその口が開いた。

「まず、お前が抱いている期待のようなことは起きない、ということだ」


──心を読むような言葉。


 彼女はこの伝書が間違いであってくれればよいのにという僕の心が分かったのだろうか。

「予知夢を見たのは伝書を遣わした前日の晩だ。起きた時には冷や汗が止まらなかった」

 冷たい印象とは対照的に感情的なことを口にする彼女に、僕は口にしたくない言葉を投げかける。

「その夢によると、ティリスは死ぬと」

「ああ、しかし、夢の中で死んだのは彼女だけだが、これがたとえば……いや、これは予知夢であるから、遅かれ早かれお前も死ぬ運命にある。しかし私たちエンテイ族は今現在で定まっている未来しか見ることはできない。だからこそそれを回避するため、お前をここに呼んだのだ」

「それで……何故周りの人間との関わりを絶てと」

「それはいたって単純な理由だ、スターリン。君たちは今、ある呪いにかかっていると言っただろう。その呪いの中心となっているのは君だ。君の周りの人間にも悪影響を及ぼしかねないほど、強力な呪いなのだよ。君ほどの魔法使いであれば分かるとは思うがね。それで、私の言ったことはやってきたのか」

「安心してくれ。僕は死んだことになってる」

 正直、ティリスへの呪いの程度がどれほどなのか僕にはわからなかった。おそらく魔法と呪術に関しては少し差異があるものなのだろう。

 少し不安げな声色に変えた彼女にはこういったが、実際のところ僕は彼女の言いつけを守っていない。ほとんどの人間に別れを告げてきたが、一人だけ連絡を取れるようにしている者がいるのだ。

「そうか、ならいいのだが」

「ああ、ところでその呪いというのは」

 僕の嘘を見抜いているのか、少し気にかかる様子の彼女に悟られないよう僕は尋ねる。

 飲み終えた茶器に自ら紅茶を注ぐ彼女の長い黒髪が、机に垂れた。そしてその口は聞き慣れた響きを口にする。

「紫水晶の伝承は知っているだろう?」

「よく聞く話だけど、まさか本当にそれがあるなんていっているの?」

「この手の話は有名なものほど真実であることが多い。紫水晶の伝承は呪いも本物だ」

「そもそも僕は信じていなかったから、ちゃんとした伝承も知らないんだ。聞かせてもらえないか」

 知らずにここにきたのかとでも言いたげな目で僕を見た彼女は紅茶を一口飲むと分かった、話そうと返事をした。


✳︎✳︎✳︎


 昔々、ディクライット王国のある街で一組の男女が婚姻の儀を迎えようとしていた。

 幸せの絶頂である彼らがまさにその儀を終えようとしているその時、不幸にも突然の稲妻が新婦の体を貫いた。

 轟く雷鳴、愛する人を瞬く間に失った新郎。絶望の淵で彼は願いを叶えてくれるという紫水晶の伝説を思い出した。

「彼女を生き返らせてくれ」

 彼は一縷の希望に縋るようにと伝説の元となった水晶を見つけ出し、懇願した。

 しかし伝説はただの噂。紫水晶もただの石。願いを叶える力などなく、その美しい紫色の光をたたえた石は、物言わず佇んでいた。

 もう彼女は戻ってこないのだ。彼を悲しみの底から引き上げてくれるものなどなにもない。その事実に絶望した彼は花嫁になれなかった彼女を追うようにその美しい輝石の前で自害した。

 彼が命をたったその後、紫水晶は彼の血を吸ったかのようにその数を増やした。やがてそこは紫水晶の洞窟と呼ばれることとなった。

 男の無念は怨念となって紫水晶を呪い、その呪いは過去の男と同じ境遇にあるものを餌食とする。婚姻の儀が近い男に取りつき、花嫁とともに彼らと似たような末路を辿らせるのである。


 そして呪いに蝕まれた者たちの血を吸って、紫水晶はいまだにその数を増やしているという……。


✳︎✳︎✳︎


「……とまぁ、こんなところだ。紫水晶の洞窟は実際にある。お前はそこに心当たりがあるのだろう?」

 話し終わった彼女は少し冷めた紅茶を優雅に口へ運んだ。


「ああ、ちょうどひと月ほど前のことだ。騎士団の調査でそれと思しき洞窟を訪れた。まぁ、紫水晶がかなり採掘できそうな洞窟だったけど、最奥に非常に大きい結晶があるだけで、それ以外は特に異変もなかったのだけどね」

「呪いは婚姻の儀が近い男女以外には無害だから、異変はなかったのだろう。彼女の呪いのしるしは見たのか? 髪が……」

「そう、髪色だ。先が紫色に染まっていた。それのことだろう? それに前触れもなくティリスの近くに雷が落ちたこともある。……それで、どうすれば彼女を助けることができるんだ」

 結論を急く僕に対して、魔女はゆったりとした動作で茶器を置き、そして再び僕を見た。

「まず、その洞窟に行くことだ。呪いが発生したならば必ずそこには何かしらの痕跡が残る。私はここから外に出ることはできないから、調査が終わればまたここを訪れてほしい。その調査次第で今後の方針が決まるだろう」

「いくら高名な薔薇の魔女でも、実際に見ないとわからないってわけか。わかった。では今すぐに出発するよ」

 僕が半ばせっかちな風に立ち上がると、彼女は待てと言って棚の引き出しを開けた。何やら皮に包まれたものを僕は彼女から手渡された。

「これを持っていけ。大したものではないが、魔物除けになる」

「……助かる」

 彼女が差し出したのは銀細工が施された腕輪で、それを受け取ると僕は館から足を踏み出した。


──外は、もう赤く染まり始めていた。

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