薔薇の丘を臨んで
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【手記】
D.1347年 深雪の月24
マントを羽織らなければ少し肌寒い。
初めにこの手記に記入してから少し時間が空いてしまった。
私が旅に出た理由は以下の通りだ。
一通の伝書で全ては始まった。
ここにその伝書の内容を記しておく。
✳︎✳︎✳︎
親愛なるエドワード・スターリンの息子
ディランに宛てる
久し振りの伝書だ。
近況を述べたいところだが時間がないため、急ぎ用件のみをしたためる。
ティリス・バスティードが死ぬ夢を見た。
お前が察する通り、これは予知夢である。
遅かろうが早かろうが、これはいずれ確実に起きるだろう。具体的には会って話すが、彼女……いやお前も含めてお前達二人はある呪い──古くからよく耳にする紫水晶の呪いだ──にかかっている。呪いの印は彼女の髪に示されている。
もしこの話を信じるならば、即刻婚姻の儀を取りやめ私の元に急げ。
親愛なるスターリン夫妻の友として、私はお前達を助けたい。この手紙を信じてくれることを祈っている。
-追伸-
長い旅になる。
全てのものに別れを告げ、十分な準備をしてくるよう。
1347年深雪の月3 アルベルティーネ
✳︎✳︎✳︎
突拍子のない内容だった。
もし私がこの件に関してなんの心当たりもなければ、返事の伝書を飛ばして婚姻の儀の準備に戻ったことだろう。
しかし私はこの伝書が届く数日前に仕事で呪いの噂がある場所に赴いていた。
加えて差出人は私が最も信頼のおける魔女だということ、そして記述のとおり彼女の髪に呪いの印が現れていたことから、自ら旅に出る結論を下した。
かくして私は、祖国の全てに別れを告げたのだ。
後三日ほどで薔薇の魔女アルベルティーネが暮らす館に到着するだろう。できればこの伝書が何かの間違いであればよいのだが。
──もしそうだった場合私は少々祖国に帰りにくいため、その際はこの手記を燃やしてから何か方法を考えるとしよう。
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【旅の記憶】
一面真っ青な花が咲き乱れる丘。
ディクライット城下町に住む僕は、可憐な少女に手を引かれてここまでやってきた。嬉しそうにあっちの花が綺麗、こっちの花も綺麗と言って笑う彼女を見ていると、自然と目を細めてしまう。
「ディラン、こっち! これならあなたにも似合いそう!」
「あはは、ティリス。僕よりも君の方が花は似合うよ。ほら」
咲き乱れていた花々からより美しいものを選んでいくつか摘むと、魔法で作り出した紐でその茎を結んでいく。それは華やかなブーケになって、彼女の容姿を彩った。ブーケを受け取った彼女の常盤色の瞳が宝石のようにきらきらと輝く。
彼女の髪は花とよく似た澄んだ青色だ。その花のティエリシアという名が彼女の名前の由来になったという話を聞いた時、僕は心底頷いたのだった。
「素敵、ありがとう! ……ディラン?」
心配そうな彼女の瞳に見つめられて、呆けていた僕はようやく我に帰る。
「……ふふ、今日も綺麗だね」
「急にどうしたの?」
「僕はティリスのことが大好きだからね」
「ふふ、なにそれ。私も大好き」
ティリスは心底おかしそうに微笑んだ後、自分が返した言葉に気づく。恥ずかしそうに紅潮した顔を背けた彼女の手が僕の手に触れて、その暖かさを握りしめた。
どんな場所にもある、幸福の一節。
そんなささやかなものを諦めきれなかった僕は、長い時を犠牲にすることになるのだ。
✳︎✳︎✳︎
冬の薔薇の丘は冷たい風が吹き荒ぶ。
薔薇の丘と人々は言うが、ここには薔薇が咲き乱れているわけではない。ここがそう呼ばれるのはこの先に同じ花名を冠した森があるためだ。
僕が住んでいる──いや、住んでいたといったほうが正しいだろうか──なんにせよ、このディクライット王国の領内にあるその森は鬱蒼と茂る薔薇の茨が気味悪く、魔物も多いため滅多に人が寄り付かない場所だ。
そんな森の中、僕はある人を訪ねて歩いている。
一通の手紙が届いた。それが全ての始まりだった。
差出人は西の森に住む〈薔薇の魔女 アルベルティーネ〉。彼女は未来を予言するとして、僕が所属していた騎士団の中では絶大な信頼を置かれている優秀な魔女だ。
血潮のように紅い瞳と夜を纏ったような漆黒の髪の色は未来を見通す種族のそれで、地につくほど長く伸ばした髪とゾッとするほど美しい容姿もまた、彼女を象徴するものの一つとなっている。
彼女からの伝書は決まってシュヴァルファウ──小さな黒孔雀のような生き物だ──の足に括り付けられて送られてくる。その伝書には必ず真っ赤な薔薇が一輪添えられていて、それが皆に彼女を薔薇の魔女と呼ばせている所以である。
伝書の内容は完結だった。ある女性が死ぬ夢を見た。そこに記された僕が愛する人の名。
僕は悩んだ。この伝書は僕が全てを捨てて旅に出ることを望んでいる。今ここで僕が旅に出てしまえば、僕は彼女と交わした婚姻の契りを破ることになる。それは彼女への別れを意味している。契りを交わした男女が婚姻の儀を取りやめるということはそういうことだ。
しかし、僕が旅に出ることを決めたのには根拠があった。
手紙の送り主が僕自身も信頼を置いている魔女であること。魔女が言った呪いについて心当たり──僕はこの伝書が届く数日前に呪いの噂がある洞窟へ訪れていた──があり、それが皆に知られている不吉なものであること。そして彼女の髪に変化があったことだ。
正確な日付は覚えてはいないが、彼女の美しく蒼い髪の先が血に浸けたかのように紫色に染まっていたのだ。本人はそこまで気にも留めていない様子だったが、切った先から色が変わると不思議そうな表情を浮かべて話していた事を覚えている。また、彼女の髪の色の変化に気付いた数日後、天気が悪いわけでもないのに彼女の真隣りに雷が落ちたことがあった。
彼女が死ぬという予言。それは僕にとって苦痛でしかなかった。
愛する者の死。それを告げられた者がその回避を望まないことがあるだろうか。僕は彼女を愛している。だからこそ僕は自分の地位や仲間、帰る場所までも犠牲にし、彼女を助ける旅に出ることを選んだのだ。
これがこの旅における僕の決意だ。しかしまだ僕は半ばその伝書を信じられないでいた。もしかしたらこの予言が間違いではないか、と密かな期待を胸に抱いたままなのだ。
祖国の街は白銀に染まって、日光を反射して輝いている。あそこには僕の大切なものがたくさんある。しかしそれに背を向けると、僕はたった一頭の連れと共に歩みを続ける。
愛馬のデュラムが故郷の空気を求めて寂しげにいななく。薔薇の森は近づいていた。 丘の半ば、少し開けた場所までたどり着くと、僕はデュラムの歩みを止めた。
「今日はここで休もうか」
僕は彼の美しい黒毛を撫でながら、そう小さく囁いた。
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