愛しい人①

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【手記】 ︎


D.1348 環雪の月6     ディクラネカ雪原にて


 雪原に降りしきる雪は故郷に降るそれとよく似ていて、愛しい彼女の姿を思い出す。

 私が辛いとき、いつも隣にいてくれたのは彼女だった。

 私は、何がなんでも彼女を幸福にしたいのだ。彼女の呪いを解いた後、私が近くにいないことが彼女にとって幸福なら、それをも厭わないと思っている。

 彼女の呪いに関する情報は掴めなかったが、僕はどうにかして必ず、彼女を救う。


 なぜなら私の幸福は彼女の幸せの上にあるのだから。


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【旅の記憶】


──天かける星々。

 その無数の煌めきを仰ぎ僕らは互いの温もりを感じる。

 ディクライットでは年に一度、星が流れる夜が存在する。それは決まって夏に起こり、動物達が騒ぎ出した次の日の夜、星は流れる。僕らは毎年、それを見ていた。

 僕らが契りを交わしたあの日も、僕が彼女を守ると決めたあの時も、眩いほどに輝く彼らは、僕らをずっと見守っていた。




 彼女との出会いはまだ僕が幼かった日のことだ。

 その日、僕と弟のロナウドは両親に連れられディクライットの郊外の家へと連れてこられた。

「今日はとても素敵な日よ」

 母はいつもにも増して優しい笑顔を見せたが、なにも聞かされていない僕らは顔を見合わせる。

 その素朴な家にノックをしようと父がドアに近づいた時のことだ。先に扉が開いた。

──飛び出してきた青。

 その美しさに僕は心を奪われてしまった。呆けている僕と目が合うと、エメラルド色の瞳をキラキラと輝かせながらその可憐な少女は声を響かせた。

「あなたがディランね! 私はティリス。あなたたちをずっと待っていたの! よろしくね!」

「よ、よろしく……」

 勢いに負けた僕の手を取り、彼女は微笑む。僕は何だか少し恥ずかしくて目を背けたが、彼女はすぐ僕の後ろに目をやった。

「あの子がロナウド?」

 彼女が首を傾げて微笑むと、ロナウドは慌てて母の後ろに隠れる。僕の弟は人見知りなのだ。不安そうにこちらをのぞく彼の方に向かおうとしたティリスを静止する人がいた。

「こらこら、ティリス。そんなにはしゃいだらお客さんがびっくりしちゃうわよ。いらっしゃい。スターリン家の皆さん」

 少女の肩に手を置いたのは薄い水色の長い髪を一つに結わえた美しい女性で、その後ろには白髪の優しそうな表情の男性が僕らを向かえるように立っていた。

「ああフィリス、ハンネス。紹介するよ。僕らの大事な息子たち。ディランとロナウドだ」

 父の温かい声が僕らを紹介する。ああ、今日はこの人たちに会いに来たのか。元々仲が良かった両親達が僕らを引き合わせてくれた。それがバスティード一家との出会いだった。


 それから僕らが仲良くなるのに、さほど時間はかからなかった。ティリスと僕とロナウド、そして以前から家が近かったチッタも一緒に毎日のようにディクライットの街を駆け回っていた。

 チッタはディクライット族がほとんどを占める城下町では珍しい狼に変身できるジェダンという種族だったが、そんなことは僕らには関係なかった。

 四人の中でも体があまり丈夫ではないロナの調子が悪い時は、みんなで家に集まって絵本を読んだりした。僕らは幼馴染と呼べるような間柄だった。


 転機は僕の両親の死だ。騎士団に所属していた両親は任務の途中に事故でその命を散らした。

 両親の墓前に立つと、憧れだった両親を思い出す。騎士団の制服を纏い、任務に旅立つ彼らの後姿を、僕はまだ覚えている。

 最後に見た彼らの姿は変わり果てたものだった。

 その日はまだ雪が解け切っていない春の日で、凍えるような雨がしとしとと降り続けていた。

 帰還した騎士団の一行、その中に姿の見えない僕の両親たち。両親の帰りを待ちわびていた僕は事情を告げに来てくれたフィリスさんの言葉を信じず、騎士団の一行を追いかけて走り出した。

 やっとの思いで追いついた荷台には、母がとても大事にしていた腕飾りを嵌めた腕がだらりと垂れ下がっているのが見えた。あれは父が母に送ったものだ。

 頭が真っ白だった。違う、母さんじゃない。父さんは、母さんはどこに。

 僕に気付いた騎士団長が目を伏せただ首を振る。彼が両親が任務に出る際に付けていた騎士団の証を僕に手渡した時に、ようやく僕は本当に両親は死んだのだと理解した。

 打ちひしがれた僕に優しく声をかけてくれたのはティリスだった。雨に濡れることも厭わず走ってきた彼女を見た瞬間崩れ落ちてしまった僕を、彼女はゆっくり家まで送ってくれたのだ。


 両親がいなくなってからしばらく、僕ら兄弟はティリスの家で暮らしていた。

 本来なら親戚であるヴァリアの家──ハイゼンブルク家に引き取られるのが真っ当であったが、両親は生前から何かあった時にはフィリスさんに僕らを任せると言っていたようで、そのおかげで僕らは一時的にバスティード家の一員となったのだった。

 塞ぎ込んだ僕たちにフィリスさんはとても甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

 ティリスの父ハンネスさんは数年前に失踪していて、その後に彼女ら二人は僕らの家の近くへと越してきていた。だからというのもあって僕らは彼女らの家に転がり込んだのだ。

 何故かティリスは彼女自身の父のことを全く覚えていないようだった。小さい頃の話だったからかなと自分なりに納得しているようだった。

 僕はハンネスさんが好きだった。とても優しかったし、たまに歌ってくれる歌は人魚の歌のようで少し不思議な魔力を帯びていて、聞いている人自体を癒してくれるような気がしていた。

 彼がいなくなった訳をフィリスさんは何か知っているようだったが、それは僕が踏み込む事ではないと子供ながらに感じていた。

 それ故、フィリスさんが一人娘だけではなく僕ら二人も子供を抱えるのは大変な苦労があったことだと思う。

 両親のことを考えて眠れなかった日は、ティリスは優しく手を握ってくれた。フィリスさんは暖かいチョコレートを出してくれて、僕は母の作ってくれたホットミルクを思い出したりした。

 彼女たちの住む家はとても暖かくて、柔らかい光に満ちていた。



 そう、その頃から彼女はずっと僕を支えてくれていたんだ。

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