愛しい人②

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【旅の記憶】 ︎


 フィリスさんたちに世話になる生活の中、僕は騎士団に入ることを決めた。

 弟を養うため、両親の意思を継ぐため、そして何より、人を守れる力が欲しかった。今の僕は小さくて、何もできないただの子供だ。もしまた自分の大切な人がいなくなるようなことがあれば、僕はきっともう立ち直れないだろう。

 だから、そうなる前に自分の力で大切な人を守ることができるようになりたい。もう誰も、僕の周りの人を理不尽な理由で失うことがあってはならない。そう思った。

 弟のロナウドには酷く反対された。いつもは大人しくて聞き分けのいいロナが反対するなんて、珍しいことだった。

「騎士団に入ったら、お兄ちゃんまで死んじゃうかもしれない。お父さんとお母さんだってすっごく強かったんだ。なのになんで……嫌だよお兄ちゃん、騎士団に入るなんて言わないで。僕はお兄ちゃんも死んじゃうのは嫌だ」

「ロナ、僕だってこれ以上家族を失いたくない。今の僕にはロナが一番大事。でも、だからこそ騎士団に入りたいんだよ。騎士団に入れば、生活も安定するし、フィリスさんに迷惑をかけることもない。僕自身が大事な人を守る力を手にいれられるはず。きっと……きっと父さんと母さんよりも強くなって、僕は死んだりなんかしないから。だから、お願い。許して欲しいんだ」

 僕の話をじっと聞いていた弟は少し涙目だった。しばらくの沈黙ののち、彼はゆっくりと顔を上げると口を開いた。

「僕の、僕のお兄ちゃんはすごいんだ。僕ができないことは何だってできる。騎士団に入ってないのに魔法だって使えるし、料理も家事も、僕は全部お兄ちゃんにやってもらってた。僕が外に出れない日はいつも隣で本を読んでくれたし、僕はずーっと、お兄ちゃんがそうしてくれるって思ってた」

「ロナ……」

「でも、僕だって何かしなきゃいけないんだよね。お兄ちゃんが守ってくれようとしてくれてるみたいに、僕はお兄ちゃんを支えていきたい」

その時の弟の目はなにかを決めたようだった。そして彼は柔らかい笑みを見せた。

「……僕は騎士団には入れないから、できることを一緒に考えてほしいな」

 かくして、僕は騎士団の養成学校に入学することになったのだった。





 ディクライット王国には王国附属のアウステイゲン騎士団という組織がある。一応国附属であるが、騎士団長に軍の全権がある珍しい組織だ。昔、王が軍の権利を濫用して大きな被害が出た事件があり、それを悔やんだ次の代の王が当時の騎士団長と相談して決めたもので、今では王であっても勝手に軍を動かすことはできない。

 そんな騎士団には養成学校がある。入団する前に騎士団で仕事をするうえで必要不可欠な教養を学んだり、自らの素養を見つけ、鍛錬することが目的の学校である。

 そこではティリスも一緒だった。彼女の母フィリスはいまの優しい出で立ちからは想像もできないが、昔は剣聖として名を馳せた剣の使い手である。ティリスはそんな母に憧れて騎士団に入ることを選んだのである。彼女がいたから養成学校に行くのもそんなに心の負担にはならなかった。

 養成学校の人間は寮に入るが故、家に帰ることはほとんどなくなる。そのため、弟はフィリスさんの家に二人で暮らすようになっていた。チッタは母親が病で亡くなった後、父方の叔母の家がある隣の国ジェダンへと引き取られてしまった。住む場所が違えば、必然的に会える時間も少なくなる。幼馴染のうち一緒にいれるのはティリスだけになってしまった。




 養成学校での毎日はとても厳しかった。

 かねてよりある人の元で魔法を嗜んでいた僕はそちらこそ人よりも良い成績が残せたが、剣技の方はからきしだった。僕は毎日苦手な剣の鍛錬に明け暮れた。

 ティリスは僕と真逆だ。母親の影響で剣技は並はずれた実力があったが、座学の方はどうにも苦手なようだった。僕らは互いの弱点を補うようにして努力し、日々を過ごした。

 養成学校の中では同期とも仲良くなった。特にアメリアはティリスと毎日のように一緒にいて、ティリスと時間を過ごすことが多かった僕も必然的に彼女と話すことが多くなった。真面目だけどたまに少し抜けているティリスと、明るくていつもふざけているようだが実はしっかり者のアメリア、そして僕。

 いつもティリスが訓練をしようと言い出すが、当日の朝一番早いのはアメリアだった。僕はその日の計画を立てたりすることが多かった。できないことが出てきたらそのまま三人で教官に助けを仰いだりした。この三人で同期としていられたことは僕にとって養成学校で一番よかったことだった。

 そして二年の歳月が経った後、僕らは晴れて騎士団に入団する。僕は養成学校を首席で卒業したが、とうとう剣技の成績はティリスを抜かすことができなかった。


 騎士団に入ってからは僕とティリスは寮を出て、僕はロナウドと元の家に戻った。ティリスはまたフィリスさんと二人暮らしを始め、お互いの家から城へと通うようになった。

 夜の門番などがある日は家に帰れないことも多かったが、それでもロナウドとの時間は増やすことができた。ロナは僕が家を出ている間に全ての家事ができるようになっていて、最近では教会の手伝いをしに行くこともあるそうだった。

 城での勤務を終えティリスと二人、それぞれの家へ帰って温かいご飯を食べる。それが僕にとっての幸せだった。




 僕とティリスの関係が変わったのは騎士団に入団してから半年ほど経った頃のことであった。


 その頃の僕は少し変だった。

「それで、遠征準備の件なのだけれど」

 近日中に出立することとなった魔物退治の任務の話の最中だった。邪魔だったのか、髪を後ろに流した彼女を見て、僕はその仕草に見惚れてしまった。

「……ディラン?」

 彼女のその常盤色の瞳に見つめられて息が詰まった。何を返したらいいかわからない。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫。遠征の準備だよね。僕がしとく」

「ほんとに? 何か変よ。顔も赤いし、熱でもある?」

「ほんと、大丈夫だから。アメリアにもそう伝えといて」

 首を傾げるティリスから半ば逃げるように僕はその場を後にした。顔が熱くて彼女をまともに見られなかった。自分でもどうしたのかわからなかった。

 遠征の準備の方もなんだかぼんやりとしていて、当日あれが足りてないこれが足りてないとアメリアにひどく怒られた。

 遠征が終わった後もそれは続いた。ティリスと目が合う度に息がつまり、顔が熱くなる。たまたま鏡を見た時、耳まで真っ赤になっていることに気付いて慌てて耳にかけていた髪を前に戻したほどだ。


 僕が自分の気持ちに気付いたのは彼女が同期に想いを告げられている現場を見た時だった。

 それは彼女と一緒に帰ろうと待ち合わせをしていた時のことだ。相手は二つほど歳上の上官だった。

 彼は花束を手渡し、彼女に向けられたその好意を認識する前に、僕は飛び出していた。

 頭の中が真っ白で、荷物も忘れて。


 僕がいたことに気づいた彼女の制止の言葉も聞かず、僕は走った。雪で白く染まった屋根も、暗い夜道を照らす炎も、僕を映したあの窓も、そのどれもが今まで自分の心に気づかなかった僕をあざ笑っているように見えた。

 息が切れ、胸が苦しかった。

 胸が苦しいのは走ったせいではないのだろう。けれど僕はその事実を認められずにいた。

 僕は彼女が好きだった、大好きだった、愛していた。

 その事実に、いまさら、ようやく──。


──気がついたのだ。


 遅かった。遅すぎた。

 僕が彼女に思いを伝える前に、彼女は他の誰かの思いを受け取ってしまった。

 きっと彼女はその人の思いを受け入れるのだろう、ああ、ぼくが、僕が好きなのは彼女だけなのに。


 思えばあの時、アメリアが僕に助言をしてくれたとき。その時に気付くべきだったんだろう。

「ティリスは鈍感だから、早く伝えないと他の人に取られちゃうわよ」

 あの子が僕に向けて言った言葉は、僕に好意を向けてくれてたからこそ言ってくれた言葉だった。僕は、僕はそれさえも無駄にした。

 きっとティリスは、あの人にあの可愛らしい笑顔を見せるのだろう。時にはからかい、時には泣いて、辛い時はあの人に寄り添ってあげるのだろう。時にはきっと、僕には見せたことのない表情を、彼に見せるのだろう。

 僕が彼女と過ごしてきた今までの時間が、全て元からなかったもののように感じた。彼女が今まで僕にだけ見せてくれたことも、言ってくれたことも、すべて、全てが、彼のものになる。


 頬に当たる雪は冷たかった。


 けれど頬を流れる水は、なぜかとても熱かった。 

 自分の家の灯りを見た時、やっと外の寒さを感じた。上着さえ忘れて走ってきた僕は、あそこに心まで置いてきたようだった。

 心配した弟の声を遠ざけて、僕は綺麗に整頓された部屋のベッドに半ば倒れるように潜り込んだ。


 そうして、僕は彼女への恋心を自覚したのだった。

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