愛しい人③
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【旅の記憶】 ︎
僕の考えとは裏腹に、彼女の思いは違っていた。翌日顔を合わせた際、飛び出して帰った僕を心配した彼女にそれとなく昨日の件を聞いてみたところ、彼女はああなんだそんなこと、もちろんお断りしたわ、と微笑んだのである。
ホッとしたのもつかの間、それからが大変だった。自分の気持ちに気付いたまだ若い僕の心は脆く、少しの刺激で揺らいでいた。早く想いを伝えないと。
焦りは行動にそのまま反映された。
ティリスとの関わりはさらにぎこちなくなり、彼女は出会うたびになにかあった? 大丈夫? と聞いてくる。
そんな中、僕に好機が訪れた。
年に一度、ディクライットには流星が降り注ぐ夜がある。その日が近づいていたのだ。僕とティリスは幼い頃から毎年、その夜は星を見にいっていた。
──今年も一緒に。
その言葉をかけた時、彼女は意外そうな顔をした。
当日、僕は養成学校の卒業試験の時よりもずっと、緊張していた。
いつもならたわいをない話をしていたら流星が降ってきて、しばらく眺めては今年も綺麗だったねと帰るのだが、その日は会話でさえおぼつかない。次第にティリスも口数が減り、やがては沈黙がその場を支配してしまった。
きっともうすぐ星は降り始めてしまう。そうすれば僕はまた機会を逃してしまう。そう思って口を開けた。
「ティリス」
「なあに?」
僕の声は震えていた。続きを言うことができない僕を彼女が覗き込む。
「ディラン?」
「……君に言わなきゃいけないことがあるんだ」
「……うん」
緊張しているのは僕の方なはずなのに、何故かティリスも心配そうな顔をしていた。半ば涙目の彼女に、僕はこれまで生きてきた中で何よりも自信のない申し出をする。
「僕はティリスのことが好きだ。同僚としても幼馴染みとしてでもない。一人の女性として、君に好意を抱いてる。君は幼い頃から可愛かったけど、いつのまにかすごく綺麗になってて、いつだって自分のやるべきことに真面目で真剣で、僕が落ち込んでる時も優しく寄り添ってくれるような人で。たまに抜けてたり、恥ずかしがり屋なとこもあるけど、それも含めて全てが可愛くて愛おしい。僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど、このまま君が他の誰かの隣にいるなんて耐えられなくて、だから……君が良ければなんだけど……僕の恋人に、なってくれない、かな」
最後の方は消え入るように言葉を紡いだ僕に、彼女は驚いた表情を向けていた。そして彼女の頰が紅に染まった時、その口が開いた。
「……嫌われてなくてよかった」
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。それがどんな意味なのか、ぼくにはわからなかった。
「……最近、目があったら急にどっかに行ってしまったり、私と話すときだけ素っ気なくなったりしてたでしょ。私、それでディランに嫌われたんだと思って……」
「ティリス、それは」
「逆だったのね。ほんとに、よかった……。私ね、昔からあなたのことが大好きだった。思えば魔物から守ってくれたあの時から、そう思ってたのかもしれない。でもねずっと、怖かったの。思いを告げてしまったら、この関係が壊れてしまうんじゃないかって。私はあなたと一緒にいるのが嬉しくて、それがずっと続いて欲しいと思ってた。でもディランはそうじゃないんじゃないかって」
「ティリス……」
「そんな時、アメリアから相談を受けたわ。あなたへの想いは私と同じだった。でもね私、その時アメリアに言えなかったの。後日、彼女はあなたに思いを告げたって言っていて、でも、私にはそんなこと真似できなくて……」
ティリスの涙は止むことを知らない雨のように溢れ続けていた。返す言葉を失ってしまった僕はじっと彼女の話を聞いていた。
「……だから私、あなたがアメリアの思いを受け取ってしまったのだと、思ってたの。親友と大好きな人が幸せならそれでいい。そう思いたかったけど、私の隣にあなたがいない未来を考えると胸が張り裂けそうだった。私が、私が好きなのはディランだけなのに。ずっと一緒にいて、隣で笑ってて欲しいのに……」
彼女も同じだった。そう思ったとき、まだ話続けてる彼女のことを抱きしめていた。
「ディラン……」
「アメリアは確かに思いを告げてくれた。けど、断ったよ。僕はティリスが好きで君も僕のことを好きでいてくれている。それで十分だよ」
彼女が普段見せている強くしっかりとした印象とはかけ離れた、細く今にも壊れてしまいそうな体がそこにあった。彼女の大きな目から溢れ続けた涙を拭って僕は微笑む。
「それにね、アメリアに言われたんだ。早くしないとティリスを他の人に取られちゃうって。彼女はきっと僕の気持ちがわかってて言ってくれたんだ」
「ふふ、あの子は何でそんなところまでお節介なのかしら」
ティリスはもう悲しい顔をしていなかった。僕は愛しいその人をもう一度強く抱きしめ、そして口付けた。胸に抱く彼女の手は冷たくて、目を離したらすぐ壊れてしまいそうだった。
星はもう流れ始めていた。流れ出した星々の下で彼女を抱きしめながら、僕が絶対に彼女を守ると誓ったのだった。
それからの日々はあっという間だった。月日が経つにつれ、同僚との信頼関係も築け、僕の後ろに毎日付いて回るエインという後輩もできた。
幼少期からの流れで、僕は自らが仕えるディクライット国の王陛下の元で魔法について議論したりもした。
全てが充実した毎日。僕は齢十六にして騎士団魔法剣部隊の剣隊小隊長へと昇進した。
騎士団の部隊は物攻、魔導、魔法剣とその戦い方によって三つに分かれているが、部隊の中でも得物によって細かく分類がされている。
その中の小隊をまとめる座につくというのは、騎士団での出世を求める者にとっては、大きな一歩だ。
申し分のない人生だ。順風満帆と言えた。
何もかもがうまく行っていたそんな頃、再びの星が降る夜に僕は彼女に婚姻の約束を申し出た。
ディクライットの成人年齢は十五歳である。
国内の女子の多くは成人と共に嫁いで行く者が多かったが、僕らが婚姻の儀を行う頃は彼女も齢十七で、国内では遅くも早くもないといった時期だった。
彼女との契りを交わすことになった僕は、幸せの絶頂といっても過言ではなかった。幼い頃に両親を失った僕にとって、彼女と家族になるということはその言葉以上の意味を持っていたのである。
その日がとても待ち遠しかった。
騎士団の皆は僕らを祝福し、準備も着々と進んでいた。滅多にないことだが陛下の計らいで儀式を城で行うことになった。それも両親が近くで見てくれるような気がして僕は嬉しかった。
一通の手紙で全てが崩れてしまったのも、幸せすぎた日常に対する対価なのかもしれない。
かくして僕は今、一人で雪の中を歩いている。
いつまた君に会えるだろうか。一刻も早くこの旅を終わらせて君の笑顔を見たい。
魔女の家はまだ遠くにあった。僕の足跡は増えるばかりで、無口な冬の空は僕を見透かすように灰色の雲をゆっくりと流して行くのであった。
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