紫水晶の洞窟 再び②
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【旅の記憶】
ヴァッサベルンに襲われた後、道なりに進むと見覚えのある場所へと辿り着いた。
──巨大な水晶。
それは僕の記憶と変わらぬ様相を呈していた。しかし、紫色に映り込んだ自分の背後に、以前とは違う何かが蠢くのを見止める。
大きな物体がゆっくりと移動する音。その移動音は足を持つ生き物のそれではなく、何か液体に近いものが地を這うような音だった。
音はすぐ近くだ。しかし、それは一向にこちらに向かってくる様子はない。
──気づかれていない?
僕はなるべく物音を立てずに振り返り、そして仰天した。
体の一部しか見えなかったため、全容はわからなかったが、そこには大きなナメクジのような生き物が歩を進めていた。どうやらそれは視力があまりよくないようで、僕の燈明の炎にも反応の様子を見せない。
以前の調査の時に依頼された魔物というのはこれのことだったのだろうか。しかし、こんなに大きな魔物を僕等が見逃すということは、到底考えられないことである。ましてやほぼ一本道の洞窟だ。
小さな幼生が隠れていたのだろうか、洞窟内の道が変化していることも、先程のヴァッサベルンたちも、どうにも説明がつかないことが多い。
そもそも、この洞窟自体が魔物なのではないだろうかという憶測が頭をよぎる。
──いや、そんなまさか。
僕はここで重大なミスを犯してしまった。踏みつけてしまった岩、洞窟内に鳴り響く小石の音。
ゆっくりと動いていたそれが、ぴたりとその体を止めた。息が詰まる。
──静まり返る空間。
次の瞬間、柔軟なしなりを伴った尻尾のようなものが僕の頭上すれすれを横切る。洞窟の壁が崩れ落ちる凄まじい轟音と共に粉塵が舞い上がった。
粉塵が落ち着くまでになるべく物音を立たせず移動する。危うく難を逃れたが自分の存在を知られてしまった以上、気づかれないようにやり過ごすというのは良い判断ではないと感じた。
このような魔物は見たことがないが、戦わなければ命はない。それに今日の調査の邪魔でもある。
僕は心の中で炎の呪文を唱え、魔物に向かって魔法を発動させた。燃え上がる炎の光、その光輝によって一瞬、魔物の巨体が露わになった。
目のない魔物──それは暗闇に潜んでいるためか、何らかの理由によって目を失ってしまったのかはわからないが──とにかく、地上にいる魔物たちとは明らかに様子が異なっていた。頭だと思われる部分にはツノのようなものが二つ、そして地面に接している場所には足のように動く突起が無数についており、見るもおぞましいというよりほかにない。
その巨体では僕の魔法を避ける術もなく、甲高い悲鳴のような声を発しながらそれはのたうちまわった。
──突然の激痛。
暴れる魔物の尻尾が突然、僕を壁面へと吹き飛ばした。先ほどヴァッサベルンと戦った時の傷が開いたようだ。
鮮血が流れ、魔物が動きを止めた。反応が早い。視力が悪い分、嗅覚は普通の魔物のそれより優れているのだろう。血の匂いで場所を突き止めたそれは僕めがけて一目散に突進してきた。
きちんと治療しておけばよかった。足が思うように動かない。
自分の目の前に氷の壁を作る。それでなんとか凌いだが、魔物は大きく体当たりを繰り返している。壁が崩れるのも時間の問題だ。
なにか、なにかないか。と、その時。道具入れに入れたままにしていた小瓶に手が触れた。
同期のアメリアが僕の成人祝いの際「成人なのだから香水ぐらいつけなきゃダメ!」と贈ってくれたものだ。香水などつけるような習慣がない僕はそのうち使うだろうと道具入れに入れたまま、すっかり忘れてしまっていたのだ。
小瓶を開けると、薔薇に似た馨しい香りが広がる。これだ。僕は瓶の蓋を閉め、反対側の壁へとそれを投げつけた。
少しの衝撃音と共に割れる小瓶。音と匂いに気が付いた魔物が今度はそちらに向かって体当たりを始める。うまくいった。
「エーフビィ・ドーナー」
雷の魔法だ。無詠唱するほどの余裕はない。爆発音にも似た雷が魔物を貫いた音が洞窟内に響き渡る。
断末魔。耳を塞ぎたくなるようなそれも、そのうちに聞こえなくなった。
──再びの静寂。
魔物が絶命した時の嫌なにおいが残る。こればかりは何度経験してもどうも慣れない。
僕は燈明の炎を少し明るくして、周りの様子をうかがった。どうやら他に魔物などは見当たらないようだった。
安堵の声を漏らしたところで痛みが戻ってくる。足の傷を見ると、相当な量の出血をしていた。
先程の正体不明の魔物の件もあって止血の魔法だけではいつまた傷口が開くかわからず少し不安だったので、きちんと傷口は塞いだ。
他にも傷は多かったが、この先また魔物に遭遇した時のことを考えて魔力の消費は最低限にとどめておくことにする。代わりに完全に破れたブーツのうちまだ使えそうな部分のみ残して紐でしっかり結び付けておいた。人里に戻ったら適当なものを見繕わないとな。
小瓶を投げたところを見てみると、中の液体は見事に散らばっており、強すぎるその匂いに少し頭が痛くなった。もしこのことを知られたらさっきの魔物よりアメリアのほうがよっぽど怖いな、とおもいつつ、僕は再び洞窟内の調査を始めた。
──なにもない。
紫水晶の結晶は先程と変わらぬままの姿であった。
魔映晶を持っていない僕は水晶の簡単なスケッチを手記に記入する。他にはもう何もないだろうと思って、きた道を引き返すことにした。
不思議なことに帰り道では一体たりとも魔物の姿を見ることはなかった。地形は変わっていなかったが、まるで以前来た時と同じ状態に戻ったかのようだ。これも紫水晶の呪いだろうか。
洞窟から出ると日はとっぷりと暮れており、少し不機嫌なデュラムが鼻を鳴らした。
さすがにこれ以上移動する気にはなれなかったが、洞窟の近くは再び魔物に襲われる可能性が高くて危険だ。それ故少し離れた場所で野営をすることにした。
手記を書くような気力はないため、その日は最低限の魔結界を張ったのみで就寝することにした。何かあれば魔物除けの結界の魔力が反応する。ひとまずはもう大丈夫だ。
僕は少し安心すると、そのまま泥のように眠りに落ちていったのだった。
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【手記】 ︎
D.1348 環雪の月4 紫水晶の洞窟
昨日はまともに手記に記載する時間がなかったため、改める。
・紫水晶の増加。
・以前との道の食い違い 地下水が流れ出た事が関係?
・行きは魔物が多く見られたが、帰り道には不自然に消えていた。
・大きな紫水晶のある空間で巨大なナメクジに似た魔物と戦闘。
・目は存在しない。あるいは潰れている──地下に生息していることが原因?
・代わりに嗅覚、聴覚が優れている。
・体中のひだをうねるようにして移動する。
・以前訪れた時期からは不可解な成長速度。
紫水晶については上記通りのため、割愛する。
不可解な現象が多い割には手掛かりと思われる物は何もなかった。ひとまずアルベルティーネの元に戻り報告する。
デュラムは待ちくたびれたようだ。
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