慮外の再会

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【手記】

D.1356年 新雪の月24

ナタリーの家にて


 ナタリーの家に世話になって、一週間ほどたった。彼女は以前私が助けた女性だったらしい。


 後三日、あと三日でティリスは死んでしまう。弱音を吐いたらエインに叱られてしまった。

 そんな情けない私の傷を強引な魔法で癒してくれたのはナタリーだった。彼女の思いに、私は報いることができるだろうか。


 回復したばかりの慣らすために魔物を倒して回ったが、そこで大きな収穫を得た。


 闇の魔物を倒したのだ。彼らには光の魔法が効く。これはとても重要な発見だった。


 これで、魔女に一歩近づいた。私は必ず、ティリスを救って見せる。


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【旅の記憶】


 ナタリーに傷を肩代わりしてもらったその日、僕は街の近くの魔物を倒してまわった。何日も眠り続け、目を覚ました後もほぼ起きて歩くことは困難だった。このままの体の動きでは薔薇の魔女などもってのほか、普通の魔物とも到底戦えないと判断したからだった。

 後三日、しかし焦れば大事な人を失う。ティリスを助けるために必要なことはたったひとつ、薔薇の魔女を倒すことだ。しかし、そのためには必ず、乗り越えねばならない関門がある。


──闇の魔物。

 次に対面するときにも必ず、彼女は彼らを使役するだろう。

 僕は彼らを倒す方法を試すため、その魔物を探していたのだった。



 以前薔薇の魔女に為す術なくやられてしまった場所まで戻ってきてしまった。彼らはいるのだろうか、いや、いないほうが平和でありがたいのだが。

──寒気。

 彼らだ……。人の形をしたそれは重そうな頭をもたげてこちらを見た。

 凍り付いたように白濁した瞳。彼らは生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。

 その見た目に反した素早さでそれは僕に近づいてきた。咄嗟に氷の魔法でそれの行く手を阻んだが、僕が試したかったのはこれではない。

「エーフビィ・リヒト!」

 叫んだ僕の手のひらから鮮烈な光が迸る。

──彼らの恐ろしいところは素早い動きと、怪我をしても痛みを感じないかようなしぶとさです。彼らは光に弱い。強い光を浴びると怯み、体の一部が壊れることがあるんです。そして頭を狙えば絶命すると聞いています。

 昨日聞いたナタリーの言葉の受け売りだったが、その言葉通りそれの足の一部が音を立てて崩れた。

──よし! 

 そのあとには血だまりのような赤黒い液体が残っている。足をやられバランスを崩したそれに僕は近づいた。尚も僕を殺さんともがくそれはやはり痛みを感じないのだろうか。人間を襲うためだけに作られた人形……その存在に底知れぬ恐怖を抱く。

「オ……ニィ……ジャ……」

 嗚咽の混ざった声だった。よく聞き取れないが、これが彼らの鳴き声なのだろうか。

 何にせよ、彼らを倒す方法が分かったのは大きな進歩だ。

「エーフビィ・メラフ」

 激しい炎がそれを包んだ。焦げた匂い。灰となったそれが崩れ落ちる。

 後には、水分を失って地面に赤黒い物体がこびり付き、小さな魔宝石が煌めいていた。

 きっと、アルベルティーネはこれを作るために魔宝石の洞窟を隠していたのだ。どんな目的でこんな恐ろしいものを作ったのかは知らないが、これも闇の王の復活に関係するのだろう。

 きっと彼女を倒してそんな計画も食い止める。最後の決意を固めて、僕はその場を後にした。


 闇の魔物を倒すという成果を得た僕は、ナタリーのいる街に戻ってきていた。

 元から、このまま出ていくつもりはなかった。荷物は置いたままで、ナタリーの傷の様子を確認せずに出ていけるはずもなかった。

 この街トーテは、ディクライットから北西に位置する街である。城下町からそう遠くないこの街の付近で〈闇の魔物〉が出たという通報が入り、騎士団が動いたという話を行商の男が話しているのを聞いた。

 騎士団と鉢合わせになる前にどうにか自分の手で決着をつけたい。僕は明日の早い時間にこの街を出ることを決めた。

 せめてもの礼だ。なけなしの金で買った食料をナタリーの部屋に置くと、僕は椅子に腰を下ろした。

見たところ、この家には僕が寝かされていたベッド以外に寝床はない。彼女は僕のために何日、固い床で寝たのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、睡魔はゆっくりと僕を飲み込んでいくのだった。




 明け方、僕は鳥が鳴く声で目が覚めた。

 昨日ナタリーの様子を見ることを忘れていたことを思い出し、焦って寝室を覗いた。

 安らかな寝息。ほっと胸を撫で下ろす。

 起こすのを後ろめたく感じて、僕は先に出ていく準備をすることにした。

 荷物が一通りまとまった頃、外でデュラムが騒ぐ声が聞こえた。

何かあったのだろうか。

 窓からは何も見えなかったため、用心して裏口から外に出た。デュラムは家の前に繋いでいたが、彼の声は聞こえない。

──まさか、デュラム!

 飛び出した僕の目に飛び込んできたのは、人懐っこく頬を寄せる愛馬と、何よりも求めていた女性の姿だった。




「ティリス……」

 思わず声が漏れてしまった。それに気付いて彼女は振り向く。そして歓喜の表情を見せた。

「やっぱり、このたてがみの結び方……デュラムだと思ったの! ディラン、私、貴方は生きてるって信じてた。無事で、本当に、本当に良かった……!」

 彼女の温もりが僕の体を包み、夢にまで見た彼女の匂いがほのかに香る。魔物なんかじゃない、本当の彼女だった。

 彼女の声がどこか遠くに聞こえる。あんなに、あんなに切望した彼女との再会が、こんな形で訪れるなんて。

 彼女の髪はいまだ紫色に染まっていた。その範囲も以前のように毛先だけではなく、根元のほうまで浸食されているようだった。

 やはり、まだ呪いは解けていない。

「ディラン?」

 抱きしめ返さないで呆然としていた僕に彼女は不思議そうな表情を向ける。しかしその表情には喜びの色が見えた。彼女はまだ、僕を愛してくれているのだ。

「それでね、ディラン、私、騎士団長になったの。母さんを超えることもできて、剣聖の称号も得た。これでようやくあなたと対等になれた気がするの。だからね、私と一緒に帰りましょう? ディクライットに戻って、やり直すの、そして……」

「ごめん、ティリス」

 彼女の次の言葉を聞く勇気がなかった。今それを聞いてしまったら、僕の心は折れてしまう。

 とにかく、彼女から離れなければ、呪いが早まってしまうかもしれない。ただ、そんな恐怖だけだった。

「どうして?」

「……家族がいるんだ」

「え……」

 咄嗟に出た言葉だった。なんで、こんなこと。

 驚愕の声。見開かれた彼女の目にはひどい顔をした僕が映っていた。

 彼女が僕から離れ、後ずさる。ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。

「私……ごめんなさい」

 それ以上、僕は彼女を見ることはできなかった

。彼女のすすり泣く音、僕から離れていく音が聞こえ、別の足音が近づいてくる。

 勢いよく近づいたその足音が間近に迫ると同時に、僕は左頬に強い衝撃を感じ、地面に転げた。

「てめぇ‼」

 僕が倒れこむより先に胸倉をつかんで睨みつけたのは、ティリスとはまた違う懐かしい顔だった。

 チッタだ。自分が知っている印象よりもかなり男らしく成長した彼は濃い紫水晶の瞳で僕を見ていた。

 非難の表情。彼の後ろのほうで栗色の髪の女性がティリスの名を呼んで駆けていったのが見えた。そこにエインともう三人、知らない顔が並んでいた。

「何でお前が泣いて……」

 チッタの言葉で、初めて僕は自分が涙を流していることに気付く。気づいたところで止められないその涙は、彼女を傷つけてしまった罪悪感か、僕自身の馬鹿さに対する落胆か。

「チッタさん」

 エインが近づき、チッタが僕から引きはがされる。彼は何やら文句を言っていたが、僕の頭には全く入ってこなかった。この中で事情を知る唯一人。エインが、はにかんだ。

「お待たせしました、先輩」


──もう、限界だった。



 その後、年甲斐もなく涙を流し続けた僕はいつの間にかその場にいた人たちにナタリーの家へと担ぎ込まれていた。

 僕を椅子に座らせここで待っていてくださいと告げたエイン達が皆ぞろぞろと家を出てから、しばらくになる。

「ディランさん?」

 ナタリーの声だ。寝室の入り口に手をつき、こちらを見ている。

「大勢の人の声が聞こえて……」

 彼女がふらつく。無理をしていたようだ。

 焦って支えた僕の顔を見て彼女は謝り、そして続けた。

「それで……何が……ディランさん、酷い顔……」

「ティリスに会ったんだ。たまたま、家の前で……それで……家族がいるって……嘘を……」

 話を急ぐ彼女をベッドに戻した後、僕は口を開いた。彼女の目が驚きで丸くなる。

「どうしてそんな、こと……」

「……ティリスから離れないとって思って……気が付いたら口に出してた……僕は」

「ディランさん……」

 その時、扉が開く音が聞こえた。


「ディラン先輩!」

 エインだ。僕は彼を出迎えた。一緒に来ていたのは先程僕を盛大に殴り飛ばし、激昂していたチッタだった。

「ディラン! 悪かった! オレ、勘違いしてたんだな!」

 チッタが勢いよく頭を下げる。地面に着くだろうかと言う勢い。そうだ、彼は少々情に熱すぎるところがあった。

「エイン、もしかして……」

「はい、すべて話しました。一緒にいた皆に。ティリスさんにも、みんなから伝わるはずです」

「そっか……チッタ、ごめん。僕も気が動転していて、自分でも酷いことを言ったのはわかっている。ティリスのことを考えてくれてたんだよね」

 僕の言葉に、チッタはにかっと笑った。幼馴染みとしてティリスを思う気持ちは変わらない、彼と分かり合えた気がして僕も微笑んだ。

「ディラン先輩、エスラティオス様という方から、伝言があります」

「あの人から? エインに……それで、なんて……?」

「……薔薇の魔女は魔宝石の洞窟に向かう。おそらくこれが最後の機会だ。逃すな、と。ほんとは、会って伝えるつもりじゃなかったんですけどね……はは。ディランさんの居場所が分からないから、僕のところに連絡してきたみたいです」

「そうか……居場所が……ありがとう。エイン」

「ええ。魔宝石の洞窟に、向かいましょう。そして、ティリスさんを救いましょう!」


 そう言った彼のキラキラした瞳が、希望の光のように見えたのだった。

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