決戦
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【手記】
D.1356年 新雪の月26
魔宝石の洞窟に向かう
今朝、ティリスに会ってしまった。
あれほど待ち望んだ彼女との再会は最悪の形で幕を閉じた。
必ず、必ず薔薇の魔女を倒して呪いを解かなければ、私は死んでも死にきれないだろう。
エインに伝えられたエスラティオスの情報を信じ、魔宝石の洞窟へと向かう。
洞窟へはエインとチッタが同行する。そしてなんと、薔薇の魔女が追い求めていたガクという銀髪の種族の末裔も一緒だ。
三人ともティリスを助けたいという思いは同じだった。
彼女との戦いの前に少しだけ、仮眠を取る。
──次にこの手記を書く時には、すべてが終わっていることを願っている。
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【旅の記憶】
何度も来た洞窟。魔宝石が煌くその場所に同行したのはチッタとエイン、そしてガクという青年だった。
彼はアルベルティーネが追っていたクワィアンチャー族の末裔だ。傷を癒す力を持っている彼は実際、エイン達が荷物を取りに行っている間、ナタリーの傷を少し綺麗にしてくれた。少し事情があってティリス達と一緒に居たらしい。
ティリスを追いかけて行ったユイナという子は、九年前ティリスとガク、チッタと一緒にその旅に加わっていたそうだ。顔のよく似た子たちはやはり双子だったようで、ユイナの親戚だ。彼らもティリスについていてくれると言って、トーテの街に残ってくれた。
──よかった。僕のいない間も、ティリスは周りの人たちに愛されていたみたいだ。
かくして、僕らは魔宝石の洞窟の入り口へとやってきた。この中に何度も取り逃がした宿敵、アルベルティーネがいる。
「先輩、行きましょう」
雪が降りしきり、もう日は暮れていた。
服に積もった雪を落とし、僕は洞窟の中へと足を踏み入れた。
中は、血のような匂いで充満していた。
心なしか、外よりも寒い。
「うー、なんだか、いやな予感がするー」
僕の心を代弁したのはチッタだった。
幾度となく訪れた場所だが、明らかに以前と雰囲気が違う。
「精霊たちも話をしていない。まずいかも……」
精霊がどのような存在なのかはわからないが、よくないことなのはわかる。燈明の炎に照らされ朱色に輝いた彼の髪を見て僕は思った。と、その時何かのうめき声が聞こえた。
「……何かきます!」
エインがそう言うのと同時に彼が光の魔法を放った。
無詠唱だ。あれだけ苦手だったのにいつ覚えたのだろうか。
悲痛な叫びと共に、別の咆哮が聞こえた。そんなに広くない通路だが、沢山の闇の魔物が集まってしまっては捌き切れない。
と、咆哮の主が近づいてきた。少なめに見積もって、五、六体はいる。
「ガクさん!」
「ああ!」
エインの声かけを合図に信じられないほどの光が洞窟内を覆った。
おそらくエインの光の魔法ではない。ガクが精霊魔法というものを使ったのだろう。
一瞬、闇の魔物たちの姿が浮かび、金色の大きな狼が飛び出していった。
──チッタだ。
彼が道を切り開く。
「今です! 先輩は先へ!」
そう叫んだ彼の言葉に突き動かされるように僕は走り出した。
この奥に……この奥に僕の宿敵が……ようやく対峙することができる。
薔薇の魔女、アルベルティーネに。
視界が開けた。
あの竜と戦った場所だ。しかし、今は煌々と炎があたりを照らしている。
長い黒髪。地につくほどのそれが揺れたかと思うと、その人はこちらを向いた。
「ようやく来たか。この洞窟を見つけるとはな。いい研究場所だったのに。……すこし、話をしようか」
血のように赤い彼女の瞳が僕を見据え、ぞっとするようなその冷たさに僕は身をすくませた。
「お前とする話などもうない。闇の王の復活などさせない。ティリスは僕が救う‼」
氷の魔法を飛ばす。軽々と避けた彼女がにやりと笑った。
「お前の攻撃は芸がないな。全く、つまらん上に女性の話もまともに聞かないとは、モテないぞ」
魔女はけらけらと笑った。と、また肌寒さが襲った。
──来る……!
現れた闇の魔物が一斉に飛び掛かる。僕は詠唱準備をしていた光の魔法で彼らを弾き飛ばした。
「ほう……以前とは多少違うようだな」
目を細めてこちらを見る彼女に、僕は笑った。
「あいにく、僕にはもう後がなくてね」
剣に氷の魔法を宿した。冷気が手に触れる柄まで下りてくる。嵌め込められた魔宝石が美しい輝きを放った。
「僕はディラン・スターリン。エドワードとシャンテルの息子。故郷を捨てたものにしてただ一人の女性を愛す騎士だ。薔薇の魔女アルベルティーネ。両親の仇にして傲慢なる闇の使者。僕は今ここで、お前を倒す‼」
光の魔法で怯んでいた闇の魔物が復活し始めていた。
「面白い。どのくらい楽しめるかな」
おぞましい量の茨が地面から生えてきた。
「ディラン!」
チッタの声がしたほうを見ると、入り口が茨で塞がっていた。中に入ってこようとしているがうまくいかないらしい。魔女がそちらを見て、笑い声をあげる。
「はは、はははは! 面白いプレゼントを持ってきたな」
「なんのことだ」
「私が欲しいもの、知っているんだろう?」
「! 銀髪の種族!」
振り返るとガクの姿が見えた。そうだった。彼に一緒に来てもらったのはよくなかったかもしれない。茨の上に氷の魔法を重ねがけした。目的は知らないが、きっと彼が魔女の手に落ちれば、この世界にとって良くないことが起きる。訳が分からないといったような三人が氷を叩いたが、彼らを中に入れるつもりはなかった。
「手助けをしてもらおうと思ったか。仇となったな、ディランよ。それは賢い選択だ。父親の二の舞にならずに済んだな!」
「うるさい、父さんを語る資格はお前にはない! エーフビィ・リヒト!」
僕は散らしておいた氷の塊めがけて、光の魔法を放った。光が至る所に反射し、闇の魔物たちが叫び声をあげる。
──いまだ!
彼らの頭を狙い、氷の魔法が宿った刃を振り下ろしていく。
「お前……! 私の試作品を……!」
「試作品ということは、まだ完成していないんだな。お前の仕事が遅くて助かったよ」
三体倒したが、まだ五体ほどが僕の命を奪おうと向かってきていた。
魔女は仲間を増やしてほしくないようで、エインたちが氷を解かしたり茨を炎で焼いたり剣で切りきざんだりすることによって失った茨をまたすぐに生やさなけばならないことに気を取られているようだった。
そのおかげで魔女には隙がある。しかし、やはり闇の魔物が先だ。二体が同時に前方と真横から襲い掛かってきた。
横から来たそれに光の魔法を浴びせ、前方の魔物に斬りかかる。頭を外した。しかし、それの延ばした腕が胴から離れ、地に落ちる。
痛みを感じるのかはわからないが、それは怒声のような咆哮を上げた。周りの闇の魔物達がそれに応えるように咆えた。夢に出てきそうなおぞましい声だ。 それが合図なのか、彼らが一斉にこちらに向かってくる。
「エーフビィ・ヴァッサー!」
水の魔法で敵全体を覆った。魔物の中に滑って身動きが取れなくなったものもいたが、それが目的ではなかった。人相手の時は読まれてしまったが、魔物相手なら。
「エーフヴィ・アイジィ!」
彼らを覆った水が勢いよく氷に変化する。 足を取られ、動けなくなるもの。滑ってうまく前に進めないもの。こちらに向かって来る魔物の数は少なくなった。
勢いがついていた。一匹、また一匹と僕の氷の刃に彼らは倒れていき、闇の魔物は残り一体となっていた。
あいつを倒せば。そう思ったとき、右腕にひどい痛みが走った。アルベルティーネが魔物の数に気が付いたのだ、茨が巻き付いている。棘が皮膚に食い込み、痛みが肩まで上がってきた。
床に張った氷はもう解けていた。金属が岩にあたる音が響く。多分腕が折れた。気づかぬうちに剣から手を放してしまっていた。手に力が入らない。
「くそ……!」
腕に巻き付いていた茨を炎の魔法で焼き切るが遅かった。
最後の闇の魔物が僕に飛び掛かろうと宙を舞っている最中で、体勢を大きく崩す。
馬乗りになったそれと目が合い、白濁した瞳のその底知れない深さから目が離せなかった。彼らは一体なぜ魔女に従い、人間にここまでの憎悪を向けるのだろう。
「先輩! ディラン先輩‼」
エインの声で我に返った。熱い。体が燃えているような熱さを感じて腹を見ると気を失いそうな量の血が流れていた。
左腕で魔物の脳天に肘鉄を喰らわせ、雷の魔法で撃ち抜くと、それの絶命する音が響き渡る。ドロリとした赤黒い液体が身体にかかる。出血が酷い。くらくらしてきた。急いで止血しないと。
その間にも魔女の茨が動き回り、僕の行動を阻み、命を絡めとろうとしてくる。熱さが引かない、そればかりか冷や汗まで出てきた。
このままじゃ……。と、その時チッタがなおも中に入ってこようとする声が聞こえ、エインが叫んだ。
「これはディラン先輩の戦いです! 手を出さないでください!」
エイン……そうだ。これは僕の戦いだ。僕が蹴りをつける!
茨でマントの端が破けた。マント……。
このまま僕の命が尽きるのを待つつもりか、魔女は僕に一向に近づいてこない。
九年もの歳月を経ないと発動しない回りくどいやり方でティリスを殺そうとするほど、彼女自身の力は弱いのだ。本人が全く魔法を使ってこないのはきっと、エスラティオスが言っていた通り目が見えないのだろう。
僕は転がった剣を左手でつかみ、マントを素早く床に広げる。魔力を溜めるために描いた魔法陣。その中心めがけて剣の刃を振り下ろした。
マントと魔宝石を埋め込んだ剣から膨大な魔力が放出される。僕はその魔力を利用して一斉に地面から氷の壁を出現させ、傷に癒魔法をかけた。
血は止まったが、稼げるのはわずかな時間だ。
その間にボロボロになったマントの切れ端と予備のナイフを折れた右腕の支えにする。あともう少しで氷の壁が溶ける。そうすれば茨は一斉に僕に向かってくるだろう。
その瞬間を見計らって、僕は叫んだ。
「エーフビィ・メラフ!」
僕の声に反応して彼女は水の魔法を放った。よし、引っかかった。
ラウルの受け売りだが、目が見えない彼女からすれば言葉通りの魔法が来ると思うことだろう。僕は雷の魔法を放った。水を伝う電撃。魔法が当たらずとも、衝撃で弾き飛ばされた彼女が壁にぶつかる。さっきの魔法で場所を特定したのか茨が僕めがけて一斉に襲いかかってきた。
それに向かって思いっきり炎を打ち出した。この広場一帯を包み込むほどの火力。水の魔法を被った僕はその炎の中を魔女めがけて走り出す。
もう痛みなど感じている余裕はなかった。魔女は魔法除けを付けている。このチャンスを逃せば、二度と魔女に近づけなくなる。
炎が煙に代わり、僕は悪い視界の中に魔女の影を捉えた。
「ふ……ようやく私の近くまでたどり着けたようだな。だがどうする? その腕では剣は振るえない。そしてお前の魔法は私には当たらない。……お前は今ここで死に、あの方の復活を邪魔するものはいなくなる。そして私は……」
「少し黙っていてくれないか。あなたにつけられた傷が痛むんだ」
魔女の言葉を遮り、僕は彼女を壁に押しやった。左手で持った剣が震える。
「そんなんで私を殺せると……」
少しは見えているのだろうか。僕は剣を捨てた。再びの金属音。
「そうだな。これじゃあお前を殺すことはできない」
「遂に負けを認めたか。素直なのはよいことだ。そうだ。お前もあの方の贄にしてやろう。あの男を使えば闇の王は復活する。そうすればお前は」
なおも話し続けようとする魔女を左腕で抱きしめた。魔女の驚愕の表情。
「⁉」
「……この距離じゃ避けれないでしょ」
僕の背後にあるものに気付いたのだろう。彼女の瞳が恐怖に染まっていた。
必死に逃れようとする彼女を押さえつけ、僕は用意していた氷の刃に意識を集中させた。
「や、やめろ、いいのか、お前まで……! 私はまだ!」
「薔薇の魔女アルベルティーネ。もうやめよう、僕の勝ちだ。さようなら」
僕は笑った。心からの笑み。
──痛み。激痛が背中から走り、全身を蝕む。
僕の体を貫いたそれは魔女の腹にまでたどり着き、彼女が苦悶の表情を見せる。魔女の断末魔。
エインやチッタの声が聞こえる気がするが、すべてが反響したように混ざり合ってよくわからない。
魔女の姿が移ろっていた。若々しく美しかったその姿は見る見るうちに年老いたしわくちゃの老婆へと変化していく。そうか……本来の寿命が……。
僕は、僕はようやく、魔女を……。魔女はもう原型を留めておらず、灰となったそれはさらさらと崩れ、消えた。
不意に現れた地面。岩と魔宝石、魔女の残骸。体の自由がきかない。そうか、僕はもう……。手を伸ばすだけの力はない。全身が泥のように重い。
ゆらゆらと光る洞窟の光が薄れ、僕はその中に愛しい彼女の幻影を見た。はっと目を引くほど美しい容姿。優しい眼差し。絹のようなしなやかな髪。愛していると告げる愛しいその声。
ああ、もう一度……もう一度だけ君に……。
──すべてが、消えた。
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