助力
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【手記】
D.1356年 新雪の月17 ナタリーの家にて
見知らぬ女性の家で、僕は目覚めた。ここにくるまでの記憶を整理する。
何年振りか、薔薇の魔女と対峙した。
私がまだ希望を残していた話し合いの余地など、もう残ってはいなかった。
闇の王は彼女を生み出した父だという。もう一度会いたいのだと。そして、幼いころに両親を殺したのも彼女だった。
私は、どうしても魔女を倒さねばならない運命の元に生まれてしまったようだ。
闇の魔物に数多の茨。越えなければならない壁はたくさんある。
私に彼女を救うことはできるのだろうか。
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【旅の記憶】
目を開けると、見慣れない天井だった。
頭と体に激痛が走る。おぼろげな記憶。僕は助かったのだろうか。思考を巡らせる間も無く、不意に扉が開いた。
薄い紫色の髪の女性。年は僕と同じか少し下ぐらいか、どこかで見たことがある気がする。彼女の薄緑色の瞳が一瞬ティリスのそれと同じに見えて、僕は固まってしまった。
「ご、ごめんなさい。まだ眠っているものだと思って」
彼女は焦ったように取り繕う。きっと僕は呆けた顔をしていたのだろう。
「君が助けてくれたの?」
「え、ええ……。正確には連れが何人かいたのだけど」
「あんなに沢山の魔物がいたのに……」
「城下町から行商の馬車に乗せてもらって帰る途中だったんです。闇の魔物に襲われている人影が見えて……。最初は皆渋っていましたが、魔法を使える人が多かったのもあって助けようと……。でも、間に合ってよかったです。あのまま見捨てていたら私は一生後悔したと思います」
「……優しい人なんだね」
「優しい……」
彼女の頬が薄っすら赤らんでいるように見えた。
「あ……わ、私は、ナタリーといいます」
「僕はディラン。礼を言わせてもらうよ。助けてくれてありがとう」
「いいえ。私は貴方が私にしてくれたことをしただけです」
「?」
「覚えていないのですね」
彼女の瞳が少し揺れた。伏せた目の睫毛がもう一度上がってこちらを向くと、彼女は口を開く。
「私、貴方に助けられたことがあるんです。その時からずっと、貴方をお慕いしておりました」
涙で潤んだ目が細まる。彼女はそう、切なげに笑ったのだった。
✳︎✳︎✳︎
ナタリーは何年か前に僕が魔物に襲われていた所を助けた女性だった。トーテの行商の中の一人に、彼女はいたのだ。
どうりで見覚えがあったわけだが、申し訳ないことに僕は言われるまで全く持って彼女のことを思い出すことができなかった。
「どうしても、貴方のことが忘れられなかったんです。一目ぼれ、というのでしょうか? 助けてもらったあの日から、貴方の顔が、声が、鮮明に焼き付いて離れなくて……」
そうして彼女は僕のことを愛していると語ってくれたのだった。
もちろん僕には思い人がいる。彼女の思いを受け止めたうえで丁重に断りを入れた。ナタリーは一人で暮らしている自宅に怪我をした僕を引き取ってくれていたが、彼女の気持ちを無下にしたところで追い出す、などということはなかった。
かくして、僕は自分の傷が癒えるまで彼女の家に厄介になることになったのだ。
しかし、僕が傷ついていようが歩けなかろうが、ティリスの命の期限は刻一刻と迫っている。後三日。後三日で彼女は死んでしまうのだ。僕は、再びエインに連絡を取ることにした。
幸い、体の怪我は酷いが、魔力を大きく消耗したなどということはなかった。
魔法具に魔力を込めると、少しの沈黙の後、エインが顔を覗かせた。
「エイン、久しぶりだね」
「ディラン先輩! ああ、無事でよかった! でもひどい怪我……」
「……うん。助けてくれた人がいて。ごめん、今大丈夫?」
「あ、えと……、今ティリスさんと一緒で、急いで抜け出してきたので」
「そっか、いや、すぐすむからこのまま聞いてほしい。その後のアルベルティーネの場所が知りたいんだ」
「……わかりません。まだ見つからないんですか?」
「いや、見つけたんだ。でも返り討ちにあった。時間がもうないんだ、ティリスはあと三日で死ぬ。……その時はお前が彼女の側にいてあげてくれ」
思わず漏れた言葉。それを聞いた彼の表情はみるみるうちに怒りの感情へと変化していく。
「何言ってるんですか先輩! 後三日が何ですか、絶対に魔女は見つかります。僕も全力で探しますから、あの忌々しい薔薇の魔女を先輩が倒してください。次そんな弱気なことを言ったら、僕もう口ききませんからね!」
僕をこの世で最も尊敬してくれている彼になんて返せば良いかわからなかった。黙り込んでいると、遠くから凛と透き通った声が聞こえた。
「エイン、なにしているの? そろそろ出ないと……」
「あ、ティリスさんだ。はーい、今行きます! じゃあ先輩、僕もう行きますから。僕の憧れたかっこいい先輩らしく、粘り強くあきらめないでくださいね!」
きっとティリスが来ることを見越したのだろう。一方的な魔力の切断。
僕は、頬になにか熱いものが流れるのを感じていた。
エインとの連絡を終えてすぐ、ノックが鳴り響いた。咄嗟に返事をしてしまい、彼女が顔を覗かせる。
「布、ここに……ディランさん? 大丈夫ですか?」
心配そうに駆け寄った彼女が手渡してくれた布で僕は顔を拭った。気が動転していた。九年ぶりに聞いた愛する人の声。
「何があったんですか?」
「……」
答える言葉が見つからなかった。もうすぐ自分の愛する人が死ぬなんて彼女になんて説明したら?
「ティリスさん……という方のことですか?」
「何故その名を……?」
彼女にティリスの名を教えたことはない。どこで知ったのだろうか。
「……ディランさん、毎日うなされているでしょう。その時に必ず、その名を呼んでいたから……」
たしかにうなされながら彼女の名を呼んで目覚めることは多々あった。それはこの旅を始めてからずっとだ。最近は毎日悪夢を見るし、内容も酷さを増している。
「そっか。話さなきゃいけないな」
✳︎✳︎✳︎
僕はティリスを助けるために旅を続けていること、ティリスは後三日で死んでしまうこと、倒すべき魔女がなかなか見つからないことなどを彼女に話した。
「そんな、九年も……どうしてそこまで」
きっとナタリーはそういう意味で言ったのではないのだろう。けれど僕には助からないだろう人のことをどうしてそこまで思い続けるのかという問いに聞こえた。
「ただ……怖いんだ」
右手の甲に刻まれた死霊の刻印がわずかに痛む。契約を結ばずとも、刻印が消えることはなかった。それは永遠に僕が禁忌を犯したことを示し続けるのだろう。願いを自分の力で果たせない、無力な人間の証明だ。
「彼女がいない世界を、僕は知らない。知りたくもない」
手記に挟んでいた魔映写を手に取り、見つめる。ドレスを着たティリスの姿だった。成人した時に同期たちを一人一人、フィリスさんが撮ってくれたものだ。
一枚の紙の中で揺れる彼女の美しい姿はまるで生きているようで、すぐ近くにいて触れることができそうな程だった。
「唯一持ってきた彼女の姿だ。美しい人なんだ」
「……はい」
彼女にわざわざ見せるものではない。しかしこちらをじっと見つめて頷くナタリーに、僕は続けた。
「禁忌を犯した。それは魔法に関するもの。そのことによって僕は命を失うつもりでいた。でもそれがどうでもよくなるくらい、僕には彼女の笑顔が何より大切だった」
「ディランさん……」
魔映写の中の彼女は僕の記憶の中の彼女そのものだ。しかし彼女はもうすぐ……。
「もう、だめかもしれないけどね、こんな体じゃ……」
療養しているとはいえ、傷はまだ完治していない。仮に今アルベルティーネを見つけたとしても、とどめを刺されるのが関の山だ。落胆する僕に、ナタリーが大丈夫です、と声をかけた。何も大丈夫じゃないじゃないか。
「どうして、言い切れるの」
「だって、愛しているのでしょう?」
半ば八つ当たりのような言葉を返して彼女を見た僕は固まった。彼女は、涙を流していた。僕にはその涙の意味を推し量ることはできないが、返すべき言葉は決まっている。
「ああ、僕はティリスを、彼女を何よりも愛している。彼女がいない世界なんて、僕にはとても耐えられない」
しばしの沈黙。僕の言葉を聞いて、彼女は再び目を伏せた。そして、何かを決心したように顔をあげたのだ。
「……うん。わたし、貴方に協力します」
「なんで? 君には何の関係も……」
「自分の愛する人が今とても悲しい顔をしています。その涙が私じゃない誰かのための物だったとしても、私は貴方が苦しむ姿を見たくないのです。だから……」
「ありがとう、ナタリー」
僕がそういうと、彼女は涙をぬぐい、そして眉をひそめて笑った。
「やっと、名前で呼んでくれましたね」
「あ……ごめ。僕……」
はっとした僕に悪戯そうに笑った彼女は笑う。バツが悪くて俯いていると、彼女は再び口を開く。
「私に、考えがあります」
✳︎✳︎✳︎
何かをすると言って小一時間経った頃、彼女は戻ってきた。
「準備できました。さあ、始めましょう」
「何の準備?」
僕はまだ何も聞かされていない。彼女は理解が追い付いていない僕の手を取り、素早く手のひらをナイフで傷つけた。
「……ッ! ナタリー?」
滴る鮮血。見ると彼女の手のひらからも血が滴っていた。
「いきなりですみません。言ってからだと断られそうなので」
「僕が拒否するようなことを?」
言い終わらないうちにまた痛みが走った。彼女が傷ついた手で僕の手を握ったのだ。狭い部屋に呪文を唱える声が響く。
血と血を合わせる儀式……まさか。
「ナタリー! だめだ、今すぐやめるんだ!」
僕の制止を聞かず彼女は唱え続ける。段々彼女の表情が険しいものになっていき、それと同時に僕の体の痛みが引いていく。ああ、やっぱり……。
術者が被術者の傷を受け入れる儀式。魔力はそこまで使わないため魔法の経験が浅い者でも使用することができる魔法だが、ひとりの傷が癒えても、もう一人が傷を負っては意味がないため騎士団ではめったに使わない。そのためすぐには思い至らなかった。ナタリーの呪文を唱える声がとまった。儀式の終わり。
「ディラン……さん」
ナタリーは苦しそうだった。息が上がり、僕のものだった傷が彼女に移っていた。
抱き上げ、ベッドに横たわらせると開いた傷口の血を止める。
「ナタリー、僕は……」
うまい言葉を綴れない僕の手を彼女が掴んだ。
「ふふ、やっぱり止めたでしょう。でも謝らないでくださいね。貴方の役に立ちたかったんです。だから……」
──諦めないで。
疲れ切って目を閉じた彼女がそう続けようとした気がした。
「……ありがとう、必ず」
ナタリーの穏やかな寝息が聞こえ始めたころ、ようやく僕は街の外へと足を運んだのだった。
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