追う影

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【手記】

D.1353 炎翠の月13

ディカラネベルの森


 シュラッグシャッテンという魔物に襲われた。

 少しデュラムに負担をかけてしまったようでかわいそうだ。どこかで一度休息を取れればいいのだが。

 まずはペペ山脈を超えることが先だ。明日は山道を注意しながら進むことにする。


──デュラムがたてがみを梳いたことによってとても機嫌がいい。


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【旅の記憶】


 僕はトーテの人々に教えてもらった公道の入り口に入るべく、ディカラネベルの森という場所を訪れていた。

 霧がかった景色、人の叫び声のような鳥の鳴き声。あまり気持ちの良い朝ではない。ペガサスが住むという伝説があるこんな森を抜けた先に、本当にテーラに繋がる道を作っているというのだろうか。

 デュラムがぶるると体を震わせ、立ち止まる。

「僕がいるから大丈夫だよ」

 彼を撫でると少し落ち着いた。再び歩かせようとしたが何かがおかしい。背後から視線を感じる。

 僕らが動くとそれも動く。どうやら間隔をとってついてきているようだった。野盗かなにかか?

 その時、僕のすぐ隣を何かが駆け抜けた。黒い影。前に話に聞いたことがある。


「シュラッグシャッテン?」

 聴き慣れない響き。黄髪の青年ヴァリアは山積みになった書類を見ながら頷く。

「ああ、森に潜む影の魔物だ。そいつらに取り込まれたら仲間にされて永遠に森を彷徨うと言われてる」

「気味の悪い魔物だね」

「ああ、私も一度だけ見たことがあるがあれは本当に動く影だ。物理攻撃なんて効きやしない。だから森の中でそれを見かけたら全力で逃げるんだ。森を抜ければ追いかけては来れない」

「なるほど。でも逃げきれなさそうだったら?」

「逃げきれなさそうなら──」


 記憶はそこで途切れていた。彼はなんと言っていただろうか。と、その時、痛みと生暖かい感触が頬を走る。それと同時にそれまで怯えていたデュラムが急に走り出した。

──殺気。

 命をかけて戦ったことがあるものなら誰しもが経験したことのある気配だ。それが明確な攻撃性を持ったものではなくても、身が震えるような悪寒がする。こちらがどう返すかはその時次第だが、僕は基本的に守りを貫く姿勢が主だ。

 先ほどまで気配しか感じなかったそれから明らかに僕らに向けた殺意が向けられているのを感じ取れる。それがデュラムを駆り立てたのだろう。

 今回は彼だけ逃すというのも悪手だ。彼が森の中の木に当たらないように注意しながら全速力で駆け抜ける。森の終わりはどこだろうか。

 しばらく走ったが一向に森の端は見つからない。デュラムの足が限界だ。考えていると手綱を張っていた手に痛みが走る。反射的に左側の手綱から手を離すとそれはちぎれてデュラムが足を上げた。彼の嘶きが森に響き渡る。

「ッ!」

 彼を落ち着かせようとするがうまく行かない。あともう少しで影に追い付かれてしまう。気配は自分のすぐ後ろまで来ていた。

──逃げ切れなさそうなら、光の魔法で彼らを足止めするんだ。

 不意に思い出した記憶。考えるより前に僕は口を開いた。

「エーフビィ・リヒト!」

 眩い白が視界を覆う。それはあたり一面に広がり、炎が水をかけられて消えるような音を立てて消えていった。気づくと魔物の気配も消えていた。倒したのだろうか。いや、魔物が絶命した時のあの嫌なにおいがしないということはまだ倒せてはいないということだ。

 まだ落ち着かないデュラムに声をかけながらできるだけ早く歩を進めた。もう日は落ちかけている。いつもならこのあたりで休んでしまうのだが、今夜の野宿は森の外で張ることに決めたのだった。


 やっとのことで森を抜けた。岩肌の多い山にたどり着いたのだ。デュラムがだいぶ疲弊している。幸い彼には怪我がないようだ。よかった。

 もう日は完全に落ちきっていてあたりはあまり見えない。魔物除けの結界を張るとデュラムの隣で星を眺めた。そろそろディクライットにはまた星が降る季節だったか。山脈の東側では見れるのだろうか。ティリスが同じ星を見ていればいいなと思う。

 鍋で簡単なスープを作って腹を満たす。暖かい食事は唯一の癒しだ。これを抜くと次の日の調子が格段に落ちる。デュラムには昨日トーテの人たちからもらった野菜を少し食べさせた。

 少し機嫌が直った彼の編んでいたたてがみを解いてゆっくりと梳いていく。彼はこれが好きなのだ。全身のたてがみを梳き終えた後また少しずつ編むのは、僕も好きだ。ティリスの愛馬──というかスペディはスイフトという名で、ティリスのことが大好きだった。彼女が僕と一緒にいると拗ねたりするのだ。僕は嫌われていたようだけどティリスは彼のことをとても大事にしてたっけ。


 一筋、星が流れたような気がした。そんな故郷の思い出に胸を焦がしながら、僕はまた、一人の夜の眠りへと落ちていくのだった。

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