第38競争 居場所
『北海道の牧場で食べるハンバーグ』って響きだけで美味しいに決まってる
それは食べた後も変わらず、あまりの美味しさにみんなで感動してしまった程だ
ぷっくりと膨らんだハンバーグから肉汁がたっぷりと滴り
肉の旨味はもちろん豚の脂の甘味もプラスされた完璧なハンバーグ
牧場のスタッフさん専用食堂でランチをご馳走になり
そのまま『アイラブエイル』の
繁殖牝馬はデリケートになったりもするので通常は見学禁止になっているけど
ご厚意で見させてもらうのだ
必要以上にうるさくしないこと。
写真もダメだし長くいる事もダメ。と、半年前より禁止事項が増えていた
そうだよね。重賞5勝した一流牝馬『アイラブエイル』のお腹にはリーディングサイアーの『シークワエイエット』の子どもがいるんだ
シークワイエットの子どもは『テネブラエ』含め活躍してる馬が多く日本競馬の中心にいる
『アイラブエイル』の子どもも期待されてるんだろうね
「超良血だしセリ価格も最低で1億はするだろうな。ニコも騎手デビューしたら乗れたら良いな」
「最初からは無理でしょ。そんな1流馬に乗るなんて、普通にリーディング上位騎手が乗るよ」
昔は騎手が自ら調教師さんに騎乗依頼を交渉したり、馬主さんに営業することもあったみたいだけど、そうすると騎乗依頼の処理にばかり時間を取られて、調教に付けなかったり技術を磨く時間がなくなってしまう
その負担を減らしてレースや技術を磨く事に集中出来るよう
今は大体の騎手にエージェントが付いていて、そのエージェントが乗る馬を決めて来る
だから騎手本人の実力も大事だけど、それと同じかそれ以上にエージェントの優秀さが、良い馬に乗れるか乗れないかに関わってくるらしい
騎手としての実力があっても腕の良いエージェントがいなければ、弱い馬ばかりに乗る事にり、なかなか勝ちに恵まれない騎手もいるし、調教師さんや馬主さんと揉めて騎乗数が減っていく騎手も少なくない
騎手としての実力にバランスの取れた人間性が備わってないと、トップジョッキーにはなれないって事ね
火山さんは昔は苦労してたみたいだけど、今は人間関係に不器用ではないと思うし大丈夫そうだよね
エイルちゃんの後に続いて歩くこと10分くらいで隔離された
「ん、ここにいる」
厩舎の中にエイルちゃんが入ると、すぐ横に『待機所』と書かれた部屋があった
他の厩舎にはなかったと思うけど、その『待機所』をエイルちゃんがノックし中に入って行く
「ミズちゃん。この待機所って繁殖シーズンになると、いつ産まれても良いように何人かで常に待機してるんだろうね」
「だろうな。数時間置きに観に行って破水してないか。とか見回るのも大変だろうな」
空と一ノ瀬さんの会話から『待機所』がここにある理由が分かった
少ししてエイルちゃんが出てくると手のひらを見せてくる
「ん、5分位なら良い」
「仕方ないけど短いね。エイル、厩務員さんは付いてこないの? 」
「ん、馬房に監視カメラ付いてる」
凄い……馬房に監視カメラ付いてて、ここの待機所でチェックも出来るんだ
馬の出産は深夜が普通らしいから、一晩中監視カメラに目をやって、変わった事がないかを見てるんだ
『アイラブエイル』以外にも繁殖牝馬いるだろうし
全頭を隙間なくチェックするんだろうけど、命に関わる事だし
凄い大変なお仕事だ
少し進むと半年前に見た綺麗な
馬房の外のボードには『アイラブエイル』と書かれていて、エイルちゃんの言うとおり、ファンから送られて来た、安産祈願のお守りが大量に並べられていた
今はデリケートな時期で全員で触るのはダメらしい
わたしたちは少し離れた所から手を振ったり、無事に産まれてくるよう祈った
『アイラブエイル』は首をプルプルっと振ると、ギリギリまで首を伸ばしてくる
お腹は凄い大きくなっていて出産が近いのが分かる
『アイラブエイル』何かエイルちゃんの事ずっと見てるけど、分かるのかな?
馬の認知力や記憶力が、どの位なのかは分からないけど、頭が良い動物ってのは聞いたことあるし
「エイルがアタシたちを代表して撫でて上げなよ」
「ん、ありがと」
別にお礼を言うことないのに、エイルちゃんに撫でられるのを1番喜んでるのは『アイラブエイル』だろうし
ゆっくりと近付いてエイルちゃんが頭を撫でると
お礼なのか『アイラブエイル』は、ペロッと舌でエイルちゃんの顔を舐める
「ん、体温も舌もあったかい」
馬の体温ってどの位なんだろ?
確かに前に触ったときもモフッとしてて温かい感じしたけど
「
「体温? 38度ない位だった気がする。レース直後だと43度超えたりするらしいし」
「高っ!! 」
43度って大丈夫!? 毛があるから溜まった熱が逃げにくいのかな?
「星宮も言ってるが人間より体温は高い。だから夏に比較的弱い馬が多いんだ」
「夏競馬に出てくる馬も、馬体から出て来る汗が白く固まってる事、多いもんね」
「そらっち。あの白く固まってる汗って石鹸と同じ成分が含まれてるんだよ」
「え? そうなんだ。ずっと塩かと思ってた」
わたしも発汗してるって事だから白くなってるのは塩だと思ってたけど違うんだ
良く首もとやゼッケンの下から白いのが吹き出てる馬見るもんね
あれは石鹸みたいなもんなんだ
「ん、元気な仔が産まれるように」
馬の体温と汗の話で思いの外盛り上がったけど
エイルちゃんを見ると『アイラブエイル』の鼻にキスしていた
『アイラブエイル』も嬉しそうに鼻をヒクヒクさせながら
エイルちゃんの顔を撫でる
これは相思相愛ですね
本当にエイルちゃんと『アイラブエイル』が通じ合ってるみたい
「ん、終わった」
「もう、良いのエイル? 」
エイルちゃんはコクリと頷くと後ろ向きで出口へと歩き始め
ずっと『アイラブエイル』に手を振っていた
『アイラブエイル』と別れて、その後は放牧に出ていた、お馬さんを厩舎に戻す手伝いをしたり、逆に夜間放牧に出す馬を放牧に出す手伝いをしたりと慌ただしかった
夜間放牧をする事でお馬さんが夜を体験して精神的にタフになったり、放牧時間が伸びて運動量が増したり、エサ代や藁代の節約になったりと色々メリットもあるらしい
競走馬になるのも育てるのも本当に大変だ
1日のしかも半分ほどしか牧場の仕事を体験してなかったけど体も心もクタクタになっていた
火山さんの1年早い卒業旅行は最初普通に『アイラブエイル』に会って、北海道を観光する事になっていたけど
皆で同じものを共有したい。って火山さんの希望によりエイルちゃんを通して牧場でのお仕事体験になった
競馬だけしか観てないと分からないけど、こうして牧場の方々のお仕事や将来の競走馬等を間近で見ると、1頭1頭に大人数の物凄い労力が使われている
こういった方々のお陰で競馬が楽しく観られるんだと改めて思ったしブログにも書こうと決めた
日も暮れて仕事を終えたわたしたちは、共同の大浴場に入ってから食堂で夕食をし、泊まる部屋へと案内された
「何か5人一緒に泊まるのって、修学旅行以来じゃない? 」
「あれは
「だって、エイルが布団にジュースぶちまけるから」
「
皆で布団を並べる
もちろんわたしは空の隣に敷いた
「ん、善処する」
「でも、面白かったよね。5人で枕投げもしたし」
「それも、ニコと風間と星宮がやってただけで、私と
修学旅行懐かしいな。って、まだ半年も経ってないけど
クラスも違うからニコイチペアと、空とエイルちゃんとわたしの3人で部屋分けされたのに、結局は5人で2つの布団で寝たもんね
こっちは3人で1つの布団だったから、エイルちゃんが小さくて良かったよ
「しかもエイル迷子になったもんね」
「エイルっち、そこから動くな。言ってるのに、電話する度に違うとこにいるから探すの苦労したよ」
「で、最後には私たちが迷子になってる。ってなったからな」
あったあった。
修学旅行は沖縄だったけどエイルちゃんが迷子になって、慌てて皆で探したっけ。
動き回るエイルちゃんを皆で『点P』って呼んでたし
で、結局エイルちゃんこと点Pは、キッチリと時間ギリギリに集合バスに乗ってて、遅れた私たちが怒られたし
誰にも求められないよね。あんな動き回る点Pなんて
気を使ってるのか、みんなはわたしが競馬愛好会に入った後の話しかしなかった。
せっかく火山さんの卒業旅行何だから、もっと前の話もして良いのに
ちょっと寒そうだけど
わたしは上着を手に取った
「夜空でも見たいし少し散歩して来るよ」
「彗、寒いし止めときな」
「大丈夫だよ」
半ば強引に部屋を出る
仲の良さを時間で測る訳じゃないけど、あの4人には4人だけの想い出も居場所もあったはずだ
エイルちゃんが一時的にいなかったとしても、わたしとは比べ物にならない程、色んな想いを共有してるはず
外に1人出たのは、皆に気を使って欲しくないのもあったけど
昔の話を仲良く4人で話してる所に、わたしだけいるのも気が引けたからだ
寮の外に出ると寒いって言うよりも冷たい空気がピシピシと肌に突き刺さってくる
吸い込んだ空気は肺を凍らせそうだった
周りに明かりが殆ど無いから
夜空には綺麗すぎて作り物かな。って思えちゃうくらいの満点の星
上を向くと手を伸ばせば星は掴めそうに思えた
これだけあれば1個くらい落っこちて来そうなのに
「
「落っこちて来た」
1番キラキラしてて1番欲しくて1番大切な星が
「大丈夫? ってか、おいで」
流石にわたしも外の寒さに負けてしまい
エントランスに向かう
エントランスには小さい明かりだけが付いていた
ベンチに横並びに座る
電気ストーブが近くにあるのは助かるし、ガラス張りになっているので、ここからでも凄い星は綺麗に見えた
「何で、空来ちゃったの? 」
「どうせ、彗の事だからアタシたち4人に気を使って出てったんでしょ」
半分正解だ 逆に空に気を使わせてしまった
「って、エイルも来ちゃったじゃん」
階段を降りる人影に目をやると
厚手のコートを着てマフラーをグルグルに巻いた完全防備のエイルちゃん
「ん、外じゃなかった」
「いや、エイル。さすがに外にずっといるのは無理だって」
何で何で? 火山さんと一ノ瀬さんまで降りて来てるじゃない
「おぉ、電気ストーブある。良かったねミズキ、外じゃなくて」
「別にどっちでも良い」
「またまた。外に出てったの心配してたくせに」
私たちのベンチ前でしゃがみこむ
電気ストーブに手をかざす一ノ瀬さんと火山さん
全員集まったらここにいる意味ないじゃんか
わたしが部屋を出た理由がなくなっちゃう
「ボク思うんだよね『居場所』って、そこにあるんじゃなくて、自分で作るもんなんだ。って」
「アタシの居場所はここだし」
「ん、ここが居場所」
なかなか言わないわたしに一ノ瀬さんは肩をパンッと叩いてきた
「平地の居場所もここだろ」
「ここって……」
「『競馬愛好会』に決まってる。平地が自分で作った居場所だ」
わたしが作った居場所
どんどん競馬を好きになって、皆といるのが楽しくなって
大好きな人が出来た大切な場所 心にあればいつでも居場所になるって初めて知った
「『競馬愛好会』は5人の居場所だよ、彗」
「あぁ。平地も入ってなきゃ意味ないだろ」
「ミズキが珍しく素直だ」
「ん、気持ち悪い」
「風間! 気持ち悪いとは何だ気持ち悪いとは」
もしかしてわたしの思惑なんてバレてた?
勝手にわたしが引け目を感じてただけなんだ
ここがわたしの居場所になったんだ
「あれ? エイル、あっちの厩舎で人が出てきてるけど? 」
空が指差した先は昼に『アイラブエイル』に会いに行った繁殖牝馬を管理してる厩舎だった
待機所の明かりが漏れている
「ホントだ。どの馬かが産気付いたのかな? 」
ガラス張りにエイルちゃんはくっついていたかと思うと
「ん、行ってくる」
「ちょっと、エイル! 」
動揺してる様にも見えたけど突然走り出すエイルちゃん
『アイラブエイル』は2週間後だから他の馬でしょ?
なんでエイルちゃんが向かうんだろ?
皆でエイルちゃんの後を追った
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