第4競争 プロテインと小テストと皐月賞

 人から言われる耳慣れない言葉は、鼓膜から鼓膜をノンストップ通過するだけで、頭の中に保存が出来ない

 星宮ほしみやさんの辞典があって良かったと思える。視覚から取り入れた情報を口に出してみると、しっかりと耳に入るので頭にも残りやすい


 今やわたしは歩く競馬辞典かも知れない

 ただし『ア行』のみ。と言う制限はあるけれど


 火曜日に星宮さんから手作りの競馬用語辞典を渡され『ア行』だけをひたすらインプットしてきたんだ。

 それも今日、ここ『花園』と言う競馬愛好会で行われる小テストの為に! そして良い点を取って残念ながら今日はお茶のお勉強で来てないエイルちゃんに褒められる為に!! 茶道をしてる着物姿のエイルちゃんも可愛いんだろうなぁ。


 暗記や記憶力は得意な方だし今日の小テストも貰ったわ。思わず私らしくもなく心の中で力が入る


平地ひらちさん。余裕ながらも気合入った顔してますなぁ」

「そ そんな事ないよ」

「単勝オッズ1倍台の馬に乗る騎手みたいな良い顔してるよ」


 それってどういう表情? わたしは今どんな顔になってるの?? 冗談めかした星宮さんの言葉で我に返り、恥ずかしさのあまり両手を頬に当てる。

 そんな中でも思考は『オッズ』の意味を探し当てていた

『オッズ』は配当率の事よね。競馬では倍率で言うから例えば6.5倍の馬に100円掛けて勝ったら650円の戻し。100倍の馬に100円掛けて勝ったら10000円。だから100倍以上で当てた時には『万馬券まんばけん』って言うのよね


「ひらっち。って真面目なんだね。ゆる〜く。で大丈夫なのに」


 って、言いながら腕立て伏せをしてる1番気合入ってるんじゃないかと思える火山ひやまさん 

 わたしが入ってきた時から柔軟やら腹筋やら小1時間筋トレしてる火山さん。それをタブレットとにらめっこしている一ノいちのせさんが、たまに迷惑そうな顔で火山さんに目をやっていた


 火山さんとは月曜日にほんの少しの顔見せ程度で、ちゃんと話すのは初めてだな


「ニコちゃん。ここに来るの月曜以来だもんね」 


 星宮さんが声を掛けると腕立て伏せを止めて火山さんが立ち上がる


「バイトが忙しくってさ。ありゃ、作るの忘れてた」 


 少し目にかかるショートヘアーの、パーマがかった茶色の毛先から汗が滴り出し、頬を伝い下へと落ちていった。


 間近で見ると余計にイケメンぶりが凄い。こりゃ同学年はもちろん、先輩後輩に関わらずキャーキャー言われるのも納得ですよ


「ニコ、汗を床にたらすな。早く汗を拭け」

「ハイハイ。しっかり拭きますよ。プロテイン作って飲んだあとにね」

「今、拭け。汗っかきなんだから」


 一ノ瀬さんと火山さんの雰囲気が悪くなっていってるような  

 大丈夫なのかな。心配していると「通常運転だよ」と星宮さんは耳打ちするように、わたしに囁いてから火山さんに声を掛けた。


「ニコちゃん。ミズちゃんは体の汗を早く拭け。って言ってるんだよ、風邪引くの心配して」

「そらっちも言わなくても分かってるよ。うちらも幼稚園からの仲だから。ね、ミズキ」

「知らん」


 一ノ瀬さんから舌打ちが聞こえた気もするけど、タブレットに視線を戻しぶっきらぼうに言い放つ。

 言葉足らずでも2人の中ではちゃんと伝わってるんだ。経験のないわたしは素直に感心していた。


 そんな火山さんは「先に作って置けば良かった」と言いながら冷蔵庫を開けて、大きな袋からプロテインの粉を手際良くシェイカーに移していた 

 プロテインを飲んだ事ないから、つい視線で追ってしまう 

 そして牛乳を取り出しシェイカーに注ぐと勢い良く振りながら戻ってくる


 あっ 危ない!!


 落ちてる汗で滑ったのかバランスを崩した火山さんは、体幹を鍛えてるだけあって転ぶのは踏み止まったもの、手に持っていたシェイカーは落ちプロテインが床に溢れ散った


 火山さんは床を見ては

「あぁ。床がマッチョになる、床マッチョ床マッチョ」


 完全に慌てふためいていた  


「だから先に拭け。と、言っただろ」 

 見るから仕方なさそうにタオルを両手ずつに持った一ノ瀬さんが床を拭き始める


「ミズキ……床が床が……仕上がっちゃうよ。マッチョの住宅展示場だよ」


 考えても意味が分からない。

 床を拭きながらノ瀬さんが空いてる手でそっと火山さんの頭をチョップし、その頭の上にタオルを乗せた


「あいたっ」 

「ほら。やっとくから、ちゃんと体拭いてな」 

「ごめん……ありがと」 


 火山さんはペコっと頭を下げ、反動で落ちてきたタオルを掴んだ


「私が拭いてあげようか?」

「良い、自分でやる! 」


 一ノ瀬さんがニヤッと意地悪そうに聞くと、タオルを一ノ瀬さんの膝にペチッと当てる火山さん

 それをクスクスと笑って見てる星宮さん。今日はいないエイルちゃんを含めてだけど、昔からの友達だからなのか、こそばゆい、くすぐられているような空気感の中に4人はいる様に思える

 その中にわたしは入っていけるの? 入って良いの?

 

 床も綺麗になり小テストの時間がやってきた


「ではでは競馬愛好会の競馬愛好会による平地彗ひらちすいの為の第一回『小テスト、ア行編』を行います」


 大仰に星宮さんに言われ思わず唾を飲み込んだ。


「制限時間10分で全10問。合格点は10点以上です」


 全問正解しないと駄目じゃん。それは結構厳しいかも。サッと目を通して分からないのあったら、すぐに飛ばして分かるのから答えた方が良さそうだけど、考えられる時間もそんなにないし大丈夫かな?

 少し不安になってきた


「もちろんスマホで調べたり、答え書いてる丸めた紙の持ち込みはダメだよ」

「そんな事、普通はやらないって」

「だ、そうだ。ニコはどう思う? 」

「もう。小学校低学年の話は時効だよ時効」


 一ノ瀬さんに振られた火山さんはプイッと横を向いて明らかに頬を膨らませていた。イケメンなのに可愛いも付いてきててズルい


「ハイ。じゃあ、始め。昨日遅くまで考えた問題だから頑張ってね」


 頷いてから受け取ったプリントに目を落とす


(1) 競馬用語で上がりとは?

(2)減量する為に騎手がサウナ風呂に入ることを?

(3)インブリードって何の事?

(4)道中でスピードを落としてラストパートの為にスタミナ温存することを何を入れると言う?

(5)馬の温泉がある都道府県は?

(6)レースや調教で馬の走る気に任せることを?

(7)エビハラって何の事?

(8)オッズの倍率提示は何円を元にしている?

(9)生産者兼馬主の事を英語で何という?

(10)競馬愛好会に入って良かった? 


 あっ。(8 )とかやったばっかじゃん! 見た感じ分かりそうね 

 星宮さんの辞典のお陰で問題はスラスラと答えることが出来た


 問題の横に配点が書いてるけど(9)までが各1点なのに対し(10)だけ配点が10点になっているのは、もし他の問題を答える事が出来なかったとしても(10)で10点をくれて合格にする為なのかな

 う〜ん。なんかくすぐったいけど嬉しいような、何とも言えないなこの気持ち


(1)レースや調教の終盤のこと

(2)汗取り

(3)同一の祖先を持つこと血統表で5代前までで

(4)息

(5)福島県と北海道

(6)馬なり

(7)屈腱炎くっけんえん

(8)100円

(9)オーナーブリーダー


(9 )まで書き終えたけどインブリードや屈腱炎とか言葉として暗記したものの、内容まではしっくり来てない用語も正直けっこうあるけどね。それに福島県に馬の温泉あるのも引っ越した後に知ったんだけど


 わたしは最後の(10)に力強く『もちろん、これからも色んな事を教えてね』

 と、書いて小テストを終え星宮さんにプリントを渡した。


「お疲れ様。もう答え合わせしよっか」

「見た感じ大丈夫そうだが」

「ここに編入して来られる位だから、ひらっち、頭良いでしょ」


 星宮さんが机に置いたプリントを横から一ノ瀬さんと火山さんが覗き込む

 赤ペンを星宮さんは手に持ち次々に○を付けていく


「うん。全問正解! すごいよ星宮さん」

「良かったぁ」 

「点数はっと、あれ? 19点?? 」


 何かまずいことしちゃったかな? でも、10点以上で合格なはずだよね。眉根を寄せる星宮さんに少なからず不安を覚える


「てへ。(10)の配分ミスって10点になってた。夜遅くで寝ボケてたのかな」

「星宮らしいと言えば星宮らしいが」

「いやぁ。ごめんごめん平地さん。中途半端な19点になって」

「全問正解は変わらないし、やったね。ひらっち」


 あえて(10)は配点を10点にしてくれたんじゃないの?? てっきり私の為にしてくれたもんだと思っちゃったじゃない……


「これからも色んな事を教えてくので、平地さんが入ってくれて本当に良かったよ。はなまる上げちゃうね」


 プリントにどデカい花丸を付けてくれた星宮さん。ここぞとばかりにローカルタレント必殺の万人受けスマイル出して来るのはズルい


「第一回小テストも終わった事だし」

「そらっち。ずいぶんと略したね。さっきは競馬愛好会の。とか言ってたのに」

「通じればどっちでも良いよ。それより明後日と言えば」  


 明後日は日曜日だけど何かあったっけ? 


皐月賞さつきしょう


 火山さんと星宮さんがハモる。皐月賞は知らないよ。まだア行までしか知らないんだから 

 桜花賞は先週のと合わせて覚えたけどサ行はもう少し待って


「牡馬クラシック1冠目。楽しみだな」


 珍しく一ノ瀬さんの声のトーンが上がったけど、そんなに凄いの? だからクラシックってなに? カ行ももう少しだから


「そう。今年は何て言っても3冠馬候補で漆黒の怪物『テネブラエ』がいるからね」

「強いよね3戦3勝、3戦で2着以下に付けた着差が17馬身」

「まさに怪物に相応しい」


 3人は興奮してるみたいだけどわたしとの温度差がヤバイ

   

「そこで明後日の皐月賞は、ここでテレビ観戦しようよ」

「良いね。バイトも午前で終わるし」

「私は元から来るつもりだったから構わないが」


 3人の視線は当然の様にわたしに集まるので、手を上げながら


「じゃあ。わたしも」

「イエ〜イ」 


 謎に星宮さんにハイタッチされる


「あたしも午前は撮影入ってるけど14時過ぎには来れるからさ。エイルにも声掛けてみるよ」

「ひらっち。15時前に来てれば大丈夫だよ」

「レースは15時からなの? 」

「レースは15時35分とか40分位だけど、TVでやるのが15時からなんだよ」


競馬のテレビなんて観たことないから何時にやってるのかも知らなかった。 


わたしの人生初のテレビ観戦レースは皐月賞になるらしい

意外と楽しみにしている自分がいるのは、競馬に興味を持ち始めたからか、皆と過ごせるのが楽しいからなのか

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