第三話:砂塵の聖域

 舷窓まどから差し込む光が船倉をあかあかと照らしていた。

 彼方に目をむければ、激しくプロミネンスを噴き上げ、音もなく燃えさかる火球がみえる。

 恒星オデッサXLIIフォーティー・ツー

 その名は、人類が外宇宙に進出してから四十二番目に到達した恒星であることに由来する。

 太陽系のそれに比べるとだいぶ白っぽく、上下に押しつぶされたみたいに扁平しているのは、きわめて速い自転周期をもつためだ。恒星のコアを包むガスが遠心力によって引き伸ばされ、超高温・高圧の渦流ストリームとなって宇宙空間に流れ出しているのである。


 ショウジは蓋の開いたサバイバル・キットを手にしたまま、じっとその輝きを見つめている。

 ふつうのガラス越しであれば一秒と経たずに網膜を灼かれて失明するところだが、舷窓はあくまでイミテーションだ。

 艦の光学センサーが捉えた映像を窓状のディスプレイに映し出しているにすぎない。どれほど顔を近づけたところで、人体に害を及ぼすことはないのである。


「ショウジ、手が止まっていますよ?」


 ふいに背後から声をかけられて、ショウジははたと我に返った。

 振り返れば、青い作業服に身を包んだ十七、八歳の女性が腕を組んでいる。

 外見は変わっているが、その声はまさしくクロエだ。

 食堂や甲板まわりの作業は水兵服セーラー、キャプテンの身の回りの世話をする際にはハウスキーパー・メイド、倉庫の管理や清掃は作業服といったように、艦の各エリアごとに三次元立体像ホログラフィの外見を変えているのだ。

 ショウジはあわててサバイバル・キットを棚にもどすと、別の段から未開封の携帯用酸素タンクをいくつか取り出す。


「ご、ごめん! サボってたつもりじゃないんだ」

「サバイバル・キットの使用期限と内容物の点検――――それが今日のあなたの仕事でしたね?」

「分かってるよ、クロエ。生まれ故郷のハトウシャ以外の太陽を見たのははじめてだから、ちょっと見とれちゃっただけさ」


 クロエはこめかみに指を当てながら、片目を開けてショウジを見る。


「非常食や携帯用酸素は生死を左右する重要なものです。アラドヴァルの乗組員クルーとしてしっかりお願いしますね、ショウジ・ブラックウェル水兵」

「りょ、了解であります!!」


 身体をぴんと伸ばして敬礼をしたショウジは、「そういえば」と言って、


「ところでクロエ、このふねはどこへ向かって……?」

「あれをごらんください」


 舷窓の映像が切り替わり、赤茶けた惑星が映し出された。

 そこかしこに散らばった青白いシミのようなものは、どうやら惑星に存在するであるらしい。

 水と大気の存在は人類居住領域ハピタブルゾーンの証だ。


「惑星エルトギャウ。外宇宙でも有数の貿易拠点です。もっとも、世間ではもうひとつの名前のほうがよく知られているかもしれませんね――――」


 クロエが言い終わらないうちに、震える声でつぶやいたのはショウジだった。


「”宇宙海賊の聖域パイレーツ・アサイラム”……」


***


 惑星エルトギャウの歴史は長い。

 最初の開拓船団がオデッサ星系に到達したのは、いまから二千五百年ほどまえのこと。

 オデッサ星系に属する十三の惑星のなかで第六惑星エルトギャウがテラフォーミングの対象に選ばれたのは、この星が唯一地表に海を持っていたためだ。

 開発が順調にすすむなか、希少鉱物レアメタルの大鉱脈が相次いで発見されたことで、エルトギャウは黄金狂時代ゴールドラッシュへと突入していった。

 太陽系内外からの巨額の投資が流れこみ、一攫千金を夢見て近隣星系からの移民が押し寄せたのである。


 かくして外宇宙アウター・ユニバースで最も豊かな惑星となったエルトギャウだったが、その繁栄もわずか百年ほどで幕を閉じた。

 恒星オデッサXLIIフォーティー・ツーの太陽活動がにわかに活発化し、星系内に膨大な紫外線と熱エネルギーを伴った太陽嵐が吹き荒れるようになったのである。

 はたして、エルトギャウは急激な気温上昇とオゾン層の破壊によって灼熱の惑星と化した。

 惑星の八◯パーセント以上を占めていた海洋は蒸発し、現在では各地に点在する塩湖がその痕跡を留めるにすぎない。

 すでに財産を築いていた入植者の子孫たちは先を争ってエルトギャウを脱出し、最盛期には百五十億人になんなんとした総人口は、わずかな期間のうちに百万人以下にまで激減した。

 そのころには希少鉱物もほとんど掘り尽くされ、残っているのは駐留部隊の軍人とその家族だけというありさまだった。

 事態を重くみた太陽系の中央政府インナー・ガバメントは、ついにエルトギャウをテラフォーミングの失敗事例と認定し、すべての人員の引き上げを決定した。

 エルトギャウの歴史は、ここでいったん終焉を迎えたと言っても過言ではない。


 オデッサXLIIフォーティー・ツーの異常活動は、三百年ほど続いたあとで自然に熄み、星系にはようやく平穏が戻った。

 惑星エルトギャウは、しかし、そのころにはすでに砂漠の惑星へと姿を変えていた。

 地表には打ち捨てられた宇宙港や軍事施設、都市の廃墟がそのまま残され、塩分をふくんだ砂嵐が吹きすさぶ死の世界……。

 そんなエルトギャウに、宇宙じゅうのはぐれ者が示し合わせたみたいに集まりはじめたのは、いつのころだったのか。

 指名手配を受けた逃亡者、故郷から追放された重犯罪者、違法な薬物や兵器をあきなうヤミ商人、迫害を受けた宗教の信徒たち、海軍の脱走兵、主人のもとから逃げ出した奴隷や娼婦……。

 エルトギャウの過酷な環境も、表の世界で生きられない者にとっては、むしろおあつらえむきの隠れ家となった。

 なかでも”犯罪者の王”と称される宇宙海賊スペース・パイレーツにとって、エルトギャウは中央政府と海軍ネイビーの統治がおよばない理想郷だった。

 海賊たちは宇宙港をはじめとするインフラを再建し、略奪品と人身売買のための巨大なマーケットを築き上げた。

 現在の総人口はおよそ四億人から六億人。本籍地も市民番号ももたない彼らの人口を把握することは不可能なのだ。


 あらゆる法規や道徳モラルから解き放たれた惑星エルトギャウは、名実ともに”海賊たちの聖域パイレーツ・アサイラム”にふさわしい。

 盗みも殺しもすべてが自由。いつ襲いかかるともしれない理不尽な暴力からわが身を守りたければ、それに対抗出来るだけの暴力を身につけるほかに手立てはない。

 狂気と快楽とが甘く毒々しい粘液にまみれて絡み合う、そこは悪徳の坩堝にほかならなかった。


 海賊戦艦アラドヴァルは、この宇宙で最も危険な惑星へと向かっているのだった。


***


 実際に降り立ってみれば、地上のひどさは予想以上だった。

 白く乾いた大地はひび割れ、赤茶けた空には鳥の一羽も見当たらない。

 周囲に人家はおろか、人の痕跡すら見当たらない。みわたすかぎりの岩石砂漠だった。

 海水が蒸発した塩辛い砂を吸い込んでむせるショウジに、キャプテン・ジュリエッタは無言でゴーグルと一体になった防塵マスクを差し出す。

 高濃度の塩を含有する砂は、目や喉の粘膜を通して人体に深刻なダメージを与える。マスクとゴーグルなしで砂漠を歩くことは、この星では自殺を意味しているのだ。


「ありがとう――――キャプテンはつけなくても大丈夫なのか?」

「大丈夫な人間なんていないわ」


 どこか可笑げに言って、ジュリエッタは赤いマスクで口と鼻を覆う。

 防塵換気装置ベンチレーターを内蔵したマスクがあれば、呼吸のさいに砂を吸い込む心配はない。

 ヘーゼルグリーンの瞳を覆うのは、強烈な紫外線から目を守るための遮光ゴーグルだ。

 ジュリエッタは空を見上げると、左手首につけた通信端末にむかって語りかける。


「クロエ、そっちから見えてる?」

はいイエス・マム。キャプテンたちの姿は精確に捕捉しています」

「私たちが用件を済ませるまで、アラドヴァルを人目につかないようカムフラージュしておきなさい。くれぐれもほかの海賊に勘づかれないようにね」

「しかしキャプテン、もし運悪く発見されてしまった場合は?」

「そういうときに私がどうするか、まさか忘れたわけじゃないでしょう?……じゃ、ね」


 手短に言って、ジュリエッタは通信端末をオフ。

 ジュリエッタとショウジを乗せた連絡艇カッターを投下したあと、アラドヴァルはエルトギャウの静止衛星軌道上に留まった。

 アラドヴァルは分類こそ航宙戦闘艦だが、この時代の高性能艦のご多分に漏れず、その気になれば大気圏内飛行も難なくこなすことができる。

 ただし、その場合は空気抵抗や摩擦熱による船体の傷み、使用可能な火器の制限、エネルギー消費の増大といったネガティブな影響も無視できない。

 よほどのことがないかぎり、大切な商売道具であるふねは地上に降ろさない……。

 これが海賊の鉄則だった。


 と、ふいに甲高いモーター音がショウジの耳を打った。

 振り返れば、連絡艇のハッチの奥から小型のエアムーバーが出てくるのがみえた。

 よほど道路インフラが整った星でないかぎり、外宇宙ではタイヤやキャタピラは役に立たない。

 少人数での移動手段には、もっぱら小型反重力ドライブによって地表数メートルを飛行するエアムーバーが用いられるのだ。


 ショウジはおっかなびっくり近づく。

 全長およそ三メートルほど。赤と白のストライプがスマートな車体に映える。

 その中心には、前後に連なった細長い縦列複座タンデムシートがある。

 運転席にまたがっているのは、むろんジュリエッタだ。


「はやく乗りなさい」

「いや、あの……俺、こういう乗り物は……」

「もしかして、エアムーバーに乗るのははじめて?」


 ジュリエッタはショウジの手を掴んでむりやり後部シートに座らせると、


「ショウジ、しっかり私に掴まっていなさい。締めつけてやるんだってくらい腕に力を入れないと、すぐに振り落とされるわ」


 スターター・スイッチを押し込み、エアムーバーを発進させる。

 走り出してから時速一◯◯キロメートルまでの所要時間はわずかに一・七秒。

 風切り音と風圧がごうごうと鳴り響くシート上では、甲高いモーター音も気にならない。

 ようやくスピードに慣れてきたところで、ジュリエッタの髪の甘い匂いと、やわらかな背中と腹の感触に気づいて、ショウジはおもわず顔を伏せる。

 家族でもない女性とここまで身体を密着させるのは、正真正銘、生まれてはじめてだった。


「あのっ――――キャプテン、どうして俺を連れてきてくれたんですか!?」

「これから私が行くのは、あなたにも関係がある場所だからよ」

「それって、どういう……」


 ふいにエアムーバーのスピードが上がった。

 時速二◯◯キロはゆうに超えている。

 突然の急加速に面食らったショウジは、風圧に耐えながら叫ぶ。


「キャ、キャプテン!?」

「静かにして。私にしっかりくっついて、いいと言うまで動かないで」


 左右の砂丘から二台のエアムーバーが飛び出してきたのはそのときだった。

 どちらもくすんだダークイエローに塗られている。

 見るからに年季の入った外観からは、長年にわたり強化・改造を繰り返してきたことが窺えた。

 車体後部には簡素な旋回銃座ターレットが設置されている。ベルト給弾タイプの機関銃はいかにも骨董品めいているが、生身の人間を殺すには必要にして充分だろう。

 ライダーとガンナーは、左右からジュリエッタのエアムーバーを挟み込むべく、わざと大回りに旋回する。


「さっそくお出迎えというわけね――――ショウジ、歯を食いしばってなさい」


 ショウジの返事を待たずに、迫りくる二両にむかって、ジュリエッタはアクセルを全開していた。

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