第十四話:彼方への船出
かすかな振動がアラドヴァルの
メイン・ディスプレイを無骨な機械の腕がよこぎっていく。
艦を
前方の隔壁が音もなく折りたたまれ、宇宙空間へと伸びる誘導灯が赤から緑へと色を変える。
「固定用アームの取り外しを確認――――各部最終チェック。
「
「
クロエが応ずるが早いか、艦橋のそこかしこで光点がまたたいた。
艦の出力を示すインジケータが急激に上昇していく様子を見つめながら、ショウジはぐっと拳を握りこむ。
はじめて出港に立ち会う緊張と昂揚感に、少年の胸は否応なく高鳴っている。
「機関出力安定。航法および火器管制システム、正常に作動中。進路クリア。発進準備よろしい。……キャプテン、ご命令を」
自分に向けられている視線に気づいたのか、ジュリエッタはショウジのほうをちらりと見やる。
それも一瞬、美貌の女海賊は、研ぎ澄ました刃のような声で命令を下す。
「両舷前進微速――――アラドヴァル、発進」
ディスプレイのなかで景色が流れる。
アラドヴァルが
慣性制御装置によって艦内の人間が加速度を感じることはない。
あざやかな
「姿勢制御スラスター展開。
ジュリエッタの指示に、クロエは「
聞き慣れないその語感に戸惑うショウジに、
「古い船乗り言葉です。見習い水兵にはあとで教えてあげますからね」
からかうように言って、人工知能の女はふっと微笑みを浮かべた。
折りたたまれていた姿勢制御スラスターを開いたアラドヴァルは、小惑星のまわりをゆるやかに旋回する。
本格的な船出をまえに艦が正常に動作しているかどうかテストするためだが、目的はそれだけではない。
アラドヴァルは小惑星の一角にもうけられた展望デッキの上を
艦橋のディスプレイにルベルの姿が映し出されたのはそのときだ。
気密ガラスに身体を押し付けるようにして、黒髪の娘はアラドヴァルにむかっておおきく手を振っている。
映像をズームアップしてみせたのは、クロエの気遣いであった。
「
「あの娘はいつもそう。本人がそれでいいのなら、私はべつにかまわないけれど」
「本当、素直じゃな――――」
言いさして、ショウジは唇に手を当てる。
そこには昨夜の口づけの感触はまだありありと残っている。
怪しまれまいと手を離したのと、クロエと目が合ったのは同時だった。
「ショウジ、体温と心拍数が上昇しているようですが?」
「な、なんでもない……です」
「キャプテン、彼にメディカルチェックを実施する許可をねがいます。もし感染性の疾病が原因だった場合、艦内の衛生環境に影響が――――」
クロエの言葉を遮るように
ジュリエッタはすばやく手元のコンソール・パネルに目を落とす。
「クロエ、この通信はどこから?」
「発信者・発信源ともに不明。複数の離散対数式を組み合わせたアルゴリズムで暗号化されています。推定される暗号鍵パターンはおよそ三百垓通り」
「開封を許可する。鍵開けは任せるわ、クロエ」
「
ジュリエッタは通信文にひととおり目を通していく。
添付されたデータには触れず、ジュリエッタはショウジのほうに顔を向ける。
「ショウジ、ここから先はあなたの目でたしかめなさい」
「俺が……?」
「これはドン・スコルピオーネからあなたへの報酬ですもの。艦長であっても、先に手をつける権利はないわ」
ジュリエッタの言葉に、ショウジは「あっ」と素頓狂な声を洩らす。
もし海軍から”宇宙海賊の聖域”を守ることが出来たなら、
あの日、ドン・スコルピオーネと交わした約束を忘れていたわけではない。
短期間のうちに経験したさまざまな出来事に圧倒され、出航当日の今日まで意識の片隅に追いやられていただけのことだ。
もっとも、どんなに気がかりであったとしても、見習い水兵にすぎないショウジがジュリエッタやルベルに褒美を催促することなど出来るはずもない。
「本当に受け取っていいのかな。俺、キャプテンやクロエに助けてもらわなきゃなにもできない未熟者なのに……」
「あなたにはその資格がある。たとえほかの誰がなんと言おうと、私はそう思っているわ」
常と変わらず冷静で力強いジュリエッタの言葉に、ショウジは無言で肯うのがせいいっぱいだった。
ショウジはジュリエッタの傍らに移動すると、震える指でファイルに触れる。
青い輝きをはなつ惑星が眼前に浮かび上がったのは次の瞬間だった。
「これ、もしかして、地球……」
三次元立体ディスプレイに表示された惑星を見つめながら、ショウジは誰にともなく呟いていた。
太陽系の第三惑星・地球。
人類共通の
人類のほとんどが
それも当然だ。どれほど地球への帰還を切望したところで、太陽系の外で生を享けた者は、
たとえ現実に存在していたとしても、手の届かない楽園は空想上の産物となにも変わらない……。
こうして地球の姿を目の当たりにするまでは、ショウジもそんな冷めた考え方を抱く人間のひとりだった。
そうするうちに、立体映像の地球はじょじょにちいさくなっている。
ディスプレイに映し出されるエリアが太陽系全域へと拡大しているのだ。
まばゆく輝く太陽を中心に、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星へと。
やがてあらわれた天体の運行図は、ショウジが目指す太陽系の全景にほかならなかった。
よくよく目を凝らせば、火星と木星の中間でまたたく光点が目に入った。
「キャプテン、これは……!?」
ショウジの問いかけに、ジュリエッタは首を横にふる。
外宇宙を駆けめぐる女海賊も、太陽系内の事情については通り一遍の知識しか持ち合わせていないのだ。
データを持ち合わせていないという点にかんしては、クロエも同様らしかった。
「海軍が作成した標準航路図によれば、その座標は
太陽系を映していた映像が急激にズームアウトしたのはそのときだ。
ズームが止まり、およそ千光年先の宇宙までディスプレイに収まったときには、すでに地球も太陽も目を凝らさなければ見えないほどちいさくなっている。
そんななかで、なにも存在しないはずのアステロイドベルトの光点だけが輝いているのは奇妙でもあった。
ふいに光点から青白い輝線が伸びたかとおもうと、宇宙の一点でぴたりと静止した。
「座標を特定。
「クロエ、そのあたりはたしか……」
「航行禁止区域のなかでも最も危険とされているエリアです、キャプテン。強力な
クロエの説明に、ショウジはむろん、ジュリエッタも言葉を失った。
太陽系内のアステロイドベルトと、ブラックホールへと変貌しつつある中性子星。
およそ千光年を隔てた二点をむすぶ光の道はなにも語らない。
沈黙を破ったのはショウジだった。
「キャプテン。俺、この場所に行くよ。なにがあるのか見当もつかないけど、ドン・スコルピオーネがでたらめを言うとはおもえない。一か八かの賭けだとしても、手がかりがないよりはずっといい」
「……」
「もちろん、いつか自分の艦を手に入れたら……だけど」
気丈にふるまってはいるが、不安は隠しきれるものではない。
ふたたび重苦しい沈黙が
「思っていたとおりです。やっぱりあった」
声を弾ませたクロエに、ジュリエッタは怪訝そうに問いかける。
「なんの話?」
「もしかしたらと思って、暗号鍵のパターンをもういちど総ざらいしてみたんです。そうしたら案の定、もうひとつの鍵が見つかりました」
クロエが言い終わるより早く、ディスプレイ上の天体図に変化が生じた。
「ファイルは複層構造になっています。深層レイヤに隠されたデータを呼び出し、この天体図に重ね合わせれば――――」
アステロイドベルトとゲミヌスの両地点が拡大され、複数の画像がポップアップする。
どれも鮮明とは言いがたいが、映っているものはかろうじて判別できる。
「これは――――」
奇妙な光景に、ショウジはおもわず息を呑んだ。
宇宙空間に金属色の
総数は三十個あまり。それぞれの頂点は無数の
遠近感のない宇宙で物体の正確なサイズを把握することはむずかしいが、正八面体の一つひとつはアラドヴァルよりもはるかに大きいだろう。
しばらく眺めているうちに、ショウジは画像に添えられた手書きの
「”第十四次
質問されるより早く、クロエはすでに艦のデータベースから該当する資料を探し当てている。
「およそ五千年まえに実施された人類史上初の恒星間植民計画です。第十二次計画の半ばでプロジェクト自体が打ち切られたため、以降の計画は存在しないはずですが」
「打ち切り? それも計画の途中で?」
「詳細は不明――――より正確に言えば、広域播種計画の内容は
なおも諦めきれず、手がかりを求めてほかの画像に目を移したショウジは、おおきく眼を見開いた。
「キャプテン……これ……」
少年の視線の先には、一組の男女を映した写真がある。
ご多分に漏れず画質はかなり悪いが、どちらも白い軍服を着用していることはわかる。
初期の植民計画の中核を担った
海軍の前身にあたる組織だが、解体から三千年あまりが経過した現在では、その存在を知る者もすくない。
写真は宇宙船の内部で撮影されたものらしい。
女のほうはカメラに背を向け、丸い舷窓を覗き込んでいる。顔貌は窺いようもないが、しなやかな身体つきは二十歳を超えたかどうかというところだろう。
一方、こちらにむかって微笑む男はいくらか年嵩――といってもまだ三十代の半ば――だ。
浅黒い肌と赤みがかった黒髪、そして
写真の彼方と此方には、数千年の歳月という超えがたい壁が横たわっている。
当然、おたがいに面識などあるはずもない。
それでも、写真の男を指差しながら、ショウジは震える声で呟いていた。
「この男だ――――あの日、俺の家族を殺したのは」
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