第十三話:出航前夜

 船渠ドック内に差し渡された空中通路キャットウォークを歩いていたショウジは、ふと足を止めた。

 気密ガラスのむこうに目を向ければ、あざやかな朱紅色バーミリオンレッドをまとった美しい艦がみえる。


 海賊戦艦アラドヴァル。

 先の戦闘で各部を損傷したアラドヴァルは、そのままスコルピオーネ・ファミリア所有の小惑星ドックに入渠した。

 それから二週間あまりが経った今日、ようやくすべての破損箇所の修復が完了したのである。

 大破した姿勢制御スラスターやミサイル発射管も完全に復元され、こころなしか以前よりも輝いてみえる。

 しばらく眺めているうちに、ショウジは艦橋のあたりに見慣れないマークが描かれているのに気づいた。

 よくよく目を凝らしてみれば、それは戦艦のシルエットだ。

 その傍らには「ONSS-408 ”Gunstoak”」の文字と、撃沈された日時が書き込まれている。


 惑星エルトギャウ沖合で生起した海軍ネイビーとスコルピオーネ一家ファミリアの艦隊戦において、アラドヴァルはただ一隻でガングレイ級戦艦”ガンストーク”を撃沈する大殊勲を挙げた。

 ガングレイ級は、系外海軍アウター・ネイビーでも最強の戦闘力をもつ超巨大戦艦である。どれほど過酷な戦場でもかならず生き残ってきたことから、いつしか不沈艦の異名を取るようになり、系外海軍のシンボルにもなっていたのだ。


 もっとも、それもいまとなっては過去の話だ。

 ガングレイ級の不敗神話は、アラドヴァルに沈められたことで終焉をむかえた。

 そして、あのとき、アラドヴァル艦橋の射手席ガンナーシートで陽子縮退砲を発射したのは、ほかならぬショウジなのだ。

 ジュリエッタとクロエがサポートしてくれていたとはいえ、自分の指でトリガーを引いたことには変わりない。

 二週間が経った現在いまでも、沈みゆくガンストークを思い出すと、ショウジの胸ははげしく鼓動を打ちはじめるのだった。


「おー、なんやなんや、そこにおったんかいな――――」


 ふいに背後から声をかけられて、ショウジはとっさに振り返る。

 思ったとおり、視線の先に立っているのはルベルだった。

 ルベルは足早にショウジに歩み寄る。二人は肩を並べる格好になった。


「明日の朝には出航やのに、こんなところでなにしとんねん」

「アラドヴァルを見ていたんだ。あの状態からよくここまで直ったな……ってさ」

「当たり前やないか。ジュリエッタねえは大切なふねをボロボロにしてまでうちらのために戦ってくれたんや。その恩義に報いるためにも、うちが責任持ってピッカピカに仕上げたったんねん」

「ルベルがこれを?」

「ふふん、機械いじりはうちの十八番おはこやさかいにな。ドックに備え付けてある自動成形器にデータを入力すれば、派手にふっとばされた艤装も元通りっちゅうわけや。もちろんメチャクチャになった艦内設備もばっちり修繕済みやで」


 得意気に言って、ルベルは胸をそらしてみせる。

 ショウジはしばらく逡巡したあと、アラドヴァルの艦橋を指差しながら尋ねる。


「ところで、艦橋のマークのことなんだけど……あれもルベルが描いたのか?」

「なんや、あんた撃沈キルマークを知らんのかいな」

「そのくらいは俺だって知っているよ。撃沈した敵艦をああやって書き込んでいくんだろ。そのわりにはほかに見当たらないけど」

「ジュリエッタねえは敵艦を沈めても撃沈マークをいちいち書き込んだりせえへん。あの人みたいな凄腕が律儀にそないなことやっとったら、アラドヴァルはそこらじゅう撃沈マークで埋め尽くされたケッタイな艦になってまう。でも、今回だけは特別――――ジュリエッタ姉は、たぶんあんたのに残しとこ思うたんちゃうかな」


 ルベルはいたずらっぽく笑うと、ショウジの横っ腹を肘で小突く。


「あんた、ジュリエッタ姉にだいぶ気に入られとるみたいやないの」

「そうかな?」

「なんや鈍感な奴っちゃのう。自覚しとらんかったんかいな」


 ルベルは呆れたようにため息をつくと、ショウジの背中を強く叩いた。

 バランスを崩して転倒しそうになったショウジをよそに、ルベルはひとりごちるみたいに言葉を紡いでいく。


「ジュリエッタ姉はめったに他人を自分の艦アラドヴァルに乗せないんや。うちもこれまで何度もいっしょに連れてってくれ言うて頼み込んだけど、あの人はとうとういちども首を縦に振ってくれんかった。だからジュリエッタ姉があんたを連れてきたときは、うちはそらもうショックやった。キツい態度を取ったのもそのせいと思うてくれてええ。……ようするに、あんたが羨ましくて嫉妬しとったんや」


 そこまで言って、ルベルはふっと微笑みを浮かべる。


「でもな、ジュリエッタ姉があんたを気に入った理由わけ、いまならうちにも分かる気がするわ。危ないところも助けてもろたしなあ」

「俺は大したことはなにもしていないよ。キャプテンの指示に従って動いただけだ」

「それよ、それ。ひとつの手柄にあることないこと盛って百倍にも千倍にもふくらますのが宇宙海賊の世渡りや。あんたみたいな正直なヤツは海賊には向いとらん」

「だったら、どうしてキャプテンは俺を……?」

「ジュリエッタ姉もあんたとおなじタイプだからや。あの人はだれよりも宇宙海賊らしいのに、宇宙海賊の常識なんぞどこ吹く風や。そういうジュリエッタ姉のそばには、あんたみたいのしかおれへんのやろな」


 ルベルの言葉には、隠しようのない寂しさがにじんでいる。

 大親分ドンの実娘として、スコルピオーネ・ファミリアを背負って立つべく宇宙海賊の英才教育を受けてきたルベルである。

 組織ファミリアの利益はいついかなる場合でも個人に優先する。組織あっての個人であり、その逆はありえない。組織存続のためには時として非情な決断を下さなければならず、また必要とあればどんな卑劣な手段もためらってはならない。……

 それがドン・スコルピオーネの帝王学であり、ルベルにとっては自分を導いてくれる偉大な父の教えだった。


 だが――――と、ルベルはおもう。

 おなじ宇宙海賊でも、ジュリエッタの生き方はまるでちがう。

 あの女性ひとは組織に属することなく、たったひとりで宇宙を渡っている。

 組織の力を頼ることができないかわりに、自分の心を偽ってまで尽くすこともない。

 他人に理不尽な死を命じられることはないが、自分の死に場所は自分で見つけなければならない。

 自由と呼ぶにはあまりに孤独な航海は、いつ終わるともしれない巡礼の旅に似ていた。

 あの艦アラドヴァルに乗るには、ルベルはあまりにも多くのものを背負いすぎているのだ。


「正直、いまでもアラドヴァルに乗れるあんたが羨ましゅうてたまらん。……けど、うちも”宇宙海賊の聖域パイレーツ・アサイラム”でやらなあかんことが山積みになっとるさかいに、今回はジュリエッタ姉にもワガママは言わんつもりや。ただし――――」


 あっけらかんと言いのけたルベルは、そのままショウジの顔に自分の顔を近づけると、ほとんど不意打ちみたいに唇を奪った。

 ショウジはしばらく放心したみたいにルベルを見つめたあと、素っ頓狂な声を上げて後じさる。


「うわあああ!! な、なにするんだよ!?」

「なんや、もしかしてはじめてだったんかいな? 助けてくれたお礼と、とでも言うとこか。アラドヴァルに若い男が乗っとるのは不安やさかい。もしジュリエッタ姉におかしな気ィ起こしそうになったら、うちが先約やゆうことを思い出しや」

「先約って、どういう意味――――」

「もしスコルピオーネ・ファミリアの盃もらいとうなったら、いつでもエルトギャウに来るとええ。うちも大親分ドンも大歓迎や!」


 遠ざかっていくルベルの後ろ姿を呆然と見送りつつ、ショウジはそっと唇に触れる。

 自分以外の体温を指先に感じながら、少年は足早に駆け出していた。

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