第十二話:復讐は誰がために

 警告灯コーションライトの赤い光が艦内を染め上げていた。

 いま、人気ひとけのない廊下を必死に駆けるのは、肥満と痩せぎすの男ふたり。

 ベネデットとジョルジオの兄弟であった。


「くそったれめ……いったいなにがどうなってやがる!? 海軍ネイビーの連中も見当たらんぞ!!」


 ベネデットは悪態をつくと、床にツバを吐き捨てる。


フネになんかあったようですぜ。おかげであにさんも俺も、こうして自由になれたんですから、こっちとしちゃ好都合ですが……」

「ジョルジオ、まさか沈むなんてことはないだろうな?」

「こいつは天下のガングレイ級戦艦ですぜ。ルベルみたいな小便くさいガキが逆立ちしたって敵いやしませんや」


 前方に細長い影が伸びたのはそのときだった。

 赤色灯が降りそそぐなか、影はたちまち黒髪の少女の姿を取った。


「おーおー、なんや聞き捨てならん言葉が聞こえてきたやないの。だーれが”小便くさいガキ”やて?」


 ルベルはレーザーマシンガンを腰だめに構えたまま、二人のに冷たい微笑みをむける。


「ル、ルベル!! 手前てめえ、どうやってここに!?」

「なんや、知らんのかいな。ガングレイ級戦艦は真っ二つにへし折れて航行不能。海軍ネイビーの奴らは内火艇ランチでとっくに逃げ出したわ。無人の艦内に残ってる生体反応を辿ってみたら、ビンゴというわけや」

「バカな……そんなヨタ話、俺は信じねえぞ!!」

「嘘だと思うんなら格納庫を見に行ってみい。内火艇ランチ連絡艇カッターも、あんたらが使える脱出艇は一隻も残っとらん。ようするに、二人そろって海軍に捨てられたっちゅうわけや――――」


 からからと笑うルベルとは対照的に、ベネデットは満顔に朱を注いだようになっている。

 ジョルジオは懐に手を差し込んだまま、じりじりとルベルににじり寄る。


「ルベル。いくら腹違いの妹でも、これ以上兄貴おれたちを侮辱するのは許さんぞ」

「勘違いすんなや。あんたらはとっくに破門されてんねんで。もう一家ファミリアの一員でもなければ兄弟でもない。しいていえば、金に目がくらんだチンピラってとこか」

「このガキァ、言わせておけばッ!!」


 ジョルジオの懐から黒光りするものがすべり出た。

 旧式の大型自動拳銃オートマチックだ。

 五○口径マグナム弾を使用するこの銃は、人類が宇宙進出を果たして一万年ちかくが経過した現在でも、拳銃としては最大級の破壊力をもつ。

 発射炎マズルフラッシュとともに打ち出された弾丸は、しかし、ルベルの右の頬を浅くえぐっただけだ。

 義眼に搭載された弾道解析プログラムが射線を予測し、ほんのわずか首を傾けるだけで、ルベルは致命的な一撃を回避したのである。


 飛び退きざま、ルベルはレーザーマシンガンを三点連射バーストで発射。

 三本の光条は、あやまたずジョルジオの眉間と心臓、腹部を貫いていた。

 レーザーによる貫通痕は出血をともなわない。数千度の熱で血管が焼き止められるためだ。

 ひょろひょろと三本の細い白煙をたなびかせるジョルジオの亡骸は、どこか滑稽でもあった。


「ひいッ!! たのむ!! 助けてくれ――――」


 弟の死を目の当たりにして錯乱したのか、ベネデットは恥も外聞もなく叫ぶ。


「なにがほしい!? 金ならありったけくれてやる! 次の大親分ドンの跡目がほしいならよろこんで譲ってやる!」

「目腐れ金なんぞいるかいや。それに大親分ドンの跡目を決めるのはあんたやない。いつまでも眠たいこと言いくさってからに」

「だったら、どうすれば……」


 言って、ルベルはレーザーマシンガンの銃口をベネデットの額に突きつける。

 じゅう――と、ちいさな音が聞こえた。高熱を帯びた銃口が皮膚を焼いたのだ。

 けっして消えないそれは、罪人の烙印にほかならなかった。


「うちが九歳ここのつのとき、母親おかんといっしょに誘拐されたのは覚えとるな。誘拐犯はうちの両眼と両腕と内臓はらわた、そして母親おかんの惨殺死体をお父様のところに送りつけた。身代金目的ちゅうのは建前や。スコルピオーネ・ファミリアが交渉に応じないことは百も承知で、大親分ドンを精神的に痛めつけたろうっちゅう肚だったんやろ」

「……」

「そんな回りくどい手を使ってまで大親分ドンを弱らせようとする人間は二人しかおらん。ファミリアの実権を握ろうとあれこれ画策しとったあんたとジョルジオや。あんたらの絵図どおり大親分ドンは寝たきりになったが、その後も生きてファミリアを仕切っとるのは予想外やったろうな」


 わずかな沈黙のあと、ベネデットは呻くように声を洩らした。


「そう……だ。おまえとその母親を誘拐させたのは、俺とジョルジオだ」

「ようやく白状ゲロしよったか」

「だがな、これだけは言っておくぜ。もとはといえばおまえたち母娘が悪いんだ」


 いかにも好色そうな笑みを浮かべたベネデットは、ルベルの身体に舐めるような視線を這わせる。


「おまえの母親はそりゃあいい女だった。死にかけの親父にはもったいないくらいのな。だから俺はこう持ちかけてやったのさ――――あんなくたばりぞこないの老耄おいぼれは捨てて、俺の情婦イロにならないか? 親父が死んだら正妻に迎えてやってもいい……ってなあ」

「……」

「そう言った瞬間、あのアマは俺の顔を張り飛ばしやがった。自分は大親分ドンの女、たとえ星ひとつもらってもあの人以外の男に抱かれるつもりはないと、この俺にむかって啖呵を切りやがったのよ。笑わせてくれるぜ、たかが売女の分際でよ――――」


 いかにも愉快げに語りながら、ベネデットはくつくつと笑う。

 ルベルの動揺を見て取ったのか、その声にはあきらかな嘲弄の響きがある。


「拉致したあとは飽きるまでたっぷり楽しませてもらったぜぇ。あんなに強情張ってた女が、てめえの娘のことをチラつかせるとまるで娼婦みたいに媚びやがる。ルベルよ、手前てめえのお母様は娘がどんな目に遭ってたかも知らずに、俺の腰の上でヒイヒイよがってたというわけだ」

「やめろ……やめえ……!!」

「もうひとついいことを教えてやる。おまえの子宮を摘出したのは、親父の最後の希望を潰すためだ。親父がむかしから俺とジョルジオを嫌ってることは分かっていた。親父が百歳ちかくになっておまえを作ったのは、俺たちとは別にスコルピオーネ・ファミリアの血を残そうとしたんだろうよ。実際、おまえは子供のころからファミリアの誰よりも優秀だった……」


 ルベルの顔からはすっかり血の気が引いている。

 生身の両足は小刻みに震え、浅く早い呼吸を繰り返す。

 そんなルベルをねぶるように、ベネデットはなおも言葉を重ねていく。


「親父はさぞ残念だったろうぜ。ファミリアの未来を託すつもりだった自慢の娘が、二度と子供の産めないにされちまったんだからなあ!」


 巨体が動いたのは次の瞬間だ。

 ベネデットは肥満体からは想像もできない敏捷さでルベルに飛びかかる。

 太い指でレーザーマシンガンの銃身バレル機関部レシーバーを掴むと、そのまま銃ごとルベルを床に押し倒した。

 

「離せっ!! このドグサレ!!」

「くくっ、バカが。てめえのような小娘とは踏んできた場数が違うんだよ、場数が――――」

「くそ……!!」

「どうせ二度とスコルピオーネ・ファミリアには戻れねえ身だ。せめてルベル、てめえを殺して親父を絶望の淵に叩き落としてやる」


 ベネデットは全体重をレーザーマシンガンにかけて押し付ける。

 首と胸を圧迫される苦しさに、ルベルはほとんど窒息しかかっている。


「まだくたばらねえとは、往生際の悪いガキめ。さっさと――――」


 言い終わるまえに、ベネデットは「うぐ」とも「ぬぶ」ともつかないぶざまな呻吟を洩らしていた。

 背中に強烈な蹴りを見舞われたのだと気づいたときには、百キロ超の巨躯は数メートルも吹き飛ばされている。

 床を転がったベネデットはすばやく立ち上がりかけ――――そのまま凍りついた。


「ジュリエッタ……ねえ……?」


 深緋色スカーレット外套マントをひるがえしたキャプテン・ジュリエッタは、ルベルの頬にそっと触れる。

 義眼から涙が流れることはない。少女の震える喉からはただ嗚咽だけが洩れた。


「ジュリエッタ姉……うち……うちは……」

「なにも言わなくていい。ルベル、あなたはよくやったわ」

「せやけど、うち、母親おかんの仇討ちもよう出来ひんかった……」

「大丈夫。誰もあなたを責めたりしない。あとは任せてちょうだい」

 

 我が子を慈しむようなジュリエッタの言葉に、ルベルはこくりと頷く。


「どこの馬の骨だか知らねえが、いまさら女が一匹増えたからどうした。まとめてぶっ殺してやる!!」


 ベネデットはようやく金縛りが解けたのか、ふらつく足取りでジュリエッタに近づいてくる。

 その手にはレーザーマシンガンが握られたままだ。

 さしものジュリエッタも、この距離でレーザーマシンガンを乱射されては、ルベルを守りながら戦うことは不可能だ。


「へへ……殺してやる……まとめて地獄行きだ……」


 血走った眼をジュリエッタとルベルに向けたベネデットは、引き金に指をかける。

 廊下の奥で少年の声が上がったのはそのときだった。


「――――キャプテン、ルベルを抱いて伏せてっ!!」


 刹那、赤紫色のビームが宙を奔った。

 ベネデットを掠めたビームは、そのまま背後の天井に吸い込まれていく。

 轟音とともに爆炎が広がったのは次の瞬間だ。

 陽電子クーロンブラスターから放たれたビームが天井の構造材と反応し、ごく小規模な水素爆発を発生させたのである。


「うおおっ、ぐあおおっ――――」


 爆風がベネデットの断末魔の叫びをはこんだ。

 耐火隔壁が閉鎖されたのは、爆炎がジュリエッタとルベルまであと一歩と迫ったところだった。

 隔壁のむこうは灼熱地獄と化している。あるいは外装まで貫通し、あらゆるものが真空の宇宙空間に吸い出されているかもしれない。

 いずれにせよ、ベネデットが生存している可能性はゼロだ。


「キャプテン、ルベル、二人とも大丈夫か!?」


 息を切らして駆けつけたショウジは、二人の顔を交互に見やった。

 両手には陽電子ブラスターを握ったままだ。

 むろん、偶然その場に居合わせたわけではない。

 すべてはルベルの身になにごとかあった場合にそなえて、ジュリエッタが準備していたサブプランであった。


「ルベル、ごめん。余計な手出しをしてしまって……」

「そんなん気にせんでええ。ジュリエッタ姉とあんたが助けてくれんかったら、いまごろうちは生きとらんさかいにな。クサレのド外道の片割れはうちの手でケジメつけたんやから、それで充分や」


 努めてあかるく気丈にふるまっていたルベルは、よろよろと数歩も歩くと、ジュリエッタの胸に顔を埋めた。


「なあジュリエッタ姉……うち、変なんや。ずうっと憎うて憎うて仕方なかった相手をやっと倒せたのに……胸がスカーッとせえへんのや……」

「仇を討ってもあなたのお母さんが生き返るわけじゃない。あなたの身体が元に戻ることもない。そのことは、あなた自身がいちばんよく分かっていたはずよ、ルベル」

「ジュリエッタ姉……」

「それでも、この先の未来にあなたを苦しませた者はもういない。あなたの憎しみや怒りを奴らのために振り分けてやる必要もない。復讐はむなしいかもしれないけれど、けっして無駄なことなんかじゃない――――」


 ともすれば無感情で冷酷なジュリエッタの言葉は、一語一語、ルベルの心に深く染み入っていく。

 ジュリエッタは外套マントをルベルの肩にかけてやると、ショウジに「私たちも引き上げましょう」とだけ言って、さっさと歩きだしていた。

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