第十一話:エルトギャウ沖艦隊戦(4)

 ガンストークへの三度目の攻撃を敢行したアラドヴァルは、執拗に追いすがる対空砲火を振り切るように離脱する。


 痛々しい姿だった。

 美しい朱紅色クリムゾンレッドの外装はひどく傷つき、姿勢制御スラスターのいくつかは脱落している。

 斥力フィールドの出力を最低ミニマムにまで絞ったことで、アラドヴァルの防御力はほとんど失われている。隕石やデブリの衝突を防ぐことは出来ても、レーザーやミサイルに対する防御力は皆無にひとしいのである。

 まして相手は系外海軍アウター・ネイビー最強と名高いガングレイ級戦艦なのだ。

 キャプテン・ジュリエッタの的確な操艦と、クロエの卓越した演算能力……。

 そのどちらか一方でも欠けていたなら、アラドヴァルはとうに宇宙の塵と消えていたはずであった。


「クロエ、損傷報告ダメージレポートを」

左舷ひだりげん一番から三番副推進器サブスタスター、被弾により使用不能。第七は推力五○パーセント低下。右舷みぎげんのスラスターはいずれも健在なれども、冷却器ラジエータのキャパシティ不足による熱暴走オーバーヒートの危険性を認める」

「火器は?」

「全兵装システム、問題なく使用可能オールグリーン。――――まだ充分やれます、キャプテン」


 クロエの応答に込められた言外のニュアンスは、副長席にしがみつくのがせいいっぱいのショウジにも理解できた。

「あなたさえ望むなら」――――戦うも退くも、すべてはキャプテン・ジュリエッタの判断に委ねられているのだ。

 美しい灰金色アッシュゴールドの髪をもつ女海賊は、わずかな沈黙のあと、薄紅色の唇を開いた。


「クロエ、敵艦のダメージは?」

「後部上甲板に遷光速ミサイル三基の命中を確認。速力低下が見られないことから、いずれも主機関ジェネレーター区画への貫通には至らなかったと判断されます。ガンマ線投射砲バースターの効果は認められず」

「つまり、むこうにしてみればライオンが蚊に刺された程度……というわけね」

「うっとうしい蚊を叩き潰しあぐねている、とも言えます」


 いたって冷静なクロエのにおかしみを感じたのか、ジュリエッタの唇の端がわずかに上がった。


「ショウジ。には、どうしたらいいとおもう?」

「いつまでもしつこく刺しつづければ、そのうち躍起になって潰そうと……あ!」

「そういうことよ」


 立体レーダー上のガンストークに動きが生じたのはそのときだった。

 クロエは瞬時に方位と速度を算出、予測されうる針路をシミュレートする。


「ガンストーク、移動を開始しました。本艦にむかって全速で接近中――――」


 言いさして、クロエはレーダー・マップをより広い範囲に拡大する。

 ルベル率いる海賊艦隊と、重巡洋艦ナルキッソスを中心とする海軍の分遣艦隊が交戦している宙域エリアだ。

 三隻の海軍艦艇のうち、残存しているのはわずかに駆逐艦バーガンのみだ。


「重巡洋艦ナルキッソスおよび駆逐艦ベガの反応、いずれも完全に消滅。撃沈されたものとおもわれます」

「ルベル、あいかわらず無茶な真似をする。だけど、おかげで助かったわ」

「キャプテン、じゃあ、ガンストークが動き出したのは……!?」

「私たちをさっさと片付けて、むこうの戦場の救援に行くつもりでしょうね」


 ジュリエッタは艦長席キャプテンシートから立ち上がると、


「だけど、そう都合よくことが運ぶと思ったら大間違い。海軍やつらのが、私たちの仕事だもの」


 たおやかで玲瓏な、それでいて聴く者の臓腑を凍りつかせるような声で呟いた。


「アラドヴァル、転舵反転一八○度。戦艦ガンストークへの最後の攻撃を開始する――――」


***


 アラドヴァルの四度目の襲撃を迎えたのは、かつてないほどに苛烈な弾幕だった。

 ガンマ線投射砲バースター、対空迎撃レーザー、各種ミサイルに実弾兵器……。

 ガンストークの巨躯に内蔵されたあらゆる兵器が一斉にめざめ、ただ一隻の艦を沈めるためだけに惜しげもなくすべての火力を投射する。

 就役から今日までおよそ二百年ものあいだ、輝かしい戦歴に彩られてきたガングレイ級戦艦が、たかが一隻の海賊船相手にこれほどぶざまな戦いを演じることになろうとは。

 オーバードルフ大将以下、ガンストークの全乗組員クルーが、誇りを傷つけた敵への憎悪に燃えたのも当然だった。

 その怒りをぶつけるように、アラドヴァルめがけて殺到する対空砲火は、一秒ごとにその密度を増している。


 傷ついた朱紅色クリムゾンレッドの海賊戦艦は、しかし、火線の空隙を縫うように悠揚と飛びつづけている。

 ときおり流れ弾が斥力フィールドをかすめる程度だ。被弾箇所は増えていない。


「クロエ、敵の射撃精度は?」

「これまでの三回の攻撃で記録したデータと照らし合わせたところ、有意な命中率の低下がみられました。……より直接的な表現を用いるなら、これまでで一番な撃ち方です」

「こちらの思惑どおりね」


 ショウジはおそるおそる尋ねる。


「キャプテン、思惑どおりというのは……?」

「覚えておきなさい、ショウジ。どんな巨大戦艦でも動かすのは人間なの。操る人間が冷静さを失えば、どんな機械も真の性能を発揮することはできない」

「これまで何度も攻撃を繰り返したのは、あいつらを怒らせるためだったんですね」

「ルベルが重巡を沈めてくれたおかげで、思っていたより早くチャンスが巡ってきた。あの娘の頑張りを無駄にしないためにも、このあたりでケリをつける――――」


 するどい衝撃が艦橋ブリッジを揺さぶったのは次の瞬間だった。

 ディスプレイ上に赤い警告灯コーションランプが点灯する。

 クロエはアラドヴァルの各部から送られたデータを統合し、一秒たらずで損害報告ダメージレポートを作成する。


「報告――――艦橋基部および前部甲板にミサイル着弾。射撃管制装置ファイアコントロールシステムおよび空間測距儀レンジファインダー、いずれも大破。左舷第一・第二ミサイル発射管ともに使用不能です」

「クロエ、主推進器メインスラスター主機関エンジンは?」

「どちらも異常ありません。……ですが」


 クロエの声には、人工知能らしからぬ焦りと不安の翳がある。


射撃管制装置FCSはメイン・サブどちらも機能停止。さらに空間測距儀レンジファインダーまで使用出来ない以上、全センサーと連動した精密自動射撃はもはや不可能です」

手動操作マニュアルモードに切り替え。生きているセンサーはすべて射手ガンナーのサポートに回してちょうだい」

「キャプテン、操艦は私が――――」

「クロエ、あなたはガンストークの構造解析と攻撃パターンの予測に集中なさい。操艦はこのまま私がやる。射手ガンナーは……」


 言って、ジュリエッタは副長席に視線を移す。

 宇宙服スカファンドルを着込んだ少年は、ひどく緊張した面持ちで唇を結んでいる。

 次の瞬間、美しい女海賊が口にした言葉は、少年をのけぞらせるのに充分な威力を持っていた。


「ショウジ、あなたに任せるわ」


***


 宇宙服を脱いだショウジは、艦長席の下部にもうけられた射手席ガンナーシートにすべりこむ。

 本来なら砲術長が座る重要な席だが、極限まで無人化が進んだアラドヴァルでは、これまで一度も使われることなく空席になっていたのだ。

 言われるがままに射手を引き受けたものの、ショウジにとってはまったく未知の領域だ。

 目の前に並んだディスプレイやレバー、フットペダルをどのように用いればいいのか、皆目見当がつかない。

 

「キャプテン、俺、なにをすれば――――」


 艦長席に座ったジュリエッタを下から見上げて、ショウジはとっさに顔を伏せた。

 ブーツのふくらはぎから膝、スカートに包まれた白いふとももを直視してしまった気恥ずかしさが反射的にそうさせたのだ。

 そんなショウジをよそに、ジュリエッタは艦を操りながら、そっけなく答える。

 

「目の前に照準器と一体になったコントロール・デバイスがあるはずよ。よく探してみなさい」


 ショウジがディスプレイの下部についている突起を掴むと、音もなくコントロール・デバイスが展開した。

 コントロール・デバイスとはいうものの、その形状はほとんどライフルのそれだ。

 機関部レシーバー銃床ストック銃把グリップの付け根には、ご丁寧に用心金トリガーガードに囲まれた引き金トリガーがある。

 実銃との違いといえば、銃身バレル弾倉マガジンがどこにも見当たらないということだけだ。

 ショウジがおそるおそる銃床を肩につけると、それが合図だったのか、正面のディスプレイに緑色に輝く照準環レティクルが浮かび上がった。

 たえまなく回転を繰り返しながら拡大・縮小する照準環のむこうには、戦艦ガンストークがみえる。


「準備はできたみたいね、ショウジ」

「キャプテン、俺、こんなの上手く使える自信が……手だって震えて……」

「私は無理な仕事を頼んだりはしない。あなたはそれが出来る人間だからそこに座っているの」


 ジュリエッタは少年を励ますように語りかける。

 頷きながら、ショウジはいつのまにか手の震えが止まっていることに気づいた。


「よく聞きなさい、ショウジ。ガンストークの後部甲板にはミサイルが空けた破孔がある。その下には、主推進器メインスラスターを動かすためのエネルギー・バイパスが通っている。うまくそれを寸断することができれば、ガンストークは宇宙を漂う鉄くずになる……」

「アラドヴァルもガンストークも動き回っているのに、そんな狭い穴を狙い撃つなんてことが――――」

「私とクロエがサポートする。ショウジ、あなたは引き金を絞る瞬間を誤りさえしなければいい」


 ショウジは深く息を吸い込むと、銃把グリップを握りしめる。

 ディスプレイに映るガンストークが一瞬ごとに大きくなってくのは、むろん錯覚ではない。

 アラドヴァルが加速している。

 最適な射撃位置を占位すべく、砲火の雨をかいくぐりながら、美しいふねが飛ぶ。 

 ディスプレイがズームする。ガンストークの後部甲板に開いた三つの破孔がみえる。

 まるで針の穴を通すような……という古い時代の比喩を思い出す。

 宇宙空間で直径数メートルの穴を狙うのは、針の穴になにかを通すよりもずっと難しいだろう。


「照準補正、仰角マイナス2度。攻撃目標、軸線上に入った」


 クロエの声にあわせて、照準環レティクルが急激に窄まっていく。

 ディスプレイには射撃可能を示すインジケータが点滅しはじめている。

 ショウジは息を止め、両眼を見開いてガンストークを凝視する。

 心臓が早鐘みたいにはげしく鼓動を打つ。こめかみのあたりがジンと痛む。すべての音が遠ざかっていく。


 永遠のような一瞬を破ったのは、透きとおった女の声だった。


「陽子縮退砲、撃て――――」


 ショウジは人差し指に力を込め、引き金を絞る。

 アラドヴァルの艦首から放たれた不可視のビームは、ガンストークの斥力フィールドと接触してはげしい火花を散らす。

 ショウジは祈るような気持ちでディスプレイを見つめる。


 と、みるみるガンストークの艦首と艦尾がはじめた。

 全長千三百メートルの巨大戦艦が真っ二つに折れたのは、それから数秒と経たないうちだった。

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