第十話:エルトギャウ沖艦隊戦(3)

 薄闇のなかでさまざまな色の光点が踊っていた。

 戦艦ガンストークの戦闘情報中枢室CICである。

 司令官席に腰を下ろしたオーバードルフ大将は、手元の立体レーダー・ディスプレイにするどい視線を注いでいる。


 ディスプレイ上をせわしなく動きまわる敵艦アラドヴァルには、依然として所属不明艦アンノウンを示すマーカーがついたままだ。

 ガンストークのデータベースには、系内海軍インナー・ネイビーおよび系外海軍アウター・ネイビーに在籍するあらゆる艦艇の情報が入力されている。何度照合しても該当ヒットが得られないとは、にわかには信じがたいことであった。


「あの兄弟も知らなかったところを見ると、さしずめ幽霊船とでも言ったところか――――」


 ひとりごちて、オーバードルフ大将はゆたかな白髯を撫でる。

 ベネデットとジョルジオの兄弟は警備兵に命じて別室に連行ずみだ。

 戦闘中の指揮所には、感情的に騒ぎ立てるしか能のないゴロツキの居場所はない。


(海賊どもがどこからあんなふねを調達したかはわからんが、このガンストークを脅かすほどではない……)


 事実、敵艦の攻撃は斥力フィールドによってことごとく無力化され、ガンストークの艦体には傷ひとつない。

 開戦早々に重巡洋艦ラオコーンを沈められたのはオーバードルフ大将にとっても予想外だったが、それも不意打ちがたまたま奏功しただけのこと。

 奇襲に二度目はない。姿の見えている幽霊に怯える者はいないのだ。

 オーバードルフ大将は連絡用コンソールに指を置く。


「ナルキッソス、そちらの状況はどうか?」

「こちらナルキッソス。海賊の砲艦コルベット二隻、旧型駆逐艦フリゲート一隻を撃沈。当方の駆逐艦フリゲートベガ、機関部への直撃弾により航行不能」

「なかなか手こずらせてくれる――――」


 損失こそ海賊側のほうが大きいが、海戦の勝敗は単純な数の増減で決まるものではない。

 民間船改造の砲艦コルベット二隻と旧式艦を捨てることで、海軍の駆逐艦フリゲート一隻を道連れに出来るなら上々の戦果と言っていい。

 勝機をつかむためには、時として部下を死地に投じる非情さも必要なのだ。

 海賊側の指揮官はそれを心得ている。こちらも手強い相手だった。


(このまま被害が拡大するようであれば、幽霊船を早々に片付けてナルキッソスの救援に向かう必要があるな)


 このうえ重巡ナルキッソスまでも失えば、海軍の艦隊はいよいよ壊滅の危機に瀕する。

 ガンストーク単艦で海賊艦隊を殲滅することはたやすいが、僚艦を失っては艦隊司令としての面目が立たない。

 オーバードルフ大将は艦内放送のスイッチに触れると、腹の底から大音声だいおんじょうを絞り出す。


「艦隊司令より旗艦ガンストークの全乗組員クルーへ。全兵装の使用を許可する。すみやかに不明艦アンノウンを撃沈せよ。思い上がった海賊に我々の強さを思い知らせてやれ――――」


***


「……三隻持ってかれたか。だいぶたこうついたが、しゃあない」


 海賊艦隊の旗艦トルメンタの艦長席キャプテンシートで、ルベル・スコルピオーネはちいさく舌打ちをする。

 オフホワイトの外装に”紫色の蠍ヴィオラ・スコルピオーネ”のエンブレムがあしらわれた軽巡洋艦トルメンタは、もともと海軍で使用されていた艦だ。

 老朽化のため除籍され、解体寸前だったところをルベルが買い取り、手ずから再生したのである。

 基本設計こそ古いが、艤装や搭載火器は最新の機材を奢っている。

 駆逐艦フリゲート砲艦コルベットといった小型艦が大半を占める海賊艦隊にあって、海軍の主力艦と戦える貴重な戦力であった。


 もっとも、いくら近代化改修を施されているといっても、元々の設計の古さは隠しきれない。

 現役の重巡洋艦と較べれば、あらゆる点で数段見劣りするのも事実だった。

 重武装を特色とする新鋭艦ナルキッソスが相手ならばなおさらだ。


「ジュリエッタねえがガングレイ級を引きつけてくれとるおかげで、うちらは楽ないくささせてもろとるんや。弱音を吐いとる場合やない」


 ルベルは唇を噛み締め、モニターに映るナルキッソスを睨む。

 真正面から砲戦を挑んでも勝ち目はない。

 なにしろナルキッソスの主砲は遠距離からでもトルメンタの斥力フィールドを容易に貫通するのに対して、トルメンタの火器はギリギリまで接近しなければ有効打を与えられないのだ。

 いまは味方の艦が照準を引きつけてくれているが、それも長くは持たないだろう。

 艦隊戦では一秒ごとに状況がめまぐるしく変化する。指揮官にはつねに即決即断が求められ、一瞬の逡巡が致命的な敗北を招く。

 

(ジュリエッタ姉、うちに勇気をください)


 ルベルは通信機を引っ掴むと、声も枯れよと叫ぶ。


「旗艦トルメンタより全艦! 重巡はうちが片付けるさかい、生き残っとる駆逐艦を取り囲んでフクロにしたれ!」

 

 通信機を握ったまま、ルベルは艦橋内の乗組員たちを一瞥すると、


「総員退艦や! モタモタせんと、はよせえ!」


 有無を言わせない強い語気で命じたのだった。


「お嬢、冗談でしょう」

「ドアホ。うちは本気も本気、大本気や。さっさと内火艇で脱出せんかい」

「しかし、お嬢を置いて逃げたことが大親分ドンに知れたら……」


 ルベルは答えず、コンソールの下に手を差し込む。

 少女の手の中に現れたのは、黒鉄色のにぶい光沢を放つレーザーマシンガンだ。

 銃口を乗組員たちに向けながら、ルベルはドスの利いた声で告げる。


「何度も言わすなや。艦長の命令をよう聞かんグズはホンマにいてまうぞ。大親分ドンにはうちのワガママとでも言うとけばええ」


 ルベルの言葉の端々ににじんだ殺意に恐れをなしたのか、乗組員たちは先を争うように艦橋を出ていく。

 内火艇が艦を離れたのを確認したあと、人気のなくなった艦橋を見渡して、ルベルはふっとため息をついた。

 

「さあて……いっちょ始めたろかい」


 ルベルは左手の指先で右手首の表皮をつまみ、そのまま思いきり引きちぎる。

 裂けた人工皮膚の下から現れたのは、軽合金製の義手だ。

 ルベルはコンソールに内蔵された接続ケーブルを手に取ると、義手の表面に開いたアクセスポートに迷いなく挿入する。

 刹那、ルベルの顔が苦痛に歪んだ。ふつふつと湧きだす汗の玉を拭うでもなく、ルベルはが完了したことを確認する。


「相変わらずキッツいなぁ……でも、これで準備完了や。ほな行こか、トルメンタ!」


 ルベルの言葉に呼応するかのように、トルメンタの主推進器が青白い炎を噴いた。

 一気に加速をつけたトルメンタは、なめらかに宇宙空間を滑っていく。

 ほんのすこし前までとは別次元の挙動。

 ルベルは艦長席に座ったまま、指一本動かしていない。

 トルメンタの全システムは、義手を介してルベルの神経と高度にリンクしている。

 加減速や舵取りに煩雑な操作は必要なく、ただ思考するだけで事足りるのだ。


 転瞬、光の雨が視界を埋めた。

 ナルキッソスから放たれたレーザー砲撃だ。

 トルメンタのセンサーと一体化したルベルの義眼には、肉眼では捕捉不可能なレーザーの弾道がはっきりと見える。

 斥力フィールドでレーザーを受け止めながら、トルメンタはナルキッソスにむかって矢のように飛ぶ。


 レーザーの雨がふいに熄んだ。

 間髪を入れずにトルメンタに降り注いだのは、おびただしい量の実体弾だ。

 トルメンタの接近を阻むべく、ナルキッソスの近接迎撃システムが猛射を開始したのだ。

 のたうつ蛇のような火線は、しかし、むなしく宇宙空間に吸い込まれていく。

 トルメンタはゆるやかな弧を描いて旋回しつつ、さらに加速。

 彼我の針路が十字に交差する。ちょうどナルキッソスの前部甲板にトルメンタが垂直に突っ込む格好だ。


「ごめんなあ、トルメンタ! 無理させるけど、堪忍してや!」


 トルメンタの艦首が左右に割れ、両舷に二門ずつ配置されたミサイル発射管が露わになる。

 遷光速ミサイル。

 すでに充分な加速度を得ているミサイルは、発射管を出ると同時に最終加速に入る。

 この距離では遷光速への到達は不可能だ。

 極限まで増大させた運動エネルギーを叩きつけるという本来の用途からは外れるが、プロペラントとブースターの大質量をぶつけることで、広範囲にダメージを与えることができる。


「往生せえや!」


 すさまじい閃光が走ったのは次の瞬間だ。

 加速途中のミサイルは、ナルキッソスの前部甲板を突き破り、内部で炸裂したのだ。

 閉じこめられた爆風が艦内を駆けめぐる。

 ナルキッソスが風船みたいに膨れあがり、一個の火球に変わるまで数秒とかからなかった。


 火球のなかから飛び出してきたものがある。

 外装は溶解し、ほとんど原型を留めないほど損傷しているが、そのシルエットはまぎれもなくトルメンタだ。

 ミサイルを発射した直後、トルメンタはナルキッソスの艦首を掠めるように航過していった。

 爆発の余波によってひどく焼け爛れているものの、艦はかろうじて生き延びることに成功したのだった。


「さすがに死ぬ思ったけど、やったで……ジュリエッタ姉……」


 ルベルは接続コードを引き抜くと、糸が切れた操り人形みたいにコンソールに突っ伏した。

 気を抜けば意識を失いそうな疲労感に苛まれながら、ルベルはようよう手元のモニターを操作する。

 さほど大きくない画面に映し出されたのは、傷ついた朱紅色クリムゾンレッドの艦だった。

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