第十話:偽りの神の座
「ぐあっ……うぅ……」
苦吟の声を洩らしながら、ショウジはくの字に身体を折った。
エドワード・クライゼルが放った二発目の銃弾は、あやまたず少年の右肩を穿った。
無遠慮にショウジの体内にもぐりこんだ弾丸は、骨と筋肉、そして神経組織を容赦なく破壊していった。血まみれの右腕は、たとえ傷が癒えたところで、もはや使いものにはなるまい。
血溜まりのなかであえぐショウジを満足げに一瞥すると、エドワードは悠揚迫らぬ足取りで近づいてくる。
「いや、まったくいいザマだ。あと一歩というところだったのにねえ――――」
エドワードはやおらショウジの前髪を掴み取ると、そのまま力任せに引き起こす。
咳き込みながらも、ようよう呼吸をつなぐ少年の姿を認めて、エドワードの端正な唇に嗜虐的な笑みが兆した。
他人の生殺与奪の権をほしいままにもてあそぶ……それこそが、この男にとってはなにより心躍らせる余興であった。
エドワードはショウジとジュリエッタのあいだで何度か視線を往復させると、
「まさかとは思うが――――君は本気で私を倒し、彼女を取り戻せるとでも思っていたのかな」
「そうだ……と、言ったらどうする」
「それを聞いて安心した。最初からあきらめている者を絶望させても面白くはない。自分はうまくやれる、かならず目的を果たしてみせると決意した人間を壊すこと……それこそが、この世で最も甘美な
みずからの身体からあふれでた血の海であがきながら、ショウジはエドワードにするどい眼光を飛ばす。
「俺を……キャプテンを……どうするつもりだ……?」
「ジュリエッタは私といっしょに来てもらう。彼女は言ってみればもっとも完璧にちかい失敗作だ。肉体と戦闘能力は完璧に再現されたというのに、なぜオリジナルの記憶と自我だけが定着しなかったのか? その謎を解明することができたなら、私はついに本物の彼女をこの手に抱きしめることとができる――――」
エドワードの言葉には、どこか恍惚の響きがある。
数百年……数千年の長きにわたって、ただひとり愛する女の残滓をもとめて宇宙をさまよい、とうとう肉体を再生させることに成功したことは、たんに男女の情愛だけで説明できるものではない。
狂気。
依存。
執着。
そして、崇拝。
人類最初の情報生命体となり、自我の完全な連続性――――永遠の生命を獲得したエドワードたちにとって、人間であったころとおなじ人生を送ることなど望めるはずもない。
当初は事故原因究明と贖罪のためだったジュリエッタの捜索と復活についてのプロジェクトは、いつしかエドワードたちの生きるよすがとなり、彼らに課せられた崇高な
「ふざけるな……キャプテンは人間だ……おまえたちの人形なんかじゃない」
「なんとでも言うがいい。あの個体はジュリエッタの外見だけを模倣したまがいものにすぎない。アラドヴァルの人工知能と結託して私の手から逃れたつもりだっただろうが、それも今日で終わりだ。……見るがいい」
エドワードが言うが早いか、ショウジの目のまえに半透明の立体ディスプレイが出現した。
そこに映し出された映像を目の当たりにして、ショウジはおもわず叫んでいた。
「クロエ!! フレーシャ!?」
立体ディスプレイに描き出された三次元マップのどこを探しても、アラドヴァルの艦影は見当たらない。
それはとりもなおさず、アラドヴァルが撃沈されたことを意味する。
「こんな……うそだ……」
「心配しなくても、まだ沈んではいない。君にはもっと鮮明な映像を見せてあげよう」
エドワードの声に合わせて、ディスプレイの表示が切り替わっていく。
白い宇宙にただよう、いびつにねじまがった奇妙な鉄くず……。
ところどころに残るあざやかな
ヴォルスングの猛攻撃を浴びて大破したアラドヴァルであった。
「できればアラドヴァルは無傷で手に入れたかったが、こうなってしまっては仕方がない。創造主である私の意志に叛き、あろうことか刃を向けた罪は、万死に値する……」
「おまえは神にでもなったつもりなのか」
「つもり? ――――私は神そのものだ。肉体の檻から解き放たれ、永劫不滅の魂を獲得するに至った存在など、この宇宙には私のほかには存在しないのだからね」
言って、エドワードはくつくつと忍び笑いを洩らす。
「もっとも、この宇宙を統べる神の座を独り占めにするつもりはない。私とおなじように、
「キャプテンはおまえの知っているジュリエッタじゃない……」
「もういちど彼女のデータを精査し、成功するまで何度でもやりなおすまでだ。魂の宿らぬ肉の器など、壊したところでまた作り直せばいいだけのこと。それとも、君はあの肉人形にご執心かね」
「貴様っ――――」
渾身の力を振り絞って飛びかかろうとしたショウジは、そのまま前のめりにつんのめった。
撃たれた足と肩からは、いまもおびただしい血が滴り落ちている。
ショウジの背筋をすさまじい悪寒が駆け抜けた。手足は鉛と化したように重い。視野は狭まり、目の前にいるはずのエドワードの顔さえはっきりと見えない。
短時間に大量の血液を失ったことによるショック症状だ。
すこしでも肺に酸素を取り込もうと、ショウジは犬みたいに舌を出して荒い呼吸を繰り返している。
「これはこれは、さっきまでの勢いはどうしたのかな」
エドワードは心底から愉快げに言うと、ショウジの脇腹を無造作に蹴り飛ばした。
ショウジは声にならぬ声をあげて床を転がり、胃液混じりの血を吐きだす。
そのさまを見下ろして、エドワードはいかにも満足げに目を細めてみせる。
「さて、もうそろそろ潮時だろう」
「な……に?」
「すぐに殺さなかったのは、君の執念への報酬とでも言ったところさ。その出血では、このまま放っておいても長くは持たないだろう。ここで切り上げるのは私なりの慈悲だ」
エドワードはショウジに見せつけるように
「ショウジ・ブラックウェル。君は人間にしてはよくやった。そろそろ楽になりたまえ――――」
エドワードの指が
刹那、一帯に響きわたったのは、すさまじい破壊音だった。
銃声ではない。
ショウジが
失血によって震える指とかすむ目では満足に狙いをつけることは不可能だが、
「なにっ……!?」
あらぬ方向に撃ち出された陽電子ビームは、はたして、エドワードの身体を掠めもしなかった。
そのかわり、部屋の壁に触れた瞬間、対消滅反応によるすさまじい爆発を引き起こしたのだった。
爆風をともなう衝撃波の槍は、どうやらヴォルスングの船殻にまで達したらしい。
壁にぽっかりと穿たれた三メートルほどの破孔は、魔物の口みたいに室内の空気を吸い込んでいく。
もともと床に横たわっていたショウジはともかく、立っていたエドワードはひとたまりもない。
空気といっしょに破孔に吸い込まれまいと、せいいっぱい姿勢を低くし、背を丸めることしかできないのだ。
ヴォルスングの
暴風が吹き荒れるなか、薄く目を開いたエドワードは、おもわずちいさな叫びを洩らしていた。
床のうえにショウジの姿はなく、死体を引きずりでもしたかのように血の跡が伸びている。
その終点――――ジュリエッタに取りすがるショウジの姿を認めて、エドワードの瞳に烈しい憎悪の色が宿った。
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