ROUTE 01:宇宙海賊の聖域 -惑星エルトギャウ攻防戦-

第一話:海軍提督エドワード・クライゼルの探求

 燦々とふりそそぐ陽光が部屋を白く染めていた。

 壁の一面をまるまるガラス張りにした開放的なプライベート・オフィスである。

 地上八◯◯メートルの高みからは、地平線の彼方までビルが林立する巨大都市圏メガロポリスを一望することができる。市街地をまだらに染めるいびつな影は、上空を行き交う艦艇や民間船が落としたものだ。


 火星・ヘラス平原。

 かつてこの土地に置かれた惑星改造テラフォーミングの根拠地は、時代が下るにつれて同星最大の都市ネアヘラスに発展した。

 地球が文化・自然遺産地区に指定され、一切の新規開発が禁じられるようになってからは、事実上の太陽系の首都として位置づけられている。


 ネアヘラスのさらに中枢ともいえる官公庁エリアに、ひときわ異彩を放つ白亜の巨塔がある。

 系内海軍インナー・ネイビー総司令部ヘッドクォーターだ。

 上下両院の議事堂や首相官邸をはるかにしのぐ壮麗な外観は、中央政府における海軍の存在感を具象化したものにほかならない。

 ネアヘラス上空には多数の戦艦や空母からなる機動艦隊が昼夜をとわず遊弋し、首都の守りの鉄壁を誇示するとともに、全宇宙の真の支配者が海軍であることを万民に知らしめている。


 いま、その一室でデスクに向かっているのは、白い軍服をまとった男だった。

 わずかに赤みがかった黒髪と、あざやかな青緑色ターコイズブルーの瞳が、浅黒い肌に映える。

 年齢はまだ四十を超えてはいまい。若者と言ってもじゅうぶん通用するだろう。

 精悍な面立ちには、青年の雄々しさと壮年の威厳とが同居している。

 日差しをあびてきらめく金色の肩章エポレットと大仰な飾緒モールは、彼が若くして海軍大将の地位にあることを示している。

 同年代の将校が佐官への進級に汲々としていることをかんがみれば、異様ともいえる出世の早さであった。


 備えつけの通信端末に呼出コールが入ったのはそのときだった。

 男が人差し指で通話スイッチをなぜると、デスク上に軍服姿の上半身が出現した。

 三次元ホログラフィの将校は、上官にむかってすばやく敬礼を送る。

 

「クライゼル提督、お忙しいところ失礼いたします――――」


 緊張のためか、将校の声はこころなしか震えていた。

 男――エドワード・クライゼル海軍大将は、そんな部下の様子を察っしてか、端正な唇に柔和な笑みを浮かべてみせる。


「かまわないよ、オブルチェフ大尉。わざわざ秘匿回線を使って連絡してきたということは、よほど喫緊の用件なのだろうからね」

「はッ、さきほど我が鎮守府にとおぼしき情報が入り、クライゼル大将には一刻も早くご報告をと……」

「ほう?」


 ふいに凄みを宿したクライゼルの声に、オブルチェフ大尉はおもわず身を竦ませる。

 

「も、申し上げます!! 太陽系標準時でおよそ三十八時間前、外宇宙を航行中の駆逐艦フリゲート”モーターキルダ”が海賊を名乗る所属不明艦アンノウンの攻撃を受けました。艦は甚大な損傷をこうむり、艦長ビンゲン・カッセル中佐以下の全乗組員は内火艇ランチで脱出。まもなく救難信号をキャッチした友軍によって救助されたとのことです」

不明艦アンノウンのデータは? 砲熕やミサイルの有効範囲内であれば、直接撮像ダイレクト・イメージングセンサーで敵艦の姿を捉えられたはずだが」

「それが……」


 一瞬口ごもったあと、オブルチェフ大尉はためらいがちに言葉を継ぐ。


「艦長が持ち帰った航海記録ログを調べたところ、内部のデータはと……」

「破壊?」

「詳細は不明ですが、おそらく強力な電子攻撃によって強制的に上書きされたものと思われます。たんに消去されただけであれば復元も可能ですが、記録セクタひとつひとつに無意味なデータを混ぜ込み、徹底的に切り刻んだうえで暗号化されては……」

「そこから判読可能なレベルに復元するには、海軍本部のメイン・コンピュータでも数百年はかかるだろうねえ」


 不明艦の正体をつかむ唯一の手がかりを失ったにもかかわらず、クライゼルの声にはどこか愉しげな響きさえある。

 

「ご苦労だった、オブルチェフ大尉。君のおかげで上層部よりさきにの情報を手に入れることができたよ」

「しかし……」

「君が気に病むことはなにもない。データが破壊されていたのがなによりの証拠だ」


 クライゼルはあくまで穏やかに告げる。

 ひりつくような緊張から解放され、オブルチェフ大尉もようやく人心地がついたようだった。

 通信を切る直前、クライゼルは「ところで」と、オブルチェフ大尉にさりげなく問うた。


「モーターキルダの乗組員は、ほかになにか言っていなかったかい? どんな些細なことでもかまわないのだが」

「は……戦闘のショックで精神錯乱を起こしたのか、ブリッジにいた士官のひとりが不可解な証言を残しておりまして」

「ほう?」

「モーターキルダが航行不能に陥ったあと、海賊船の船長がたったひとりで艦内に乗り込んできたというのですが……」


 ひと呼吸置いたのち、オブルチェフ大尉は心底いぶかしげに言った。


「まだ若い女だった、と――――」


***


 エドワード・クライゼルは、ひとり窓辺に佇んでいた。

 眼下に目を向ければ、夕陽がネアヘラスの街並みを茜色に染めている。

 むろん本物の夕陽ではない。時間にあわせて人工大気の光屈折率を調節しただけだ。

 もともと人類が生存不可能な惑星へのテラフォーミングは、自然環境に多大な負荷を強いる。

 いまでは火星の自転軸はおおきく歪み、惑星上には永遠の昼と夜とが入り混じっている。

 ヘラス平原は昼の側に位置している。首都ネアヘラスには真昼と黄昏のみがあり、ほんとうの夜が訪れることはけっしてない。

 『永久とこしえの陽光に祝がれた都』とは、いつのころからか定着したこの都市の二つ名だった。


 クライゼルの視線は、しかし、地平の彼方までつづく巨大都市のどこにも向けられていない。

 青緑色ターコイズブルーの瞳が追い求めるのは、茜色の夕空の彼方、はるか宇宙の大海原をゆく一隻のふねだけだった。

 

「きっと生きていると信じていたよ」


 うれしげにひとりごちて、クライゼルはくつくつと哄笑を洩らす。


「しかし、笑わせてくれる……」


 クライゼルの眼前に透きとおったスクリーンが浮かんだ。

 たったいま参謀本部から送付されたばかりの事故報告書レポートだ。

『駆逐艦モーターキルダの遭難について』と題されたそれは、について真実めかした記述をえんえんとつらねたあと、避けがたい不幸な事故であったと結論づけている。

 言うまでもなく、海賊船にかんする記述は一行も見当たらない。


 参謀本部は当然なにが起こったかを完全に把握している。

 そのうえで、事件そのものを闇に葬りさったのだ。

 カッセル中佐をはじめとする乗組員には厳重な箝口令が敷かれ、ほとぼりが冷めたころに辺境星系の陸戦隊にでも異動させられるだろう。

 海軍の軍法において、機密漏洩は銃殺または終身労働刑と定められている。

 話したところで信じてもらえるかどうかもわからない与太話を、生命と引き換えに口外する愚か者などいるはずがない。

 海軍にとって不都合な事実は、いかなる手段を用いてでも抹消する……。

 それが参謀本部の常套手段だった。


(ただでさえ海軍が敗北を喫した不名誉な事件、ましてが絡んでいるとあれば当然ではある……が)


 しなやかな指先を宙空にすべらせると、事故報告書と入れ替わるように、あらたなスクリーンがポップアップした。

 パスコードの入力を求める人工音声に、クライゼルはみずからの軍籍番号をよどみなく述べると、


「海軍大将の権限において、”第一◯◯七号計画艦”の資料閲覧を希望する」


 年齢に似合わぬおごそかな声で命じる。

 まもなくスクリーンいっぱいに表示されたのは、航宙艦の設計図面だ。

 どうやら戦艦クラスの大型艦らしい。

 およそ戦闘艦らしからぬ流麗なフォルムと、船体各部にもうけられた多数のスラスター・フィンが目を引く。

 多少の違いはあるものの、見るものの目を奪わずにはおかない美しい輪郭シルエットは、海賊戦艦アラドヴァルに酷似していた。


 しばらく恍惚と図面を見つめていたクライゼルは、スクリーンを閉じると、ふっとため息をつく。


「アラドヴァル、そしてジュリエッタ。どこへ逃げてもかならず見つけ出してみせるさ。待っているがいい、私の――――」


 なにごとかを呟いて、クライゼルは窓に背を向ける。

 夕陽のかわりに青緑色ターコイズブルーの瞳を輝かせるのは、狂気の炎にほかならなかった。

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