第八話:突入

「命令の再確認をねがいます――――」


 フレーシャの声音はひどく落ち着いている。

 どれほど無謀で不合理な命令も、冷徹な機械知性を動揺させることは叶わない。

 それは全存在を以って奉仕すべき主人が一○○八オクトエイトでも、目の前の少年でもおなじことだった。


 ショウジはフレーシャから視線を外したまま、重い声で応じる。


「俺を乗せたミサイルを敵艦ヴォルスングにむかって射出してくれと言った。艦尾スターンのミサイル発射管はまだ使えるはずだ」

「移乗攻撃を実施するのであれば、艦載の内火艇ランチも使用可能ですが」

内火艇ランチはダメだ。近づくまえに敵に気取られる」


 一瞬の沈黙のあと、ショウジは重い塊を吐き出すように言葉を継いでいく。


「……はじめて会ったとき、キャプテンはそうやって俺を助けてくれた。たとえ危険な賭けでも、いまの俺には迷っている時間はない」


 そうするあいだにも、ヴォルスングからの砲撃は熄むことなく降り注いでいる。

 ヒルディブランドから離れたことで、アラドヴァルへの攻撃はいっそう激しさを増したようだった。

 アラドヴァルが間一髪のところで撃沈を免れているのは、ひとえにフレーシャの巧みな操艦の賜物だ。

 むろん、いつまでも凌ぎきれるはずはない。いまこの瞬間も斥力フィールドのエネルギーは着実に削り取られている。

 数分か数秒か、あるいは目をしばたたかせた次の刹那か……いずれにせよ、フレーシャの努力も、避けがたい破局を先送りにしているだけにすぎない。

 そのような状況で指揮官が艦を離れることの意味は、ほかならぬショウジ自身がだれよりもよく理解している。


了解ヤヴォール。装甲強化服を着用ののち、誘導にしたがって移乗用ミサイルに搭乗してください」

「本当にいいのか?」

「発言の意味を理解しかねます。いかなる内容であれ、私は与えられた命令に従うまでです。それに……」

「それに?」

「これはの総意でもあります」


 フレーシャが言い終わるまえに、ショウジの隣におぼろな人影が浮かび上がった。

 ノイズまじりの立体像は、またたくまに見知った女の姿へと再構築されていく。


「クロエ!?」


 おもわず上ずった声を洩らしたショウジに、クロエは冷ややかな視線を向ける。


「艦内に女を連れ込んだ挙げ句、舵まで任せるとはいい度胸ですね? 見習い水兵」

「ちがうんだ、これは……!!」

「分かっています。一時とはいえ、戦闘中に持ち場を離れてしまったのは私の落ち度です。結果的にアラドヴァルも私も助けられたわけですし、彼女フレーシャにはむしろ感謝しているくらいです」


 クロエはちらと横目でフレーシャを見やる。

 感謝を述べたのとは裏腹に、その眼差しにはこころなしか余所者への対抗心が滲んでいる。

 それも一瞬、クロエはショウジに視線をもどすと、


「さあ、グズグズしている暇はありません。さっさと準備なさい」


 船乗りらしく厳格な、しかし温かみのある声で告げる。


「古いことわざで”船頭多くして船山に登る”と言います。……が、それはあくまで人間の話。私たちは処理領域を細かく分担するほど効率が上がるのです。多少癪ではありますけどね」

「クロエ……!!」

「キャプテンのことを頼みましたよ、ショウジ。ご武運をお祈りしています」


 ショウジは無言で肯んずると、猛然と艦橋ブリッジを飛び出していく。

 クロエとフレーシャの姿がそろって消失し、コンソール・パネルを赤と紫の二色の光が彩ったのは次の瞬間だった。


***


 親指の爪を口許に運びかけて、エドワード・クライゼルははたと我に返ったように右手を引っ込めた。

 爪を噛むのは、オリジナルのエドワードから受け継いだ癖のひとつだ。

 計画が捗々しく進まないとき、あるいは思考に行き詰まったとき、彼は無意識に爪を噛んでは、いつも隣にいたにたしなめられたものだった。


 いま、冷静沈着な彼をいらだたせている原因は三つ。

 ひとつは、命令を果たせなかった一○○八オクトエイトの不甲斐なさ。

 もうひとつは、いつ沈んでもおかしくないほどの損傷ダメージをこうむりながら、いまなお健在でありつづけているアラドヴァルの意外なほどのしぶとさ。

 そしてなにより気に食わないのは、そんな死にぞこないの艦を仕留めあぐねている自分自身だった。


(どこまでも往生際の悪い……)


 エドワードはメイン・ディスプレイに映じた朱赤色バーミリオンレッドの艦を睨めつける。

 あの艦がこれほど自分を手こずらせている理由はただひとつ。

 アラドヴァルの人工知能クロエがジュリエッタの戦術を学習し、忠実に再演しているのだ。

 そうでなければ、ヒルディブランドを撃沈し、ヴォルスングの猛攻撃から逃れることなど不可能であるはずだった。

 あの少年――――ショウジ・ブラックウェルの存在が脳裏をよぎるたび、エドワードは意識してその可能性を打ち消した。まんまと取り逃がしたのは不覚だが、しかし、十四歳の子供にこの戦場でなにが出来るともおもえない。 


「たかが人工知能ごときが、よくも私の手を煩わせる――――」


 エドワードは心底から不快げに吐き捨てる。

 あの事故以来、機械への不信と嫌悪の感情は、エドワードの人格に抜きがたく根を張っている。

 その程度はオリジナルに近い優良個体エリートほど強く、アラドヴァル級でありながらヴォルスングに擬人化された対話型インターフェイスが搭載されていないのも、エドワードのこだわりによるものだ。

 まさにその機械が自分を苛立たせている現実を認識したとき、エドワードはおのれの内部なかでなにかがぷっつりと切れる音を聴いた。


 ジュリエッタのもとで豊富な実戦経験を蓄積したアラドヴァルは、文字どおり宇宙最強の戦闘艦である。

 いまやあの艦は、同量の稀少金属レアメタルよりもはるかに高い価値をもつと言っても過言ではないのだ。

 エドワードが執念深くアラドヴァルの行方を追いつつ、今日まで強硬策に出ることなくのも、艦を無傷で手に入れるためにほかならない。


 だが、それがどうしたというのだ?

 あの艦は一介の被造物でありながら、創造主たるエドワードの意志に叛き、あまつさえ刃を向けた。

 万死に値するその罪は、ただ死によってのみ贖うことができる。

 最重要目標であるジュリエッタがすでにこちらの掌中にある以上、エドワードにアラドヴァルの撃沈をためらう理由はもはやなかった。


 白い手袋に包まれた指がトリガーにかかったのと、警報音が艦橋を圧したのは同時だった。


「……なにごとだ?」


 エドワードの問いかけに答える者はない。

 ただ、ミサイル接近を告げる警告表示がディスプレイ上に表示されただけだ。

 センサーが捕捉したミサイルの総数はおよそ五○○発。

 遷光速ミサイルの全搭載数をはるかに上回るその数が意味するところはひとつしかない。

 アラドヴァルは対空迎撃ミサイルから爆雷、撹乱用のデコイに至るまで、艦に搭載されたありとあらゆる誘導兵器を一斉に発射したのだ。


(バカめ……)


 エドワードは内心でほくそ笑む。

 まぐれ当たりを期したでたらめな素人戦術。

 ジュリエッタの薫陶を受けたアラドヴァルの人工知能が、よもやそんな稚拙な攻撃案を採用するはずはない。

 さしずめあの少年……ショウジが余計な指示を出したのだろう。

 アラドヴァルにとっては墓穴を掘った格好だが、エドワードにとってはもっけの幸いといえた。

 多少の被弾は避けられないだろうが、ヴォルスングの性能とエドワードの卓越した操艦技術をもってすれば、致命的なダメージをこうむるおそれはまずない。

 めざわりなアラドヴァルを葬り去ることができるのであれば、少しばかりの損傷はむしろ望むところだ。


 ヴォルスングの艦体をにぶい衝撃が揺さぶったのは、それから数秒と経たないうちだ。

 エドワードはすばやく損傷箇所を確認する。

 ミサイルの大半は撃墜したが、エドワードの予想どおり、数発は斥力フィールドを突き抜けてきた。

 艦にさほどのダメージはないこともふくめて、すべては想定内だ。

 エドワードが眉根を寄せたのは、艦尾スターン側の上甲板に突き刺さったままのミサイルに気づいたためだ。


「不発弾だと……?」

 

 エドワードの胸に一抹の不安が沸き起こる。

 けたたましい警報音が鳴り響いたのは次の瞬間だった。

 警告メッセージの内容を認めたエドワードは、おもわず身を乗り出していた。

 未知の生体反応――――艦内への侵入者あり。

 

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