第六話:失われた記憶をもとめて……

「あんたは……」


 ショウジは震える喉をなだめつつ、目の前の男に問いかける。

 家族を奪ったあの男と、キャプテン・ジュリエッタが恋人同士だった。

 とても信じられない――――信じたくない事実に打ちのめされた衝撃は、いまも鈍い痛みとなって心と身体を苛んでいる。

 だからこそ、どうしてもたしかめておかなければならない。


「あんたはいったい何者なんだ……? どうして俺にそんなことを教える!?」

「俺もエドワードさ。正式名称は個体番号シリアルナンバー一○○八オクトエイト。千と八人目に複製された個体というわけだ。そして、俺を追いかけてここまで辿りついた君には、真実を知る権利がある」


 男――――エドワード一○○八オクトエイトは飄然と言い放つと、サングラスに指をかける。

 濃い色のレンズが顔を離れたのと、ショウジがちいさく叫んだのは同時だった。

 老化と皮膚病によってすっかり様変わりしているが、その端正な顔立ちは、まちがいなく写真の男と合致する。


「あの日、ブラックウェル提督とその家族を殺したのはまちがいなくエドワード俺たちだ。直接手を下したのは別個体だが、俺にも君の父母や姉妹を殺した記憶はある。すべての個体の記憶は一定時間ごとに同期シンクされるからな」

「じゃあ、俺の家族を殺すように仕向けたのは……」

「お察しのとおりさ。エドワード俺たちが命じ、エドワード俺たちが実行した。どこからか情報が洩れたのか、それとも自力で調べ上げたのか、いずれにせよブラックウェル提督は俺たちの秘密をつかんでいた。三千年前に死んだはずの人間が海軍ネイビーに寄生し、意のままに組織を操っていることを……」


 言って、一○○八オクトエイトは白く濁った瞳をショウジにむける。

 船乗りに特有の眼病を患っていることはひと目で知れた。

 長年にわたって強度の宇宙放射線を浴びた人間は、加齢とともに視力が急激に低下し、最終的には失明に至る。いちど発症すれば投薬や手術による回復はもはや望めず、機械によって視力をおぎなうほかに有効な手立てはない。

 一○○八にしても、サングラス型の視力補助サポートデバイスを外した状態では、おそらくショウジの顔さえまともに見えてはいないはずだった。


「約束を守れるなら、俺を殺すチャンスをやる」

「約束?」

「べつにむずかしいことじゃない。……ジュリエッタとアラドヴァル、そしていま話したことを死ぬまで自分の胸のなかだけに閉じ込めておくと約束できるなら、俺はここで君に殺されてやってもいい」

「ふざけるな!! そんなバカな話を信じられるとでも思っているのか!?」

「これを見てもまだそう思えるかな」


 一○○八オクトエイトの右手がジャケットの内側に潜った。

 とっさに身構えたショウジのまえに突き出されたのは、にぶい金属光沢を帯びた銃把グリップだ。

 陽電子クーロンブラスター。

 一○○八の右手は銃身を掴んでいる。銃口を自分に向けたまま、銃をショウジに手渡そうとしているのだ。


「なぜ……」


 ショウジはぽつりと呟いた。

 差し出された陽電子ブラスターを奪い取るでもなく、ただ銃把に手を置いているだけだ。

 少年と仇敵は、銃を仲立ちに握手を交わすような格好になった。


「あんたは、どうしてそんなにあっさりと生命を差し出せるんだ……?」

「俺を殺すことで君の復讐を断念させられるなら安いものだ。どのみち、中性子線を浴びすぎたこの身体はあと半年と持たん。そして俺が死ねば、が俺の代わりを務めるだろう」

「すぐにあたらしい身体に乗り移れるから、古い身体を捨てるのに未練はないというわけか」

「いいや――――たしかに俺は大勢のエドワードのひとりだが、俺の死は俺だけのものだ。集合意識としてのエドワードを形成するのに無価値なデータ、たとえば俺がもっている固有の意識や感情は、他の個体との同期シンクの対象にはならない。そんなものを律儀に共有していたら、エドワードという人格はあっというまに分裂してしまうからな。俺もほかのエドワードが死ぬのを何度も見てきたが、自分が死に際になにを考え、どう感じていたのかはわからない。こればかりは俺自身で体験するしかないというわけだ。それに……」


 一○○八オクトエイトはふたたびサングラスをかけると、


「俺は彼女ジュリエッタに会うことができた。もう思い残すことはない」


 ふいに銃口から手を放した。


 ショウジはバランスを崩し、よろよろと二、三歩も後じさる。

 体勢を立て直したショウジは、そのまま陽電子ブラスターを腰のホルスターに戻す。

 けげんそうな面持ちで見つめる一○○八オクトエイトにむかって、ショウジは一語一語、血を吐くように言葉を紡いでいく。


「……俺は、撃たない」

「家族の仇を取れるチャンスをふいにしていいのか?」

「いまの話を聞いてわかった。俺の父さんと母さん、姉さんと妹を殺したのはエドワードあの男だ。一○○八あんたじゃない」

「面白いことを言う。だったら、この俺はエドワードでなくてなんだ?」

「俺の家族を殺した男なら、わざわざ俺を助けたりはしない。俺がこうして生きているのは、あんたが一○○八オクトエイトだからだ。ほかの個体と共有する価値のない無駄なデータがさせたことなら、俺はそれこそがあんたの心だと信じる」


 ふたたび陽電子ブラスターに指をかけたショウジは、先ほどまでとは別人みたいに重々しい声で告げる。


「だから、たのむ。俺をキャプテンのところに案内してくれ」


***


 見渡すかぎりの広壮な空間を闇と静寂が埋めていた。

 トンネルを抜けたショウジと一○○八オクトエイトが辿りついたのは、宇宙港スペース・ポートとおぼしい巨大施設だった。

 人工重力が作用していた居住区画とは異なり、港内は完全な無重力状態だ。


 周囲に視線を巡らせてみれば、その理由はすぐに知れた。

 天井といわず壁といわず、そこかしこに大小さまざまの艦艇が繋留されている。

 先の戦闘でアラドヴァルに攻撃を仕掛けてきた三十隻の艦隊だ。

 数隻を失ったことで戦力はいくらか目減りしているものの、目をみはるほどの大艦隊であることに変わりはない。


「ゲミヌスΣⅢシグマ・ドライ駐留特別艦隊だ。肩書きはどうあれ、やっていることはの番犬だがな」


 どこかなげやりな一○○八オクトエイトの言葉に、ショウジはすかさず問いかける。


「遺跡というのは?」

「三千年まえ、航空宇宙軍は中性子星クエーサーゲミヌスΣⅢのちかくに大型宇宙ステーションを建設した。超新星爆発のあと、恒星が中性子星からブラックホールへと段階的に変化していく過程を観測・研究するためというのは建前だ。実際には中性子星のコアが放つシンクロトロン放射のエネルギーを利用し、入植計画に必要な宇宙船や物資を生産する完全自動工場フルオート・ファクトリーとして稼働するはずだった……」


 いったん言葉を切った一○○八オクトエイトは、ちらとショウジを横目で見やる。


「エドワードとジュリエッタの転送実験からしばらく経ったころ、ゲミヌスΣⅢはすさまじい勢いで縮小しはじめた。質量はそのままに、密度と圧力だけが高まっていったのさ」

「それは、つまり――――」

「ふつうなら永い時間をかけて進行するはずの中性子星のブラックホール化が、信じられないような短期間のうちに起こったということだ。いまではゲミヌスΣⅢの中心核は事象の地平面に落ち込み、光さえ脱出不能な特異点に変化している。航空宇宙軍はステーションを放棄し、施設は永らく無人のまま捨て置かれた。……消えたはずのエドワードが、千三百年後に出現するまでは、な」


 壁から突き出したメンテナンスアームを蹴飛ばし、艦と艦のあいだをすりぬけながら、ショウジと一○○八オクトエイトは港内のさらに奥深くへと進んでいく。

 

「転送実験と中性子星のブラックホール化とのあいだにどんな因果関係があるかのは分かっていない。このさきも解明されることはおそらくないだろう。それでも、ここがあの二人がめざした楽園エデンであることに変わりはない。エドワードたちがジュリエッタの欠片を探しに旅立ってからも、ステーションには施設を保守するための人員がかならず残された。……俺もその一人というわけだ」


 しばらく無重力の宙を泳ぐうちに、前方に見覚えのあるシルエットがみえてきた。

 いかにも兵器然とした他の艦船とは一線を画する流麗なフォルム。目にもあざやかな朱紅色バーミリオンレッドをまとった艦は、港の一角にその身を横たえている。

 海賊戦艦アラドヴァル。

 あれほど激しい衝撃に見舞われたにもかかわらず、外装には目立った損傷は見当たらない。


「驚いたか? ジュリエッタはもちろん、アラドヴァルも極力傷つけるなというお達しだったからな」

「キャプテンはどこに?」

「そのことなんだが……」


 ショウジの身体が弓なりに反り返ったのは次の瞬間だった。

 どこからか硬質の物体が飛来し、少年の背中をしたたかに打ったのだ。

 激痛にゆがむ視界の片隅に、ショウジは銀色のカギ爪のようなものを認めた。

 資材固定用のアンカーワイヤーだ。

 何者かがショウジめがけて投擲したらしい。命中するまで気づかなかったのは、アラドヴァルに気を取られすぎていたためだ。


「よくやった、フレーシャ。いいコントロールだったぞ」


 一○○八オクトエイトはショウジに近づくと、ホルスターから陽電子ブラスターをすばやく抜き取る。


「なにを……」

「ショウジ・ブラックウェル。度胸と執念は認めるが、海賊にしてはすこしお人好しが過ぎるな」

「最初から……こうするつもりで……」

「俺の生命がもう長くないのは本当のことだ。ジュリエッタに再会できて思い残すことがないのもな。だが、俺もエドワードとしての役目は最後まで果たさなければならん」

「なぜ一思いに殺さない……?」

「君にはまだ役に立ってもらうからだ」


 一○○八オクトエイトの顔に酷薄な微笑が浮かんだ。


「アラドヴァルが拿捕される直前、ジュリエッタは艦の起動権限を君に移した」

「キャプテンが……俺に……?」

「君の生体反応が消えれば、アラドヴァルは二度と動かせなくなる。我々もうかうかと君を殺すわけにはいかなくなったというわけだ。姑息な手だが、ジュリエッタの計らいに感謝するんだな」


 一○○八オクトエイトが言い終わるが早いか、重い金属音が港じゅうに響きわたった。


「なんだ……?」

のご到着だ。はるばる太陽系から愛しい姫を迎えにきたのさ」 


 言って、一○○八オクトエイトは港の入り口を指さす。

 誘導灯に沿ってゆっくりと入港する一隻の航宙艦を視界に捉えた瞬間、ショウジは声にならない声を洩らしていた。


 白亜の外装をまとった美しい艦。

 それは、もう一隻のアラドヴァルにほかならなかった。

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