ROUTE 03:復讐者 -中性子星ゲミヌスΣⅢの決戦-

第一話:策謀と疑心のはざまで

「こちら認識番号一○○八オクトエイトより”ヴォルスング”。乗艦を許可されたし」


 エドワード一○○八オクトエイトが告げるや、白いアラドヴァル――――”ヴォルスング”の舷側から搭乗用ボーディングブリッジが伸びた。

 一○○八は、痛みのために身動きの取れないショウジをひょいと小脇に抱えると、搭乗用ブリッジへと身を躍らせる。

 ちくり、とショウジの首筋にするどい痛みが走った。


「なにを……」

「心配するな。即効性の神経麻痺剤パラライザーだ。君に暴れられては困るんでね。すこしおとなしくしていてくれよ」


 そうするあいだに、一○○八オクトエイトはショウジを抱えたまま艦内を先へ先へと進んでいく。

 身体の自由が利かないショウジにも、艦内のインテリアや通路のレイアウトがアラドヴァルに似ていることはわかる。

 むろん細部に目を向ければ大なり小なり異なっているにせよ、二隻が同一の基本設計プラットフォームを共有していることは疑う余地もない。

 一○○八オクトエイトの乗艦である改アラドヴァル級”ヒルディブラント”もふくめて、アラドヴァルとは血を分けた姉妹艦の関係にあるのだ。


 黙々と艦内を進んでいた一○○八オクトエイトは、ふいに足を止めた。

 ショウジはかろうじて動かせる頭をわずかに上げる。

 痛みと麻痺剤の影響でかすむ目が捉えたのは、たしかに見覚えのある扉だった。

 艦橋ブリッジの出入り口だ。


「入りたまえ。ロックは解除してある」


 男の声が艦内放送用スピーカーから流れた。

 一○○八オクトエイトよりはずっと若々しいが、しかし、声質や発音のクセは共通している。

 どちらもであることを考えれば、それも当然だった。

 一○○八はショウジを抱えたまま扉の開閉スイッチを操作する。


 音もなく開いた扉のむこうには、はたして、ショウジもよく知るアラドヴァル級の艦橋ブリッジが広がっていた。

 艦長席キャプテンシートがなめらかに回転し、ショウジと一○○八オクトエイトのほうに向き直る。

 系内海軍インナーネイビーの白い軍服を着込んだ青年だ。

 浅黒い肌と青緑色ターコイズブルーの瞳、赤みがかった黒髪……。

 顔の輪郭も佇まいも、三千年前の古写真の男、そしてショウジの家族を虐殺したあの男と完全に符合する。

 いますぐにでも目の前の男に飛びかかりたい。

 むごたらしく殺された父母や姉妹の無念を晴らしてやりたい。

 そんな烈しい衝動が胸を焦がしても、いまのショウジには戦うことはむろん、自分ひとりで立ち上がることさえ叶わないのだ。


「一○○八号。ジュリエッタとアラドヴァルの拿捕、ご苦労だった。……ところで、その少年は?」

「アラドヴァルの乗組員ですよ。名前はショウジ・ブラックウェル」

「ブラックウェル?」


 青年はしばらく考え込むようなそぶりを見せたあと、「ああ」とちいさな声を上げた。


「たしか……カルケミシュΓで処分したユージーン・ブラックウェルの息子がそんな名前だった。生き延びた者がいたとは初耳だったが」

「作戦チームを指揮していた一四○四カルテフォア号は直後ので死亡。記憶を同期するまえに死なれたのでは、さすがの我々も現場でなにが起こっていたかは知りようがないということです」


 一○○八オクトエイトの言葉に、ショウジは愕然と目を見開いていた。

 あの男はもういない。

 とうの昔、自分のあずかり知らないところで死んでいた。

 この手で家族の恨みを晴らすことは、もはや永遠に不可能になったということだ。


一四○四カルテフォアは優秀な戦闘型個体だった。彼を失ってしばらくは、邪魔者を消すのも苦労したものさ」


 死を惜しむような言葉とはうらはらに、青年の声には毫ほどの悲しみも感じられない。

 目覚めてから今日まで、エドワードの複製体はたえまなく製造され、そのすべてがジュリエッタの復活という目的のために消費されてきた。

 エドワードとはもはや個人ではなく、全員がひとつの意志を共有する群体なのだ。

 群体において、個々の死はなんの意味も持たない。一四○四の死によって生じた空席も、すでにほかの個体が埋めている。


「それで……わざわざショウジ・ブラックウェルくんを私の前に連れてきたのは、もちろん相応の理由があるのだろうね」


 青年の問いかけに、ショウジは懸命に首を動かす。


「おれ……は……」

「君に質問したわけじゃないんだ」


 青年のそっけない言葉には、研ぎあげた刃のするどさが宿っている。

 文字どおり言葉を失ったショウジに代わって答えたのは一○○八オクトエイトだ。


「わが方に拿捕される直前、ジュリエッタはアラドヴァルの起動権限を彼に移しました」

「ほう?」

「この少年を殺せば、アラドヴァルは二度と動かせなくなります。それだけならまだいいが、艦のシステム中枢に保存されているが取り出せなくなるのはまずい……」


 一○○八オクトエイトの言葉に、青年はふっとため息をつく。

 艦橋に沈黙が降りた。

 いつ終わるともしれない緊張のなかで、最初に口を開いたのはショウジだった。

 麻痺剤の影響でもつれる舌と、痺れた声帯をせいいっぱい奮い立たせて、少年は声も枯れよと叫ぶ。


「おまえたち、キャプテンをどこへやった……⁉︎」


 青年は驚くふうもなく、ショウジにむかってあわい微笑みを浮かべる。

 見るものの心底まで凍てつかせる微笑を。


「訊いてどうするつもりだ?」

「まずはキャプテンの無事を確かめさせろ。無事を確認できたら、あの人をシャトルに乗せて安全圏まで射出するんだ。そちらが条件を呑むなら、俺もアラドヴァルの起動に協力してもいい」

「つまり、ショウジくんは私と取引をしようというのだね」

「そのとおりだ。もし拒否するというなら、俺は舌を噛み切って死ぬ。そうなって困るのはおまえたちだろう」


 毅然と言い放ったショウジに、青年はくつくつと忍び笑いを洩らす。


「なにがおかしい……⁉︎」

「なに、君のような少年に取引を持ちかけられたうえ恫喝までされるとは、長く生きていると面白いこともあると思ったまでだ」

「冗談だと思っているのか。俺は本気だ」

「もちろん分かっているさ。……ここで君に死なれていちばん困るのは私だ。人間の生命の価値は一定じゃない。その時々で高くも低くもなる。最高に値があがったこのタイミングで売り出すのも、ジュリエッタの薫陶の賜物かな」


 青年は感心したように言うと、一○○八オクトエイトに目配せをする。

 次の瞬間、ショウジの身体は、艦橋の床に横たえられていた。

 神経麻痺剤が抜けるまでは、こうしてイモムシみたいに寝転がっているほかないのだ。

 ショウジを見下ろした青年は、なにかに気づいたように手を打った。


「そういえば、自己紹介がまだだったね。……私はエドワード。系内海軍インナー・ネイビー火星総本部のエドワード・クライゼル大将だ」


***


 ヴォルスングを出た三人は、宇宙港の一角に建つ施設をめざして移動を開始した。


 ショウジはようやく自力で立ち上がれるようにはなったものの、まだ足取りはおぼつかない。それでもなんとか動けているのは、無重力環境のおかげだ。

 一○○八オクトエイトが先頭、クライゼルが最後尾となってショウジを挟みこむ隊列は、逃走を阻止するためのものである。

 こんな身体で逃げられるはずもないが、なにしろいまのショウジはアラドヴァルの生体キーなのだ。エドワードたちにとっては用心するに越したことはない。


「あんたは……」


 ちらと首だけで背後を振り返りながら、


「あんたもエドワードなのに、なぜ番号で呼ばれないんだ」


 ショウジはクライゼルに問いかける。


「もちろん私にも番号はある。しかし、私は生まれながらに特別な個体でね。彼の本名であるエドワード・クライゼルを名乗っているのもそのためだ」

「特別な個体?」

「エドワードのなかでもとくに本人オリジナルにちかい性質を受け継いでいるんだよ。情報体の転写はクローンとちがって正確に記憶と人格を複製できるが、おなじ人間でも状況によって別人のようにふるまうことは珍しくない。もちろん、オリジナルのエドワードも人並みの多面性はもっていた」

「でも、あんたはオリジナルにちかいと……」

「私はエドワードの意識と人格をもっともバランスよく受け継いでいる。そういった優良個体はきわめて稀だ。なかには軍人や船乗りとしての個性が強く出すぎ、特殊な任務にしか使えないも混じっている……」


 一瞬、クライゼルの視線がショウジを外れた。

 一○○八オクトエイトはもうひとりの自分の視線を背で受けたまま、黙々と先へと進んでいく。


「見えてきたぞ」


 一○○八オクトエイトが指さした先に視線を移せば、港の片隅にそびえる円筒形の物体がみえた。

 高さはおよそ十五メートル。

 スモークグレイの外壁は、金属とはあきらかに異質な光沢を放っている。

 窓や入り口らしい部分は見当たらず、建物というよりは、前衛的なオブジェといったほうがしっくりくる。

 一○○八のあとに続いて距離を詰めていくうちに、オブジェの奥に奇妙な影が揺らいだ。

 はじめは目の錯覚と思ったショウジも、近づくにつれて、それがまぎれもない人間のシルエットであることを認めざるをえなかった。

 

「そんな……うそだ!」

 

一○○八オクトエイトを追い越したショウジは、オブジェの表面にすがりつくと、我を忘れて叫んでいた。

 すりガラスのような外壁のむこうに佇むのは、一糸まとわぬ姿のひとりの女だ。

 両目と唇をかたく閉ざしているが、その顔かたちは、ショウジもよく知る女海賊のそれにほかならなかった。


「キャプテン……どうして……」

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