第二話:決裂

「心配することはない。――――彼女ジュリエッタ生きている」


 こともなげに言って、エドワード・クライゼルはオブジェの表面にそっと指を這わせた。

 ショウジはジュリエッタをかばうようにオブジェに背中を押し付けながら、エドワードにするどい視線を向ける。


とは、どういう意味だ……? おまえたち、キャプテンになにをした!?」

「落ち着きたまえ。彼女にはすこし眠ってもらっているだけだ。そうだろう、一○○八オクトエイト?」

 

 エドワードの問いかけに、一○○八オクトエイトは無言で肯んずる。


「いまのジュリエッタは冷凍冬眠コールドスリープ……より正確に言えば、その前段階の仮死状態アスフィクシアにある」

「なぜそんなことを……」

「彼女を傷つけないためだ」


 一○○八オクトエイトはそれだけ言うと、眠りつづけるジュリエッタをちらと一瞥する。

 その面上にほんの一瞬よぎったのは、悔恨と怒りとがないまぜになった複雑な表情だった。

 そんな一○○八をよそに、ショウジはエドワードにむかって叫ぶ。


「さっきの約束はおぼえているな。いますぐキャプテンを解放しろ」

「残念だが、それは出来ない相談だ」

「なに?」

「彼女には私といっしょに来てもらう。記憶のほぼすべてが欠如したとはいえ、貴重なサンプルであることにはちがいない。本当のジュリエッタを再生するための……ね」


 エドワードはショウジを見据えると、底冷えのする声で告げる。

 

「ひとついいことを教えてあげよう、ショウジ・ブラックウェルくん。約束とは、対等な立場の者同士でしか成り立たないものだ」

「俺が死ねばアラドヴァルは二度と動かなくなるぞ」

「それも君に自分の生命を断つ覚悟があればの話だ」


 言い終わるが早いか、エドワードの右手が腰のホルスターに伸びた。

 次の刹那、ショウジの鼻先に突きつけられたのは、火薬式の回転式拳銃だ。

 ショウジに見せつけるように、わざとゆっくりと撃鉄を起こしながら、エドワードは整った唇に酷薄な笑みを浮かべる。

 

「死ぬ覚悟もないくせに、自分の生命を盾に取るような真似をするものじゃない」


 エドワードの言葉は、耳をつんざく発砲音にかき消された。

 大小さまざまの赤い球が一帯にぱっと広がっていく。

 無重力空間では、血液は傷口からあふれたとたん、このような形態を取るのだ。

 

「ぐうっ……」


 ショウジは低くうめきながら、右肩に手を当てる。

 弾丸は骨で止まっている。

 跳弾による二次被害を避けるために、わざと貫通しない程度に炸薬量を抑えてあるのだ。

 むろん、それと標的が味わう苦痛の度合いとはべつの話だ。

 弾丸はショウジの右肩の肉と神経をずたずたに切り裂き、耐えがたい激痛を生んでいる。


「さっきまでの威勢はどこに行った? まだ一発目じゃないか」


 嘲るように言って、エドワードは弾倉をスイングアウトさせる。

 抜き取った空薬莢を指先でもてあそびながら、若き海軍大将はひとりごちるみたいに言葉を継いでいく。


「君の父親、ユージーン・ブラックウェル提督もそうだった。身のほど知らずの血は争えないらしい」

「父さんが……?」

の秘密を掴んだ彼は、こんな取引を持ちかけてきたのだよ。人類社会への干渉を止めろ、さもなくばエドワード・クライゼルの正体を中央政府に告発する……とね」


 エドワードの声がふいに氷の冷たさを帯びた。

 語り口はいたって平静だが、言葉に宿った凄気はなまなかな怒声の比ではない。


「バカな男だ。過去の私たちが消しきれなかった微かな痕跡をたどり、三千年まえの真実を突き止めるほどの能力を持っているなら、私の手駒として末永く使ってやったものを……」

「それで父さんを、俺の家族を殺したのか⁉︎」

「私を恨むのは筋違いだよ。天に唾するような真似をしたのだから、当然の報いを受けたまでのことだ」


 エドワードはふたたび銃口をショウジに向ける。


「言っておくが、そう簡単に死ねるとは思わないほうがいい。ただひとこと、アラドヴァルを動かすと言ってくれれば、私もこれ以上君を苦しめずに済む」

「どのみち俺を生かしておくつもりはないんだろう」

「私のこれまでの経験からいえば、どんな屈強な男でも、数発も撃ち込んでやれば”なんでもするから早く殺してくれ”と泣いて懇願するようになる……」

「俺は死なない。貴様の言いなりにもならない」


 ショウジの身体が動いたのは次の瞬間だ。

 前方、自分に狙いを定めた銃口へと突進する。

 予想外の行動にたじろいだのか、エドワードの体勢が崩れた。

 ショウジが銃身を掴もうとしたのと、銃声が響きわたったのは同時だった。


 焼けた鉄棒を押しつけられたみたいな灼熱感と激痛が少年の全身を駆け抜けていく。

 おもわず叫びたくなるのをこらえて、ショウジは右の手のひらを見る。

 弾丸はちょうど手のひらの中心を抜けたらしい。ショウジは傷口からとめどなく湧きだす血の粒を握り込むと、エドワードの顔面に叩きつけた。

 無重力空間で人間を溺死させるには、コップ一杯の水で事足りる。水は下方に流れ落ちることなく、いつまでもおなじ場所に留まり続けるためだ。

 エドワードはとっさに上体をそらし、迫りくる血の塊を回避しようとする。

 その隙を逃さず、ショウジはエドワードの傍らをすり抜けるように飛び出していた。


一○○八オクトエイト、あの小僧を捕らえろ‼︎」

 

 エドワードが苛立った声で叫んだときには、ショウジは二人の手が届かない場所へと逃れている。

 停泊中のアラドヴァルに向かっていることは言うまでもない。


「奴を追う。一○○八オクトエイト、援護しろ」

「ほんとうに奴を始末していいのですか」

「アラドヴァルは力ずくで奪いとる。あの小僧を殺すのはそのあとだ」


 エドワードは言い捨てると、虚空にするどい視線をむける。

 青緑色の瞳を彩るのは、怒りと憎悪の炎にほかならなかった。


***


 アラドヴァルの艦橋に辿り着いたショウジは、わずかな逡巡のあと、艦長席キャプテンシートに腰を下ろした。

 緊張に顔をこわばらせているのも無理はない。

 これまでジュリエッタのそばで艦の動かし方を見てきたとはいえ、実際にこの席に座るのは今日がはじめてなのだ。


「クロエ。たのむ、目を覚ましてくれ‼︎」


 その言葉に応えるように、アラドヴァルの艦橋のそこかしこに光が灯った。

 休眠状態ハイバネーション・モードに置かれていた艦の全システムが覚醒したのだ。

 

「統合型メイン・ターミナル”Chloëクロエ”起動。航法および索敵・火器管制システム、通常モードに復帰。両舷主機アイドリング正常――――」


 ふだんとは別人のように無機質な声が艦橋にこだました。

 ショウジは戸惑いつつ、手元のコンソールにむかって呼びかける。


「クロエ、キャプテンが危ないんだ。詳しい事情はあとで話す。いますぐ艦を発進させてくれ」

「それは艦長命令ですか?」

「なんだって⁉︎」

「本艦のあらゆる行動は艦長の責任において実行されます。艦長が不在、またはその他の理由により職務を遂行できない場合、指揮権は規定に基づいて……」


 思いがけないクロエの返答に、ショウジは言葉を失った。

 やがて息を深く吸い込むと、少年は意を決したように言葉を継いでいく。


「いまは俺が艦長だ。俺の命令に従ってもらう」

了解アイ・サー――――現時点よりアラドヴァルの全指揮権を委ねます。よろしいかユーハブコントロール?」

任せてくれアイハブコントロール


 その言葉を合図に、朱紅バーミリオンレッドの艦はすべるように動き出した。

 メインノズルが青白い噴射炎を吐き出す。全長八百メートルの巨艦は音もなく加速していく。

 ショウジは光学センサーを操作し、ジュリエッタが囚われているオブジェを探す。

 

 ディスプレイに映し出されたのは、オブジェを覆い隠すように浮遊する三胴船トリマランだ。

 改アラドヴァル級“ヒルディブラント”。

 一○○八オクトエイトの艦は、いままでどこに隠れていたのか、ジュリエッタを回収するために初めて宇宙港に姿を現したのだった。


(いまならキャプテンを巻き込まずに済む……)


 ショウジは兵装選択パネルに指を走らせる。


「クロエ、戦闘用意。ガンマ線投射砲バースター、対空ミサイル発射スタンバイ」

「ターゲットの指示は?」

「あの三胴艦以外のすべてだ。この港に繋留されている艦はすべて破壊しろ」

了解アイ・サー


 それから数秒と経たないうちに、宇宙港のあちこちで大爆発が起こった。

 アラドヴァルが全方位にむけて猛烈な射撃を開始したのだ。

 三○隻からの大艦隊は、ドックに収まったまま、身動きも取れずに撃沈されていく。

 駆逐艦、軽・重巡洋艦、軽空母……艦隊を構成するさまざまな艦が、ほとんど原型を留めない鉄くずと化すのにかかった時間は、わずか五分にも満たない。

 生き残ったのは“ヒルディブラント”だけ――――

 次の瞬間、アラドヴァルをはげしく揺さぶった衝撃は、それがとんだ早合点だったことをショウジに思い知らせた。


「警告。後方に敵艦。本艦にむけて急速接近しつつある」


 警告と同時に、爆炎を裂いて現れたのは、一隻の美しい艦だった。

 純白のアラドヴァル級巡洋戦艦――――“ヴォルスング”。

 血を分けた姉妹艦のあいだを、レーザー砲撃のまばゆい光芒が結んだ。

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