第五話:時間の囚人たち

――――ショウジ……。


 そのひとの声は、たしかに自分の名前を呼んでいた。

 

 枯れ木のあいだを吹き抜ける風のような、あるかなきかのかぼそい声。

 暗い淵に沈んでいた少年の意識を揺り起こすにはそれで充分だった。

 あいまいだった肉体の輪郭がじょじょに戻ってくる。


「キャプ……テン」


 ようやっと重いまぶたをこじ開けると、暗闇から一転、まばゆいほどの光が世界を充たした。


「……おれ……生きてる……?」


 ショウジはひとりごちて、周囲に視線を巡らせる。


 真白い部屋だった。

 床も壁も天井も光沢のない白一色に塗り込められている。

 必死に目を凝らしても扉や窓は見つからず、どのようにして出入りするのか見当もつかない。

 白に埋めつくされた殺風景な部屋のなかで、かろうじて生活を感じさせるものといえば、ショウジが横たわっている簡素なベッドだけだ。

 白といえば、いまショウジが身につけているのも、ワンピース・タイプの白い病衣ガウンだった。


 ショウジは注意深くベッドのうえで上体を起こすと、手足をかるく曲げ伸ばす。

 身体が動くかどうか確かめるためだ。

 ここがどこで、自分がなぜいまの状況に置かれているのかはわからない。

 それでも、身体を自由に動かせるのと、負傷のために思うように動けないのでは、とこのさき取りうる選択肢もちがってくる。


(手足は問題なく動く。骨も折れていない……)


 ショウジがベッドから降りようとしたとき、視界の片隅で黒い羽のようなものがちらついた。

 ゴシック・スカートの幾重にも重なり合った裾襞ドレープだ。

 黒いドレスをまとった少女は、紫黒色オブシディアンの瞳をショウジにむけると、スカートの裾をつまんで一礼カーテシーをする。


「おめざめになりましたか」


 美しく澄んだ、しかし人間味のまったく欠如した声であった。

 少女の人形じみた容貌には似合いすぎるほどによく似合っている。

 ショウジはいつでも動けるような態勢を維持しつつ、両手を上げて敵意がないことを示す。

 黒衣の少女が敵か味方かわからない以上、まずは出方を見るしかないのだ。

 

「君は……? 君が俺を助けてくれたのか?」

「私はフレーシャ。 救助活動をおこなったことを『助けた』と表現するのであれば、肯定します。たしかにを助けました」

「あなたたち……ということは、俺以外にもいるんだな!? 俺ともうひとりの女性は無事なのか!? それに俺たちのふねは――――」


 ショウジから矢継ぎ早に質問を投げられても、フレーシャは無表情のまま沈黙している。

 とうとうしびれを切らしたショウジは、ベッドから起き上がると、フレーシャの肩に手を伸ばす。


「たのむ。このお礼はかならずする。だから、教えてくれ――――」


 フレーシャの華奢な肩に触れるはずだったショウジの指は、なんの抵抗もなく、淡雪色の皮膚はだえのなかに吸い込まれていった。

 指だけではない。バランスを崩してつんのめったショウジは、フレーシャの身体をすり抜け、床に突っ伏したのだった。

 したたかに打ちつけた顎と鼻をさすりながら、ショウジはあらためてフレーシャを見やる。


 黒衣の少女は、一見すると生身の人間のようにしかみえない。

 ほそい指先とつややかな長髪、ドレスに用いられているシルク生地の風合い……そのすべてが、たしかな存在感とともにショウジの眼前にある。

 それでも、いちど触れてみれば分かる。彼女は実体を持たない立体映像ホログラフィなのだ。


(彼女もクロエとおなじ人工知能……なのか?)


 ふいに背後でなにかがスライドする音が生じた。

 とっさに視線を向ければ、壁の一角が長方形に切り抜かれている。

 より正確にいえば、隙間がみえないほどの精度で埋め込まれていたシャッターが開いたのだろう。

 五十がらみの壮漢が部屋に入ってきたのは、それから数秒と経たないうちだった。

 

「おはよう。いい夢は見られたかい、ショウジ・ブラックウェルくん?」

 

 男は剽気たように言って、ショウジのほうへ歩を進める。

 年季の入った灰色の作業着に海軍ネイビーの戦闘用ジャケットを引っかけただけのラフないでたち。

 宇宙放射線の影響でまだらに変色した皮膚と口髭、そして濃い色のサングラスが目を引く。


 ショウジはいつでも動けるよう身構えながら、努めて平静な声音で問いかける。


「あんたは……? それに、なぜ俺の名前を――――」

「名前だけじゃないさ」

「どういう意味だ?」

「ショウジ・ブラックウェル。七月一日生まれ。十四歳。身長一六六センチ、体重五三キロ。出身はハトウシャ星系カルケミシュΓ。最終学歴は官立航宙技術スクール中退。父親は元海軍提督ユージーン・ブラックウェル、母親はミヤコ・バーバラ・イザワ。兄弟は姉ナオミと妹リタ。市民登録番号は……」


 なおも続けようとする男に、ショウジは「やめろ」とありったけの大声を張り上げる。


「あんたは何者なんだ。どうして俺の家族のことまで知っている!?」

「せっかちだな、君は。そう焦らなくても教えてやるさ。……フレーシャ、彼の持ち物を返してやれ」


 男が軽くあごをしゃくると、自走カートが部屋に駆け込んできた。

 カートの天面に据えつけられた金属製のトレーには、ここに搬入されたときに脱がされたらしいショウジの衣服と所持品が整然と並べられている。

 ジュリエッタから託された陽電子クーロンブラスターがどこにも見当たらないことに気づいて、ショウジの顔からさっと血の気が引いた。

 男はショウジの動揺を察してか、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「悪いが、銃は預からせてもらった。……そんな眼で見るなよ。べつに盗んだわけじゃない。ただ、狭いところでぶっ放されては困るんでな」

「……」

「心配しなくても、返してやるよ」


 なおも怪訝そうな面持ちで見つめるショウジに、男はあくまで飄然と答える。


「着替えが済んだら俺と来い。訊きたいことが山ほどあるんだろう?」


***


 薄暗い通路に二人分の足音がこだました。


 ショウジは唇を結んだまま、前を行く男の背中をじっと見つめている。

 男に言われるまま部屋を後にしてから、いったいどれくらいの時間が流れたのだろう。

 まだほんの数分しか経っていないような気もするし、もう小一時間はこうして歩きつづけているような気もする。

 現在の時刻を知ろうにも、手持ちの時計はでたらめな数字を表示するばかりだった。中性子星から放たれる強力な宇宙放射線の影響下では、銀河標準時ギャラクシー・スタンダードとの同期もままならないのである。


 そもそも、男がどこに向かっているのかも定かではないのだ。

 部屋を出てまもなく、行き先を尋ねたショウジに、


――――そのうちわかる。


 それだけ言って、男はさっさと先へ進んでいったのだった。


 周囲の景色が一変したのはその直後だった。

 金属の壁と床がふいに途切れ、透きとおったガラス質が取って代わった。

 ガラスの外側は黒みがかった水に充たされている。通路そのものが巨大な水槽のなかを通るトンネルになっているらしい。


「これは――――」

「ただの水だ。ホウ素が混ざっているせいで妙な色をしているがな」

「水?」

「学校の授業で習わなかったか? 有害な中性子線を遮断するには、なんといっても大量の水がいちばん効果的だ。中性子と結びつきやすいホウ素が入っていればなおいい。もっとも、君くらいの年齢なら知らないのも無理はない」


 自嘲するように言って、男はガラスの壁をコツコツと叩いてみせる。


「水を利用した中性子遮蔽システムは強力だが、そのぶんコストも高くつく。宇宙じゅう探し回っても、現役で動いているのはここくらいだろう」

「なんなんだ、この場所は……?」

が見えるかい」


 男は不敵に笑うと、頭上を指さす。

 黒い水を透かしてうっすらと見えるのは、”流星と翼”をかたどった巨大なレリーフだ。

 それは海軍ネイビーの前身――――いまはもう存在しない航空宇宙軍エアロスペース・フォースのエンブレムにほかならなかった。


「現在の科学技術では光速を超えられないことは知っているな?」


 男は、なにかを言おうとしたショウジの機先を制するように問いかける。


「たしか、跳躍スキップ航法でも光速の八○パーセントが限度だったはず……」

「そのとおり。もうひとつ付け加えるなら、どんなに高性能な宇宙船でも、跳べる距離はせいぜい○・一光年がいいところだ。それ以上はエンジンと船体が持たないからな。もっと長い距離を移動したいなら、そのつど船を乗り換えるしか手はない。ここから太陽系内インナー・ユニバースまでの千光年を移動するだけで、途方もない手間と金がかかる」

「なにが言いたいんだ?」

跳躍スキップ航法はたしかに画期的な発明だが、広大な宇宙を自由に行き来できるような代物じゃない。そのことは、跳躍航法が実用化されてまもない三千年まえの人間も気づいていた。外宇宙アウター・ユニバースに点在する生存可能領域ハビタブル・ゾーンへの入植を進めるためには、数十年から数百年におよぶ遠大な計画が不可欠だった」


 ふっとため息をついて、男は航空宇宙軍のレリーフを見上げる。


「だが……もし、光速をはるかに超える速度で移動する手立てが存在するとしたらどうだ? 跳躍スキップとは比較にならないほど速く、短期間のうちに、人類は宇宙全域に種を広げることができる」

「……」

「いまから三千四百年まえ、木星の軌道上に存在する時空連続体のわずかなほころびを観測していたが偶然その手がかりを見つけた。質量はゼロでありながら、無限にちかい情報量を有する未知の素粒子だ。それを媒介として情報を送受信すれば、たとえ何億光年はなれた場所だろうと、一瞬のうちに移動することができる」

「信じられない話だ。もしほんとうにそんな技術があるのなら、とっくに実用化されているだろう」

「話はまだ終わっていない。……当然、彼らの理論は猛烈な批判にさらされた。デジタル・データだけでなく、現実の質量をもつ物体の転送に成功しないかぎり、実用化にはほど遠いというわけだ。たとえば機械や動植物、そして生きている人間のような」

「まさか――――」


 おもわず後じさったショウジに、男は「そのさ」とこともなげに言いのけた。


「生命をかけて自分たちの仮説を実証しようとした男女は、実験における最初で最後の犠牲者になった。やがて航空宇宙軍の解散とともにプロジェクトの存在そのものが資料から抹消され、彼らが発見した理論も忘れ去られていった。……実験がしていたとも知らずに」

「半分?」

「結果が判ったのは実験から千三百年後だ。そして、遺棄された受信装置が再生したのは、男ひとりだけだった。女も死んだわけじゃない。なんらかの原因で彼女を構成していた情報が宇宙に散逸し、人の姿を取れなくなっただけだ。散り散りになった彼女のかけらを探すために、男は自分自身をもういちど情報化した。永い月日をかけてかぞえきれないほどの再生と複製と死を繰り返し繰り返し、男はようやく彼女の再生に必要なだけの情報を回収した。……


 男の声がふいに鉄の冷たさを帯びた。

 とっさに陽電子ブラスターを抜こうとしたショウジの指は、しかし、むなしく空を掻くだけだった。

 そんなショウジにむかって、男はポケットから取り出した一枚の写真を突きつける。


「男の名はエドワード――――そして、女の名はジュリエッタ。彼らのことは君もよく知っているはずだ、ショウジ・ブラックウェル」


 ショウジは声にならない声を洩らすと、その場にへたりこむ。

 古ぼけた写真に並んで映るのは、仲睦まじげに腕を組んだ一組の男女だ。


 見紛うはずもない。

 女はキャプテン・ジュリエッタ。

 そして男は、あの日、ショウジの家族を殺した男と寸分たがわぬ顔で微笑んでいた。

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