第五話:蠍座の娘

 市街地の入り口ちかくのビル街で、ジュリエッタとショウジはエアムーバーを降りた。

 無人の荒野とは打って変わって、一帯には人の気配が濃い。

 ざっと目につくのは、貧相な身なりの子供と老人、そして中毒者ジャンキーといったところだが、四方八方から降りそそぐ矢のようなするどい視線は錯覚ではない。

 いまにも崩れそうな廃ビルや、がらんどうのショーウインドウの奥に潜んだ監視者たちは、けっして姿を見せることなく、よそ者の一挙一動を注意深く凝視しているのだ。


「キャプテン、ほんとうにこんな場所に停めておいていいのか?」


 エアムーバーを無造作に放置したまま歩きだしたジュリエッタに、ショウジはいぶかしげに問いかける。

 

「放っておきなさい。……この街では、どこに停めてもすぐに盗まれるもの。帰りのアシは別に確保してあるから、心配はいらないわ」


 ジュリエッタはこともなげに言って、エアムーバーの起動キーをひょいと背後に放り捨てる。

 ショウジはあわてて目で追いかけるが、しかし、すぐ近くに落ちたはずのキーはどこにも見当たらなかった。

 何者かが一瞬のうちに掠め取ったのだ。なんの音も聞こえなかったところから察するに、どうやら地面に触れるより疾くを済ませたらしい。

 盗人のおそるべき早業に戦慄しながら、ショウジは自分の持ち物をたしかめるように上着の内ポケットを探る。

 指先に冷たく硬いものが触れたとたん、少年の顔からさっと血の気が引いた。

 

「あ……俺、銃を預かったままで……」

「それはあなたが持っていなさい、ショウジ」

「でも、キャプテン!」

「丸腰でこの街を歩くのは『殺してくれ』と言っているのとおなじよ。もしトラブルに巻き込まれても、陽電子クーロンブラスターを見せれば大抵の相手は一目散に逃げ出すわ。皮肉だけど、ここでは武器を持っていたほうが余計な血を見ずに済む――――」


 ジュリエッタの言葉に、ショウジは無言で肯んずるしかなかった。

 思い返せば、故郷カルケミシュΓでも、治安の悪い地域に赴く大人たちはかならず武器を携帯していた。

 あれは誰かを撃つためではなく、にそうしていたのだ。

 どんな悪人も生命は惜しい。自分が殺されるリスクを冒してまで、恐喝や盗みといったチンケな犯罪を働くのは、よほどの愚か者だけだ。

 なにより、強力な武器は体格や人数といった力の差をおぎなってくれる。

 全銀河でも指折りの犯罪多発地帯である”宇宙海賊の聖域パイレーツ・アサイラム”において、陽電子ブラスターは少年の頼もしい相棒になってくれるはずだった。


 足早に進んでいくジュリエッタに置いていかれまいと、ショウジは必死でその背に追いすがる。

 気づけば、二人はビルとビルのあいだの細い路地に入り込んでいた。

 あたりは暗く、足元は得体のしれない液体でぬかるんでいる。ときおり甲高い鳴き声をあげて駆け抜けていくのは、ネズミともウサギともつかない奇妙な小動物だ。

 ひとりでは足を踏み入れることさえためらうようなおぞましい場所でも、不思議とショウジの心に恐れはない。

 少年にとってなにより恐ろしいのは、灰金色アッシュゴールドの長い髪がふいに目交まなかいから消えてしまうことだった。

 

 しばらく進むと、行く手にちいさな光が見えた。

 耳をすませば、どこからか楽器や人の声のような音も聞こえてくる。

 ようやく狭隘な路地を抜け出たショウジは、おもわず驚嘆の声を洩らした。

 ジュリエッタとショウジの眼前に広がっているのは、いままでとは打って変わってひろびろとした空間だった。

 ゆうに千を超えるだろう露店がところせましと天幕を連ね、そのあいだに張り巡らされた道路には、大勢の人々がせわしなく行き交っている。


「キャプテン、ここは――――」

「エルトギャウの市場バザール。こういう場所はほかにもいくつかあるけど、ここはかなり小さいほう。目的の場所はこのさきにあるわ」

「これで小さいほう……!?」


 目を丸くするショウジをよそに、ジュリエッタはさっさと雑踏のなかに飛び込んでいる。


 人波をかき分けるように進みながら、ショウジはちらと店頭の品々をみやる。

 あらゆる種類の武器と弾薬、いつの時代のものともしれない色あせた骨董品、鈴生りに吊り下げられた麻薬や興奮剤の保存パック、一糸まとわぬ姿で冷凍冬眠コールドスリープカプセルに閉じ込められた男女の奴隷たち……。

 多種多様な商品のほとんど――あるいはすべて――が盗品や贋物コピーであることはあきらかだった。

 他の星系では所持しているだけで厳罰に処されるような禁制品も、ここでは当たり前のように売り買いされている。


 いまは自由に歩き回っていられるが、気を抜けばいつ自分が商品の側に回るか知れない。

 ジュリエッタに迷惑をかけないためにも、軽はずみな行動は慎まなければ――――。


「てめェ、このクソアマ、ブチ殺されてェのかッ」


 前方で怒声が響きわたったのはそのときだった。

 ジュリエッタにやや遅れて、ショウジもすばやくその方向に顔を向ける。

 距離にしておよそ十メートルほど。ほんのすこしまえまで群衆に埋め尽くされていた広場の一角には、ぽっかりと円形の空き地が生まれている。

 その中心で対峙するのは、ゆうに身長二メートル半はある色黒の大男と、小柄な黒髪の娘だ。


 娘の年の頃はまだ十七、八歳といったところ。

 少女のあどけなさを残した端正な面立ちは、じゅうぶん美人の部類にはいる。

 みるからに気の強そうな唇と、わずかに覗くするどい八重歯は、どこか肉食動物めいた雰囲気を醸し出している


 男は娘のまえに進み出ると、火を吐くようにがなりたてる。


「せっかくまとまりかけた商談をブチ壊しやがって、どういう了見してやがるッ」

「ケチとは人聞きが悪うおまんな。は”紐つき”の品物ブツを持ち込まれるのは困る言うただけやさかいに」

「なにィ」


 娘は怯えるそぶりも見せず、白くほそい指先を男にむける。

 整った爪が指し示すのは、男ではなく、傍らの露店に置かれた一丁の銃だ。

 

「そこの銃、系外海軍アウター・ネイビーに配備されたばかりの狙撃用レーザーライフルでっしゃろ」

「だからどうした!? 輸送船から分捕った未使用品だぜ。なにか文句でもあんのか」

「なんや、ほんとうになんも知らんかったの。うちはてっきり海軍ネイビーの回し者やとばかり思ったけど、みかけによらず初心ウブなお人……」


 黒髪の娘は男の横をすりぬけると、身の丈ほどもある無骨な狙撃用レーザーライフルをひょいと持ち上げる。

 銃口マズルから機関部レシーバーまで右手をつつと這わせた次の刹那、レーザーライフルは跡形もなく消滅した。

 からからと乾いた音を立てて部品が散乱したのと、群衆から「おお」「さすがお嬢」と喝采が上がったのは、ほとんど同時だ。

 いかなる術を用いたのか、娘はたったひと撫でで精密機械を分解してみせたのである。

 娘は散らばった部品のなかから銃床ストックの基部を拾い上げると、その断面から極薄の集積回路をえぐりだす。


「見てみぃ、銃床ストック内部なかに埋め込まれとった発振器や。こいつは最寄りの鎮守府に量子信号シグナルを送るように出来とる。いい気ンなって盗み出したマヌケの足跡は、ぜーんぶ海軍に筒抜けというわけや」

「そ、そんなバカな……発振器がありそうな場所はすみずみまで調べたはず……」

「海軍かてアホの集まりやない。銃の製造ロットが変わるたびに埋め込む位置も変えるし、発振器自体も見つからんよう改良しとる。このくらいは銃火器てっぽうを扱う商人あきんどの常識やないの――――」


 黒髪の娘はわざとらしくため息をつくと、男の足の甲をぐりぐりと踏みにじった。

 ハイヒールの踵がめりこむ激痛にもだえる男に、娘はあくまで冷酷に告げる。


「ほれ、わかったなら鉄クズ抱えてはようねや。もちろんショバ代は一銭たりとも返さんし、売り上げは迷惑料として全額徴収させてもらう。素人トーシロにはええ勉強代やろ」


 男がほうほうの体で逃げ出したあと、娘はひと仕事終えたといったふうに肩を回す。

 拍手を送る群衆をけだるげに見回しつつ、「見せもんちゃうで。ほれ散った散った」と言いかけたとき、娘の顔がぱっと明るくなった。


「ジュリエッタねえっ――――」


 黒髪の娘は猫みたいにジャンプすると、ジュリエッタの胸元に飛び込む。


「あーん、久しぶりやなあ。そこにおったなら声かけてくれればよかったのに。いけずう」

「わざとだまってたわけじゃない。あなたのお仕事を邪魔したら悪いと思って」

「あんなん仕事なんて大層なもんとちゃう。暇だからアホを見つけて遊んどっただけや。ところで、ずいぶん着くのが遅かったみたいやけど、まさか道中でなんか……?」


 ジュリエッタがなにかを言うまえに、娘はぎろりとショウジをにらみつける。


「ところでジュリエッタ姉、なんやの? さっきからまとわりついとるこの田舎くさい小僧っ子は?」

「えと……俺、ショウジ・ブラックウェルといいます。わけあってキャプテンの艦に乗ることになって――――」

「ふうん?」


 黒髪の娘は値踏みするみたいにショウジを眺めたあと、不敵な笑みを浮かべて一礼する。


「うち……あいや、私はルベル。ルベル・スコルピオーネ。この惑星エルトギャウを取り仕切る宇宙海賊スコルピオーネ一家ファミリアの末娘。以後よろしゅう、ショウジさん――――」

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