第六話:ドン・スコルピオーネ

 頭上から差し込む陽光が広間をあわく染めた。

 天窓には聖母子像をかたどったステンドグラスがはめこまれ、床に極彩色の影を落とす。

 いにしえの大聖堂もかくやという荘厳な雰囲気は、しかし、この場所の性格にはおよそ似つかわしくないものだ。

 十字架のかわりに壁面に掲げられているのは、”紫色の蠍ヴィオラ・スコルピオーネ”の家紋エンブレム

 惑星エルトギャウを統べる宇宙海賊スコルピオーネ一家ファミリアの総本部であった。


 ジュリエッタとショウジは、広間の中央に置かれた長椅子ソファにならんで腰掛けている。

 大理石のテーブルのうえで白い湯気をくゆらせるのは、繊細な絵付けがされた白磁器ボーンチャイナのコーヒーカップだ。

 ショウジは落ち着かない様子でそわそわとあたりと見回すと、おそるおそるカップを口に運ぶ。

 おもわずむせてしまうほどの鮮烈な苦味と酸味。本物のコーヒーの証だった。

 コーヒーはまだ熱い。二人がこの部屋に通されてからそれほど経っていないためだ。

 と、重々しい音を立てて出入り口が開いたのはそのときだった。

 

「ごめんなぁ。すっかりおまたせしてしもうて――――」


 身のこなしもかろやかに現れたのは、ルベル・スコルピオーネだ。

 つややかな黒髪をていねいに編み込み、天然絹シルクのワンピース・ドレスをまとった淑やかな佇まいは、先ほどのお転婆娘とは別人のよう。

 それも道理だった。この惑星の支配者一族につらなる彼女は、まさしくエルトギャウの姫なのだ。


「ジュリエッタねえはこっちへ。大親分ドンがお待ちや」


 自分はどうしたものかと逡巡するショウジをじろりと半目で睨んだルベルは、耳元に顔を近づけてささやく。――――可憐な令嬢とはおもえないドスの利いた声で。

 

「ワレ、コラ、なにボサっとしとんねん。下っ端のくせにキャプテンひとりで行かせるつもりかいな」

「そんなつもりじゃない!!」

「ほんなら、武器はここで預からしてもらおか。いくらジュリエッタ姉の子分いうても、大親分ドンの御前では丸腰が礼儀やさかいにな。ホレ、はよ」


 言われるまま、ショウジは懐から陽電子クーロンブラスターを取り出すと、銃把グリップのほうをルベルに向ける。

 ルベルは無骨なブラスターを矯めつ眇めつしたあと、感心したようにふっと息を吐いた。

 

「ノイ・アーヴェン社製の対装甲ブラスター。系内海軍インナーネイビーの特殊部隊にしか配備されなかった高級品や。メーカーが倒産したせいで生産数はたった三◯◯丁ぽっち。どこで拾ったかしらんけど、小僧っ子の身の丈にあわない銃器テッポウ持っとるやないの」

「キャプテンが貸してくれたんだ。この街にいるあいだは持っていろって」

「なんっ……!?」


 絶句したあと、ルベルは自分自身を落ち着かせるように咳払いをひとつ。


「とにかく、この銃はうちが預かっておく。暴発でもさせたらおおごとやさかいに」

「さっきの狙撃銃みたいに分解したりしない……よな?」

「ドアホ。あんたの私物ならともかく、ジュリエッタ姉から借りたもんにそないな真似ようせえへんわ。ええか、姉御はうちのなぁ……」


 ふいに肩を叩かれて、ルベルははっと我に返った。

 振り向けば、ジュリエッタが「はやく案内してくれ」と言いたげに入り口を指差している。

 バツが悪そうに引きつった笑顔を作ったルベルは、二人を先導するようにさっさと歩きだしていた。

 

***


 そこは窓のない部屋だった。

 壁も天井も白一色に塗り込められ、どこが境目かも判然としない。

 空間は実際よりも広く、あるいは狭く見える。

 床は上り坂になっているようでもあり、奥に進むほど下がっていくようでもある。

 この部屋に足を踏み入れた者を混乱させるためのトリックだ。


 一瞬でも侵入者をたじろがせることができれば、枕の下に忍ばせた銃で心臓と脳を狙い撃つチャンスもある。

 もはやベッドの上から動けなくなった無法者アウトロウの、それはせめてもの闘志のあらわれだった。


「よく来てくれた、キャプテン・ジュリエッタ」


 生命維持装置とほとんど融合した老人は、ジュリエッタにむかってシワだらけの相好を崩す。

 スコルピオーネ一家ファミリアの頂点に君臨する大親分ドンアレッサンドロ・スコルピオーネ。

 一代で巨大犯罪組織を築き上げた裏社会の大立者にして、伝説の宇宙海賊のひとり。

 百十三歳をむかえた現在も、”宇宙海賊の聖域パイレーツ・アサイラム”の盟主として、全銀河に隠然たる影響力をもちつづけている。


大親分ドンも相変わらずで安心したわ」

「相変わらずか。たしかに起き上がれもせんが死にもせんわな」


 言って、ドン・スコルピオーネはひゅうひゅうと喉を鳴らす。

 

「ここにくる途中、刺客に襲われたそうだな」

「よくご存知ね」

「エルトギャウは俺の庭だ。寝転がっていても情報は入ってくるとも。それに、おまえさんがをぶち上げてくれたからな」

「あいにくだけど、やったのは私じゃない」


 ジュリエッタは緊張のあまり銅像みたいに固まっている少年を指さす。

 ショウジの存在にはじめて気づいたみたいに、ドン・スコルピオーネは首をほんのわずか傾ける。


「ああ、そういえば、俺が海賊になったのもあのくらいの歳だった――――」

「昔話は本題が済んでからにしましょう、大親分ドン

「かなわねえなあ……」


 まんざらでもなさそうに唇を歪ませたドン・スコルピオーネは、枯れ枝みたいな指を曲げてルベルをさしまねく。

 

「ルベル、あの映像を出しておくれ」

「はい、お父様――――いえ、大親分ドン


 ルベルは恭しく言って、ベッドの傍らに置かれたコンソールパネルを叩く。

 部屋が暗黒に包まれたのは次の瞬間だった。

 闇の奥に巨大な物体が浮かび上がった。

 系外海軍アウター・ネイビーの艦隊だ。

 戦艦を中心に、巡洋艦と駆逐艦それぞれ二隻ずつで構成された典型的な攻撃編成。

 立方体スクエア型に陣列を組んですすむ五隻の戦闘艦のむこうには、惑星エルトギャウがみえる。


「どういうこと? 大親分ドン

「見てのとおりだよ。神聖不可侵の”宇宙海賊の聖域パイレーツ・アサイラム”はもうない。海軍の連中、ちかごろは周回軌道上にまで平気で侵入するようになりやがった」

「縄張りを踏み荒らされて、あなたの部下たちがだまってはいないはず」

「笑ってくれ。俺としたことが、てめえの息子セガレどもに裏切られたのよ」


 自嘲するようなドン・スコルピオーネの言葉に、ルベルは顔をうつむかせる。

 裏切った息子とは、ルベルの二人の異母兄だ。腹違いのうえに祖父と孫ほども歳が離れているが、血のつながった兄妹であることにはかわりない。


「奴ら、海軍ネイビーから金をもらう見返りに、近海を通行してもこっちからは手を出さないという証文を渡しやがった。反対派を皆殺しにしてな。おまえさんを襲ったのもあいつらの手下だろう」


 ドン・スコルピオーネはにわかに語気を荒げる。

 枯れた樹皮のような皮膚に血管が浮かび、落ち窪んだ瞳が炯々とかがやく。


「バカどもめが。海軍が律儀に素通りするだけで済ませてくれるとでも思ってるのか。次は衛星軌道、その次は大気圏内、そして最後は海兵隊が直接乗り込んでくる。そうなれば、この星系の宇宙海賊はおしまいよ」


 立体映像はそこで途切れ、部屋にふたたび光がもどった。


「キャプテン・ジュリエッタ。わざわざあんたをエルトギャウまで呼んだ理由はほかでもない。海軍との戦いに助太刀してもらいたい」

「……」

「奴らの旗艦ガングレイは、系外海軍最強の艦のひとつだ。俺たちだけで戦っても勝ち目はない。あんたとアラドヴァルの助けがどうしても必要なんだ。もちろん謝礼はそっちの言い値で支払う」


 震える声で懇願するドン・スコルピオーネに、ジュリエッタはしずかに首肯する。


「……わかったわ」

「引き受けてくれるのか!?」

「私への謝礼は必要ない。私はよそ者だけど、海軍の目を気にしなくていいこの惑星ほしはけっこう気に入ってるの。アラドヴァルの整備ドックと物資を手配してくれれば、それで充分――――」

「しかし、それでは俺の面目が立たん」


 ジュリエッタはショウジを招き寄せる。


「そのかわり、この子の願いを聞いてあげてほしい」

「この小僧っ子の……?」

「彼は私の生命を救った。キャプテンとして、その功績に報いる義務がある」


 呆然と立ち尽くすショウジに、ドン・スコルピオーネはするどい視線を向ける。


「小僧、なにが望みだ。金か、地位か、女か、それとも自分のフネか。このスコルピオーネが宇宙で最高のものを用意してやるぞ」

「そのどれでもありません」

「なに?」

「俺は殺された家族の無念を晴らすためにキャプテンの艦に乗りました。敵を討つためには、太陽系内インナー・ユニバースに行く必要があるんです。もし願いを叶えてもらえるなら、どうか俺に太陽系内に行く方法を教えてください」


 一語一語、塊を吐くように言ったショウジに、ドン・スコルピオーネは「ふむ」と言ったきり黙り込んだ。

 やがて枯れきった老人の目に浮かんだのは、心底から愉快げな笑みだった。


「おもしろい小僧だ。よかろう――――もし仕事を成し遂げられたなら、おまえさんの願いはかならず叶えてやる」

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