第七話:海賊令嬢ルベルの決意
ふらつく足取りで
紺色の作業服には微細な斑点が浮かんでいる。無重力状態で吹き出た汗は、一箇所に固まることなく、スプレー状に衣服に吸着するのだ。
ショウジはポケットからオレンジ色のパウチを取り出し、ほとんど一息に飲み干す。
疲労軽減のために各種ビタミンやカフェインが配合された海軍の
舌に絡みついてなかなか消えない独特の甘みも、疲れた身体にはこれ以上ないほど美味く感じられた。
人心地がついたところで、ショウジは休憩室の窓際に移動する。
暗い宇宙にぽつねんと浮かんだ赤い星は、一日前に訪れたばかりの惑星エルトギャウだ。
視線を横に向ければ、全長三キロはあろうかという
外板がスライドするたび、あざやかな
海賊戦艦アラドヴァル。
各部のスラスターを折り畳んだその姿は、きたるべき戦いにそなえて羽を休める美しい猛禽をおもわせた。
あのあと――――。
ジュリエッタとショウジは、ドン・スコルピオーネが手配した
そして、時を置かずにスコルピオーネ・ファミリア所有の
船渠とはいうものの、その実態は資源採掘用の小惑星を改造したものだ。
ファミリアに所属するすべての海賊船は、星系外での仕事を終えたあと、いったんここで略奪した物品を下ろすことが義務付けられている。そして艦は修理と補給のためにドック入りし、次の出撃まで乗組員は
構成員による私的な横領をふせぎ、また修理という名目で艦を取り上げるシステムはなるほど合理的だが、独立不羈を旨とする宇宙海賊の気風とはおよそ相容れないものである。それでも部下たちが従容と従っているのは、ひとえにドン・スコルピオーネへの忠誠心ゆえだった。
ともかく、そうした事情もあってスコルピオーネ・ファミリアのドックは海軍にも引けを取らない規模と装備をもち、アラドヴァルのような高性能艦も十全のケアを受けることができる。
アラドヴァルの整備にかんして、技術者ではないショウジに出来ることはなにもない。
クロエは千機以上の作業用ドローンを完璧に制御し、船体の微細な傷や耐熱コーティングの剥がれを繕っていく。さらにはロボットアームを用いた破損パーツの交換、弾薬の補充といった作業も同時並行でやってのけたのである。
むろん、見習い水兵がなにもせずに暇をもてあましていられるはずはない。
ショウジに与えられたのは、人間にしかできない仕事――――艦内の棚やテーブル、もろもろの機材類の固定作業だった。
――――慣性制御システムが働いているうちは問題ありませんが、戦闘中はなにが起こるかわかりません。テーブルやイスが跳ね回って怪我をしたら大変ですし、艦内を傷だらけにされたら困りますでしょう?
おだやかなクロエの言葉には、有無を言わせない迫力が宿っていた。
ショウジはワイヤーと気密テープを手に艦内を駆けまわり、動くものを片っ端から固定していった。
すべての作業を終えたのは、それから十二時間後のこと。
――――初めてですし、今回はこれで合格としておきましょう。
クロエから「休んでよし」の命令を受けたショウジは、ドック内の
自室はワイヤーが縦横に走り、とても横になれる環境ではなかったのである。
疲れきった身体を引きずるように歩きながら、ショウジはふと思った。
艦内はすみずみまで見回ったつもりだが、キャプテンの部屋は、とうとうどこにあるのか分からずじまいだったのだ。
***
「なんや見習い小僧、辛気臭いツラしくさってからに――――」
ふいに背後から声をかけられて、ショウジはとっさに振り返った。
はたして、声の主はルベルだった。
紫色の作業ツナギを腰のあたりまで下ろし、あらわになった真白いインナーシャツがまぶしい。
汗で透けた素肌からとっさに目をそらしつつ、ショウジはどぎまぎと応じる。
「ルベル、さん――――」
「あー、ルベルでかまへん。あんたはうちの
ルベルはショウジの横に座ると、ツナギのポケットから注射針つきの
うなじのあたりに突き刺し、ふうとため息をつく。
「ルベル、それ……」
「言っとくけど、
「どこか悪いのか?」
おそるおそる問うたショウジに、ルベルはふっといたずらっぽい微笑みを浮かべてみせる。
「
「手と目?」
「あー……百聞は一見にしかず、やな」
言うが早いか、ルベルはショウジにずいと顔を近づける。
息が触れそうな距離での接近にたじろぐショウジをよそに、ルベルは目頭を軽く押し込む。
左右の瞳孔が音もなく開いたのは次の瞬間だった。
重なり合った透明なレンズは、時計回りに回転しつつ、焦点を探るように拡大と縮小を繰り返す。
「眼ェは両方とも義眼、そんでもって両手も肘から先は義手や。腹ン中にもぎょうさん
からからと笑って、ルベルは窓の外――――ドックに停泊中のアラドヴァルに視線をむける。
「うちな、
「まさか……」
「もちろんお父様は無視した。たかが愛人とその娘の命かわいさに、どこの馬の骨ともしらんチンピラの要求を呑んだら、天下のスコルピオーネ
「そんな状況でどうやって脱出を?」
「殺される寸前、ジュリエッタ
あくまで明るく言ったあと、ルベルはふと顔をうつむかせた。
「今度の戦いにジュリエッタ姉が加勢してくれて、うちはほんとにうれしかった。言うても、めちゃくちゃ苦しいのには変わりないけどな」
「そんなに分が悪い戦いなのか」
「お父様が本気で号令かければ、海賊船の百隻や二百隻は集められる。せやけど、今度の戦いはしょせんスコルピオーネ
ルベルの声が沈鬱な響きをおびた。
ただでさえ戦力的に不利なうえに、敵の旗艦はガングレイ級戦艦なのだ。
全火力を投射すれば単艦で惑星を焦土にすることもできるという噂は、あながち誇張とも言い切れまい。
並外れた性能をもつアラドヴァルでも、真正面からの撃ち合いでは万に一つも勝算はないだろう。
「たとえ勝ち目のうすい戦いでも、今回だけは逃げるわけにはいかん。たとえ死んでもやらなあかんのや」
「”
「もちろんそれもあるけどな。うちにとって一番の理由は、
ルベルは機械の拳を握りしめる。
白い喉につうと引かれた朱の線は、強く噛み締めた唇から流れたものだ。
自分自身をなだめるように深く息を吸い込んだあと、少女は忌むべき男たちの名を口にする。
「長兄ベネデットと次兄ジョルジオ。
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