第十三話:星屑の記憶

 けたたましい警報音アラーム内火艇ランチのコクピットを領した。

 ジュリエッタは着座と同時に索敵システムを起動。立体映像とレーダーが一体となった統合情報マルチ・インフォメーションディスプレイにすばやく視線を移す。


「あのときのフネ……」


 ひとりごちるや、女海賊の端正なかんばせにたちまち緊張の色が浮かんだ。

 ただ一隻でアラドヴァルを追撃し、超短距離の跳躍スキップという常識外の奇策を繰り出してきた異形の三胴艦トリマラン

 改アラドヴァル級戦艦”ヒルディブランド”――――。

 ジュリエッタにとっては忘れられるはずもない。宇宙海賊として旗揚げしてから今日まで、彼女とアラドヴァルに黒星をつけた唯一の相手なのだ。


(万事休す……と言ったところかしらね)


 アラドヴァルとの戦闘で甚大なダメージをこうむり、いまや艦体の大部分を喪失したヒルディブランドだが、その戦闘力はなお侮りがたい。

 砲塔の一門、ミサイル発射管のひとつでも機能しているなら、内火艇ランチを沈める程度は造作もないのだ。

 ひるがえって内火艇の側はといえば、瀕死のヒルディブランドにとどめを刺すどころか、逃げることさえままならない。

 戦うにせよ逃げるにせよ、ジュリエッタとショウジが無事に生き残る可能性はかぎりなくゼロにちかい。

 あるいは、のことだ。実験体サンプルとして価値のあるジュリエッタは生命までは奪われないとしても、ショウジは確実に殺されるだろう。


 ディスプレイを睨めつけながら、ジュリエッタは唇を噛む。

 たったひとりで危険な敵地に突入し、満身創痍となりながらも自分を目覚めさせてくれた少年。

 その彼をみすみす死なせることだけは、ぜったいに避けねばならない。

 たとえ自分自身を生贄に差し出すことになったとしても、あの子ショウジだけは守らなければ――――。


「ヒルディブランド艦長の一○○八オクトエイトより前方の内火艇ランチへ。この声が聞こえているなら返事をしろ」


 通信機から錆びた男の声が流れたのはそのときだった。

 ジュリエッタは最大限の警戒を払いつつ、応答スイッチに指を這わせる。


「ええ。聞こえているわ」

「その声はジュリエッタか。あの小僧っ子はどうした?」

「彼はここにはいない」

「その口ぶりだと、まだ死んではいないようだな――――」


 ジュリエッタはいぶかしげに眉根を寄せる。

 一○○八オクトエイトの言葉には、毫ほどの嘲笑や軽蔑も感じられない。

 それどころか、低く錆びた声は、まるで父親が子を気遣うような響きさえ帯びていた。


「あなた……一○○八オクトエイトと言ったわね。目的は私の身柄なのでしょう」

「たしかに、からはそのように仰せつかっている」

「ショウジは関係ない。彼を安全な場所まで逃がしてくれると約束するなら、私はあなたの指示に従うわ」


 わずかな沈黙のあと、一○○八オクトエイトは重い溜息を吐いた。


「あいにくだが、それはできん相談だ――――」


 一○○八オクトエイトの言葉に合わせて、ヒルディブランドの生き残った砲塔がぎこちなく旋回する。

 いずれもひどく破損し、おそらく正常に機能している砲塔は一基もないだろう。

 それでも、戦艦級のガンマ線投射砲バースターは、内火艇ランチを消滅させるには充分すぎるほどの威力をもつ。


「悪く思わんでくれ。……これが俺の答えだ」


 刹那、一瞬の閃光とともに不可視のガンマ線ビームがほとばしった。

 内火艇ランチの両舷すれすれを掠めて飛んだエネルギーの奔流は、ずっと後方ですさまじい爆発を引き起こした。

 超高出力のガンマ線は、”ヴォルスング”の斥力フィールドを突き破り、艦に致命的なダメージを与えたのだ。

 誤射ではない。一○○八オクトエイトは、内火艇ランチと同一軸線上に浮かぶヴォルスングに狙点をあわせ、全火力を叩きつけたのだ。

 はたして、白いアラドヴァルは至るところから爆炎を噴き上げ、安定スタビリティを喪った艦は無軌道な回転運動に入りつつある。


一○○八オクトエイト、なぜ……?」

「キャプテン・ジュリエッタ。かつて俺たちは恋人同士だった。数えきれないほどキスをして、抱きしめあった。何度も同じベッドで目覚めた。死ぬときはきっと二人でと誓いあった。……だが、それは。もちろん、でもない」

「……」

「俺たちはオリジナル・エドワードの完全な情報体を引き継いでいる。生まれながらに呪いをかけられているようなものだ。だが、君はちがう。記憶の呪縛から解き放たれた君は、俺たちの知るジュリエッタとは別の存在だ。誰を愛し、どんなふうに生きて死ぬのも、すべては君が決めることだ」


 一○○八オクトエイトは、一語一語、血を吐くように言葉を継いでいく。

 肉体はすでに限界を迎えようとしている。話すほどに死を近づけることは承知のうえで、一○○八オクトエイトはなおも続ける。


「過去のしがらみに囚われず、自由に生きろ、ジュリエッタ。それが俺の最後のねがい……」


 ジュリエッタは答えず、ヘーゼルグリーンの瞳を俯かせたまま立ち尽くしている。

 やがて、震える唇の合間から、哀しい歌のように言葉が流れはじめた。 


一○○八オクトエイト。私はあなたのことを知らない。ジュリエッタだったころの記憶もない。

 だけど、これだけはわかる。――――は、心からあなたのことを愛していた。……さよなら、


 我知らず涙をあふれさせたジュリエッタに、一○○八オクトエイトはいっしゅん驚いたような表情を浮かべたあと、満足げに首肯する。


「そろそろお別れの時間だ。ショウジ・ブラックウェルには、フレーシャをよろしくたのむと伝えておいてくれ」

「どこへ行くつもりなの?」

「決まっている。……さ」


 ヒルディブランドは残存するすべての推進器スラスターを作動させ、全速力で内火艇ランチを離れていく。

 針路上には、爆炎をまとったまま奇妙な踊りを演じるヴォルスング。

 そして、そのさらに彼方では、中性子星パルサーゲミヌスΣシグマドライが、恐ろしく妖しげな煌めきを放っている。

 ヴォルスングに激突したヒルディブランドは、二隻もつれあうようにして、中性子星の超重力に吸い寄せられていく。


 二人のエドワードが中性子星に呑み込まれるその瞬間まで、ジュリエッタは身じろぎもせず、涙でかすむ目でディスプレイを見つめていた。


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