エピローグ:少年と女海賊

「……っ」


 ショウジはもうろうとする意識のなかで薄目を開け、すぐに閉じた。

 まだ夢のなかにいるのだと思ったのも無理はない。


 周囲は淡い色の透きとおった紗幕ヴェールに包まれている。

 あたたかく、そして、やわらかなぬくもり。

 滔々とあふれでる湯に浸かっているような、あるいは陽光をいっぱいに吸い込んだ干し草のベッドのような心地よさ。

 痛みも苦痛もない安楽な世界とは、まさにこのことだろう。

 出来うることなら、この場所でいつまでも安らいでいたい……。 


「ショウジ・ブラックウェルの意識レベル上昇を確認。――――これより強制覚醒シーケンスを開始します」


 ふいに頭のなかで声が響いた。

 ショウジが現実へと引き戻されたのは、それから数秒と経たないうちだった。


 気づけば、ショウジは一糸まとわぬ姿で奇妙な空間に横たわっていた。

 周囲は白い金属壁に囲まれている。

 人ひとりがようやく身を横たえることができる程度の狭隘なスペースであった。

 覗き穴とおぼしい横長のスリットは黒一色に塗りつぶされ、外部の様子は杳としてうかがえない。

 どうやら縦長のカプセルに閉じ込められているらしい。

 もっとも、中に入っている者にしてみれば、棺桶コフィンと表現したほうがよほど適切かもしれないが。


 ふと手足を動かそうとこころみて、ショウジは声にならない悲鳴を洩らした。

 身体じゅうの傷口という傷口が一斉に激痛を発したのだ。

 それにもかかわらず、みずからの意思では指の一本も動かせないのは、いったいどうなっているのか。


「安静にしていなさい。治療のために首から下の神経系を一時的に遮断ブロックしています。無理に動こうとすると痛みますよ」


 聞き慣れた声がショウジの耳を打った。


「クロエ⁉︎」

「はい。目覚めてくれてなによりです、ショウジ」

「でも、アラドヴァルはさっきの戦いで……」

「失敬な。ほかの艦ならいざしらず、戦艦がそう簡単には沈んでたまりますか。いまは電力供給の関係で三次元立体映像ホログラフィは使えませんが、私もも、本艦の中枢システム系はすべて無事です」


 クロエが言い終わるが早いか、


ではなくフレーシャです。システムの整合性の面からも、名称は正確にねがいます」


 やはり姿は見えないが、それはたしかにフレーシャの声だった。

 ショウジははっとしたように顔をうつむかせる。


「フレーシャ、一○○八オクトエイトは……」

「承知しています。”ヒルディブランド”は”ヴォルスング”とともに中性子星クエーサーの重力によって圧潰。司令官アドミラルは死亡しました」

「すまない……俺たちは、あの人に助けられたようなものなのに……」

「謝罪の必要はありません。司令官アドミラルの行動は彼自身の判断に基づいて実施されました。したがって、あなたに一切の責任はありません――――新たな司令官ノイ・アドミラル

「ノイ……なんだって?」

一○○八オクトエイトより、今後はショウジ・ブラックウェルを補佐するようにとの命令を受けています。なお、発令者の死亡により、命令内容の変更および取消は不可能になりました」


 あいかわらず抑揚に乏しい声で滔々と述べたフレーシャに、ショウジはあっけにとられたみたいに口をぱくぱくさせるのがせいいっぱいだった。

 やはり声だけのクロエは、わざとらしくため息をついてみせる。


「ようするに、手のかかる新人がもうひとり増えたということです。アラドヴァルのメインターミナルが無傷で、容量ストレージにもまだまだ余裕があるからよかったようなものの……」

「訂正を希望します。火器制御FCSとダメージコントロール能力では私のほうが優れています。具体的には――――」

「まずは先任への口の利き方を教える必要がありそうですね」


 クロエが呆れたように言ったのと、気密扉エアロックが開く音が聞こえたのは同時だった。


「と、私たちは艦の運行に専念しなければなりませんので。新参者、あなたもですよ」


 クロエとフレーシャの声はそれきり途絶え、近づいてくる足音だけが響く。

 覗き窓が黒から透明へと変わり、ガラス越しにジュリエッタの端正な顔が浮かび上がったのは次の瞬間だ。


「気分はどう? ショウジ」

「キャプテン、俺、あのあとどうなって――――」

「身体のことなら心配いらないわ。あなたが気を失っているあいだにひと通りの処置は済ませてある。ちぎれた耳はあとで腕のいい整形医を紹介するから、しばらく我慢してちょうだい」

「ありがとう、キャプテン」

「お礼を言うのは私のほう。あなたが来てくれなかったら、こうしてアラドヴァルに戻ってくることも出来なかったんだから」


 言って、ジュリエッタはふっと笑う。

 冷静沈着な女海賊が他人に見せる、それははじめての表情だった。


「ところでキャプテン、俺、どうしてこの内部なかに……」

「どうにか撃沈は避けられたけど、アラドヴァルはだいぶ手ひどくやられたわ。居住ブロックと艦内インフラ関係はほとんど全滅。水と食料はもって三、四日分。酸素残量はせいぜい一週間が限度でしょうね。跳躍スキップ航法が使えない状態で最寄りの有人惑星に着くまでには、最低でも五○○日はかかる……」

「キャプテン、それって――――」

、生身の私たちはまず助からないということ」


 ジュリエッタはきっぱりと言い切る。

 絶望的な状況を告げたはずの声には、しかし、さほどの切迫感は感じられない。


「私たちが五○○日の航海を生き延びるためには、そのあいだ肉体の機能を止めるしかない」

冷凍冬眠コールドスリープ……」

「そう。もともとアラドヴァルには冷凍冬眠装置つきの脱出ポッドがいくつか搭載されていたけれど、無事だったのは一基だけ。いまあなたが入っているのがそれよ、ショウジ」


 ジュリエッタの言葉を理解したとたん、ショウジは反射的に叫んでいた。


「俺のことはいい。キャプテンがこのポッドを使ってくれ!! キャプテンの生命と引き換えに助かるくらいなら、俺が死んだほうが――――」


 必死に訴えるショウジに、ジュリエッタはゆるゆると首を横にふる。


「ショウジ、早とちりしないで。私は死ぬつもりはないわ」

「え?」


 ジュリエッタは船内着のジッパーに指をかけると、躊躇なく引き下ろす。

 かすかな衣擦れの音とともに、ゆたかな乳房と、成熟した女にふさわしいやわらかな曲線をえがく腰回りがあらわになる。

 初めて正視する女性の裸体に、ショウジは悲鳴とも感嘆ともつかない声を洩らしていた。


「冷凍冬眠ポッドには非常用モードがある。それを使えば、冬眠の持続期間が半減するかわりに、二人まで同時に収容することができる」

「そ……それって、つまり、俺とキャプテンがおなじポッドに……」

「理解が早くて助かるわ」


 言い終わるが早いか、ジュリエッタはポッドの開閉スイッチに手を伸ばす。

 かすかな動作音を響かせて、二人を隔てていた金属の壁が跳ね上がる。

 ショウジがなにかを言うまえに、ジュリエッタは白い裸体をポッド内にすべりこませていた。


「もうすこし身体をくっつけて。ハッチが閉まらない――――」


 ジュリエッタは身動きの取れないショウジを抱き寄せる。

 ちょうど胸から下腹にかけてが隙間なく密着する格好になった。

 生まれてはじめて触れる柔肌の感触に、少年の心臓は早鐘のような鼓動を打っている。

 自分の意志では首から下を動かせないことに内心で安堵しつつ、ショウジはちらとジュリエッタを見やる。

 

「あの、キャプテン。ひとつ訊いてもいいかな」

「なに? すぐに冷凍システムが作動するから、話があるなら手短にね」

「いえ……俺があのとき言ったこと、聞こえてたのかなって。自分でもおかしなこと口走ってしまって、その……」


 ジュリエッタはふっと微笑むと、ショウジの頬をいとおしげに撫ぜる。


「”好きだ。ずっとそばにいたい”――――って言ったこと?」

「忘れてくれ!! 俺、キャプテンにそんなこと言えるような立場じゃないのに、あのときは頭のなかがぐちゃぐちゃになってて……」

「つまり、あの言葉はあなたの本心じゃなかったと?」

「それは――――」


 ややもすれば意地の悪いジュリエッタの問いかけに、ショウジはそれきり言いよどむ。

 二人のあいだを鉛のような沈黙が埋めていく。

 やがて、ショウジは意を決したように、訥々と言葉を紡ぎはじめた。


「……あれは俺のほんとうの気持ちです。もう最後かもしれないと思ったら、どうしても伝えずにはいられなかった。ショウジ・ブラックウェルは、キャプテンのことを心から愛しています」


 ふいにジュリエッタの白い腕がショウジの背中に回った。

 驚きの声を上げるよりはやく、少年の唇は一方的に奪い去られていた。

 白い霜が降りはじめたカプセルのなかで、熱い吐息が触れ合う。

 一瞬とも永遠とも感じられる甘美な時間とき

 その終わりが訪れたのと、ショウジが絞り出すように息を洩らしたのは同時だった。

  

「キャプテン……!?」

「ありがとう、ショウジ。その気持ちは大切に取っておく。私からの返事は、あなたがもうすこし大人になってから、ね」

「約束ですよ。返事を聞かせてくれるまで、俺、何年だって待ちますから。もしまたあいつエドワードがキャプテンを狙ってきても、ぜったいに渡したりしない」

「頼りにしてるわ」


 そうするあいだに、冷凍冬眠コールドスリープ機能が本格的に動きはじめたらしい。

 カプセル内に冷気が充満し、ショウジとジュリエッタの肉体は急速に熱を失っていく。

 いったん仮死状態に導かれた人間は、もはや食事も水も必要としない。最低限の酸素が供給されているかぎり、昏々と眠りつづけるのである。

 意識が深い眠りの淵に沈んでいくなかで、ショウジは我知らずにジュリエッタの手を握っていた。

 赤ん坊が母親の手を握りしめるようなその動作に、ジュリエッタはいとおしげに目を細める。


「心配しなくても、私はずっとそばにいる――――おやすみなさい、ショウジ」


 カプセルが甲高いブザー音を発したのは、それから数秒と経たないうちだった。

 冷凍冬眠コールドスリープモードに入ったのだ。

 聴く者とていないブザー音が熄むと、酸素供給が停止したアラドヴァルの艦内は、文字どおり無音の静寂に包まれていった。


 フネの前途に広がるのは、星の光さえまばらな漆黒の宇宙。

 無限遠の虚無のなかで、睦みあうように寄り添った少年と女海賊のかすかな心音だけが、たしかな生命の息吹を刻んでいた。


【完】

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スカーレット・スカル ~辺境惑星の少年、最強の女海賊に拾われる~ ささはらゆき @ijwuaslwmqexd2vqr5th

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