第十二話:終局航路

「う……ぁ……」


 声にならない声を洩らして、ショウジは薄目を開いた。

 身体じゅうから烈しい痛みが押し寄せてくる。

 おもわず情けない悲鳴を上げてしまいそうなほど過酷なそれは、しかし、まだショウジが生きていることの証左あかしでもあった。


 そんなショウジの様子に気づいたのか、ジュリエッタはショウジを抱き寄せる。


「動かないほうがいいわ。応急処置はしてあるけれど、無理をすれば生命の保証はできないもの」

「あの、キャプテン……ここは……」

「ヴォルスングの格納庫。内火艇ランチはもう自動発進シーケンスに入っている。ここまで来れば、あの男もうかつに手出しはできないはずよ」


 ジュリエッタの言葉に、ショウジはようやく自分が簡易ベッドに横たわっていることに気づいた。

 内火艇ランチとはいうものの、全長八○○メートル級のアラドヴァル級戦艦に搭載されているだけあって、それ自体が独立した小型宇宙船と言っても過言ではない。

 操縦席コクピットとは別にもうけられた船房キャビンは、ゆうに五十人からの人員を収容可能なスペースがある。


「よかった……キャプテン、無事で……」


 ようやく緊張の糸が切れたのか、ショウジは喘ぐみたいに何度も深呼吸をする。

 全身の痛みは一向にやわらぐ気配もないが、いまの少年にとって、それはけっして耐えられない苦痛ではない。

 灰金色アッシュゴールドとヘーゼルグリーンの瞳をもつ美しい女海賊がすぐ傍らで見守ってくれている。その効力には、どんな鎮痛剤も及ばない。


「でも、キャプテン。どうしてあのとき目覚めてくれたんだ……?」

「アラドヴァルが奴らに拿捕される直前、ショウジに艦の起動権限を譲ったことは知っているわね」

「それとこれと、どういう関係が?」

「あのあと、私は自分自身を仮死状態に導いた。最低限の生命維持機能を除いて、脳のほとんどを意図的にシャットダウンしたと言ってもいい。抵抗してどうにかなる相手じゃないし、拷問や自白剤を打たれるリスクを考えたら、そのほうが安全だもの」


 言って、ジュリエッタはショウジの頬をいとおしげに撫ぜる。


「でもね、私は同時に仮死状態を解除するためのキーを設定しておいたの」

「それって……」

「そう。ショウジ、あなたの肉声をすぐそばで聴くこと。それが私の仮死状態を解除するためのただひとつの方法だった」

「なんで……なんで俺なんかに、そんな大事な役目をまかせるんですか。俺が来なかったら、キャプテンはあの男に連れ去られていたんですよ」

「あなたはきっと来ると信じていた。――――それだけじゃ不足かしら?」


 ショウジはそれ以上なにも言えず、しゃくりあげるみたいに嗚咽を洩らす。

 キャプテン・ジュリエッタが自分をそこまで信頼してくれていたこと。

 彼女の期待を裏切らずに済んだこと。

 そして、いまこうして、最愛の女性ひとが隣りにいてくれること。

 ひっきりなしに胸に打ち寄せるさまざまの感情の波に、少年はただただむせび泣くことしかできなかった。


「キャプテン、俺……キャプテンのことが好きだ。乗組員クルーとしてだけじゃなく、ひとりの男としてあなたのことを愛しています」

「……」

「だから、あいつエドワードにキャプテンを奪われるのがゆるせなかった。。たとえかつての恋人同士でも、そんな身勝手が許されていいはずはない……」


 そこまで言って、ショウジは黙り込んだ。

 エドワードが追い求めてやまないのジュリエッタがどんな人間だったのか、ショウジは知らない。

 知る必要もないのだろう。

 自分にとっては、目の前にいるキャプテン・ジュリエッタがすべてだ。

 本来の記憶が欠落した失敗作だとしても、ショウジにとって、この宇宙でただひとりのかけがえのない女性ひとであることに変わりはない。


 内火艇ランチをにぶい衝撃が揺さぶったのはそのときだった。

 とっさに立ち上がろうとしたショウジに、


「あなたはここにいて。すぐ戻る――――」


 それだけ言いおいて、ジュリエッタは操縦席へと駆けていった。


***


「おたがい派手にやられましたな」


 通信ディスプレイごしのエドワード・クライゼルに、一○○八オクトエイトは自嘲するようにつぶやく。

 宇宙放射線パルサーの影響で映像は不鮮明だが、エドワードの秀麗な面立ちは歪み、ほとんど悪鬼みたいな凶相へと変じている。

 もっとも、それも一○○八オクトエイトには関係のないことだった。


「だまれ、一○○八オクトエイト。生きているならなぜ連絡をしなかった!?」

「そうはおっしゃっても、ヒルディブランドの状態はご存知でしょう。アラドヴァルの衝角攻撃ラム・アタックをまともに受けたせいで、艦体が真っ二つに割れているんです。沈んでいないのが奇跡というものですよ」

「言い訳はもうたくさんだ。奴らは内火艇ランチで脱出を図ろうとしている。大破したヒルディブランドでも、たかが小舟一隻を捕らえる程度は造作もないだろう」


 火を吐くようなエドワードの言葉に、一○○八オクトエイトはふっとため息をつく。

 オリジナルのエドワードなら、たとえ不測の事態に陥った場合でも、こうまで取り乱しはしなかった。

 この男も自分同様、しょせんはなのだ。

 エリートと位置づけられてきたのは、今日までたまたま情緒面での欠陥が表面化しなかっただけにすぎない。

 あるいは、完璧なオリジナル・エドワードなど、どこにも存在しない幻影なのかもしれない。

 一○○八オクトエイトの脳裏に浮かんだとりとめない考えは、エドワードの怒声によって強引に打ち切られた。


「了解、ヒルディブランドは内火艇ランチ拿捕のために行動を開始します」

一○○八オクトエイト、あのショウジ・ブラックウェルという小僧はなにがあっても殺せ。奴は私を侮辱した。このエドワード・クライゼルに――――」


 一○○八オクトエイトは通信スイッチを切る。

 ヒルディブランドの広壮な艦橋ブリッジはしんと静まりかえり、不規則な呼吸音のほかには音もない。

 フレーシャもいまはいない。

 静寂と暗黒、そして孤独だけがある。

 無理を押して神経接続を行ったことで、一○○八オクトエイトの視力は完全に失われた。

 視力だけではない。聴覚や嗅覚、触覚といった五感も、櫛の歯が欠けるみたいにひとつまたひとつと失われていく。数日中には心臓も鼓動を止めるだろう。


「これがようやく手に入れた俺だけのもの、か――――」


 一○○八オクトエイト艦長席キャプテンシートに背中を預けて、くっくと忍び笑いを洩らす。

 五感の喪失と、遠からず訪れるであろう避けがたい死。

 ほかのエドワード・クライゼルがこの感覚を共有することはない。

 正真正銘、一○○八オクトエイトだけに与えられただ。


「俺だけの死。悪い気分はしない。……が、最後にまだやっておくことがある」


 一○○八オクトエイトは操作パネルに手を伸ばす。

 ヒルディブランドとは長い付き合いだ。

 たとえ目が見えず、フレーシャの支援がなくても、艦の動かし方は身体が覚えている。

 さらに音声コントールを活用すれば、めしいた身でも、艦を操るのに支障はない。


 各部の推進器スラスターにぽつぽつと噴射炎がまたたいた。

 手負いの獣が渾身の力を振りしぼるように、ヒルディブランドはゆるやかに前進を開始した。

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