第二話:女海賊ジュリエッタのやり方
「停船しろとは、笑えんジョークだ」
カッセル中佐は通信パネルに顔を近づけると、わざとらしく鼻を鳴らしてみせる。
あいかわらず相手の顔は見えないが、そんなことはおかまいなしにカッセル中佐は続ける。
「このモーターキルダは
「つまり、交渉決裂と判断してかまわないのですね」
「ちがうな。交渉など最初から存在しない。海軍は犯罪者との取引はせん」
言いざま、カッセル中佐は砲術長と航海長にむかってハンドサインを送る。
”撃ち方用意”
”右舵四五度、上昇角マイナス六◯度、
すばやく艦長の指示を読み取った砲術長と航海長は、無言でそれぞれの作業に取り掛かる。
モーターキルダの艦尾に配置された
全長四◯◯メートルの艦は、上下左右にめまぐるしく向きを変え、宇宙空間にジグザグの軌道を描く。
空気抵抗の存在しない宇宙では、充分な推力さえあれば、数百メートルにおよぶ軍艦でも戦闘機なみの運動性を発揮することが可能だ。
それはしかし、艦と乗員に致死的な
艦がまっぷたつにへし折れ、艦橋にいる人間すべてが肉塊と化すことを免れているのは、ひとえにモーターキルダ級に高性能の
船殻のすみずみまで血管みたいに張り巡らされた素粒子加速器は、一定以上のG――つまり高線量の
真逆の性質を持った重力子はたがいに結びつき、正と負の性質が均衡な状態へと移行する。中和作用が持続するかぎり、たとえ全速からの急停止や急反転をおこなったとしても、艦と乗員にはなんの影響もないのだ。
「
カッセル中佐はすばやく指を動かし、立体マップ上に攻撃軌道をマーカーする。
戦術はこうだ。まず敵艦の船尾に遷光速ミサイルを叩き込んだのち、反転上昇してガンマ線
一度で沈めばよし、もし持ちこたえたなら、ただちに別のパターンで反復攻撃を仕掛けるまでのことだった。
カッセル中佐は軍帽を目深にかぶりなおすと、くつくつと忍び笑いを洩らす。
「海賊船め、
***
およそ戦闘艦の
床には緋毛氈のじゅうたんが敷き詰められ、壁や天井のしつらえはすべてオールド・ヴィクトリアン様式で統一されている。
金糸銀糸を編み込んだモールで飾られたカーテンのむこうには、宇宙のはてしない暗闇が広がっている。
いま、海賊艦アラドヴァルの中枢に佇むのは、ひとりの女だった。
玲瓏な声にふさわしく、秀麗な面立ちの美女である。
年の頃は二十二、三歳といったところ。
透きとおった雪色の
目鼻立ちのくっきりとした端正な顔貌。どこか人形めいた妖しい美しさに、物憂げなヘーゼルグリーンの瞳がなおいっそうの華をそえる。
均整の取れた肢体を包むのは、赤と黒を基調とした軍服だ。
どこの星系の制服でもない。それはいにしえの昔、地球の海で暴れまわった海賊の
「キャプテン・ジュリエッタ。獲物はあくまで抵抗するようです」
女――キャプテン・ジュリエッタの背後に、ふいにべつの女が現れたのはそのときだ。
こちらもやはり整った顔立ちである。
年齢はジュリエッタよりいくつか上かもしれない。
部屋の趣向に合わせたのか、ヴィクトリア朝時代のハウスキーパー・メイドの正装に身を包んでいる。
その佇まいはいたって上品そのものだ。遠いむかしに滅び去った本物と較べても、なんら遜色はあるまい。
「こうなることは最初から分かっていたけれどね。クロエ、ここは任せるわ」
「本当によろしいのですか? キャプテン?」
「あなたの艦隊戦術プログラムはもともと私が作ったもの。失敗したらとうぜん私の責任……そうでしょう?」
それだけ言って席を立ったジュリエッタに、クロエは軽く頭を下げる。
「行ってらっしゃいませ、キャプテン。無事のお戻りを――――」
ジュリエッタが部屋を出ていったのと、ヴィクトリアン様式の内装が幻のように消滅したのは同時だった。
目もあやな装飾と入れ替わるように出現したのは、飾り気とは無縁の
大小さまざまの戦術ディスプレイに光が灯るなか、クロエの姿もまた忽然と消え失せていた。
***
「
砲術長の報告に、カッセル中佐は力強く肯んずる。
「全発射管ひらけ。ミサイル撃ち方はじめッ」
カッセル中佐の声を合図に、モーターキルダの船首がおおきく展開する。
外殻が上下に開いたそのさまは、奇怪な古代魚の
その喉の奥から、角張った太い筒が八本、音もなくすべりでた。
全長一八メートルはくだらないそれは、海軍艦艇に標準装備されている遷光速ミサイルだ。
光速の四◯パーセントまで加速したミサイルは、一◯◯トンの質量をその千分の一まですり減らしながら、弾芯部に封入された中性子の崩壊熱エネルギーで標的を破壊するのである。その威力はすさまじく、
八本の遷光速ミサイルは、モーターキルダを離れた直後から一次加速を開始。
まもなく全長の三分の一に相当する第一
ここでさらに後端部の第二タンクを分離し、当初の半分ほどの大きさになったミサイル群は、意外なほどゆるやかに二次加速を開始する。
むろん、そう見えるのは、あまりの高速度ゆえの錯覚だ。
刹那、漆黒の海に大輪の花が咲き乱れた。
ミサイルが炸裂したのだ。全方位に放射された純粋な熱エネルギーは、周囲の星間ガスと反応し、色とりどりの閃光をほとばしらせる。
「弾着観測――――」
カッセル中佐は、言いさした命令を飲み込んだ。
光学機器を用いて確認するまでもなく、モニター上にはアラドヴァルの姿がはっきりと映し出されている。
美しい
(バカな――――あの進入コースで外れるなど、ありえないことだ)
カッセル中佐の岩みたいな顔にはふつふつと汗の玉が湧き、こころなしか呼吸も早くなっている。
遷光速ミサイルを防御する手段はふたつ。
ひとつは、敵艦がミサイルを発射した直後に自艦を急加速させ、
これは最もポピュラーな対処法だが、モーターキルダに搭載されている新型ミサイルには高度な対抗電子シールド処置が施されているため、外部からプログラムを変更することは不可能なはずだった。
もうひとつは、ミサイルの弾着予想地点に防御パネルをあらかじめ展開し、自艦に影響の及ばない距離で爆発させることだ。
とはいえ、遷光速ミサイルの着弾位置を予測することは不可能にちかい。二次加速に入ったその瞬間ではもう遅い。それより前に、正確な未来位置を予測して防御パネルを射出する必要があるのだ。
むろん人間には不可能である。高度なコンピュータの助けを借りたとしても、一発二発ならまだしも、全弾を防ぎきることはきわめてむずかしい。
「次弾装填いそげッ!! 敵艦後方にむかって旋回しつつ、ガンマ線
カッセル中佐の命令一下、各科士官が次の攻撃の準備に入ったまさにそのとき、はげしい衝撃が
けたたましいアラート音が鳴り響く。艦の立体像にぽつぽつと赤い点が浮かんだかとおもうと、赤い染みはまたたくまに周囲に広がり、艦全体の何割かを塗りつぶしていった。
「被害状況は!?」
「七箇所に被弾しました――主砲塔は一番、二番ともに大破!!」
「副砲およびミサイル発射管も使用不能です」
「後部甲板に不発弾。第三層まで貫通しています!!」
「右舷側の
士官たちの悲痛な叫び声は、モーターキルダの断末魔を代弁しているようだった。
これほどまでに破壊されては戦闘続行はおろか、自力航行さえままならない。
「狂っている……あのサイズの艦があんな動きを……」
鳴り止まぬアラーム音のなか、カッセル中佐は呆然と呟く。
モーターキルダが旋回に入った直後、アラドヴァルはわずかにその内回りを旋回することで、艦船が最大の火力を投射することができる状況――同航戦に持ち込んだのだ。
両艦が完全に横並びになったのは、ほんの一秒にも充たないわずかな時間。
それで充分だった。
はたして、アラドヴァルから放たれた各種のビームとミサイルは、モーターキルダの斥力フィールドをやすやすと貫通し、
「アラドヴァルの実力はご理解いただけたかしら」
ふいにアラート音が熄んだ次の瞬間、
その声は通信機ごしではなく、現実のものとしてカッセル中佐たちの耳を打った。
キャプテン・ジュリエッタ。
ほんの数分前まで海賊戦艦アラドヴァルにいたはずの女は、真っ赤な
手にした銃の
「ひとつ訊かせろ。どうやってこの艦に侵入した……?」
「不発弾の中身がふつうだったら、いまごろ全員死んでいたでしょうね」
「ミサイルを突入艇のかわりに使ったのか!?」
「ご明察――――」
ジュリエッタはこともなげに言うと、モーターキルダのダメージ部位が表示されているモニターに視線を向ける。
「分かっているとおもうけど、この艦はもうだめよ。
「海賊風情にモーターキルダを明け渡せというのか!?」
「それは当然。こちらはそのために海賊をしているんですもの」
ぱん、と乾いた銃声が響いた。
ジュリエッタが天井にむかって発砲したのだ。
ヘーゼルグリーンのするどい瞳が見据える先には、腰のホルスターに手をかけたまま動きを止めた砲術長が呆然と立ち尽くしている。
士官たちの顔を一瞥すると、ジュリエッタは底冷えのする声で告げる。
「艦内消火システムに使われているのは高濃度の二酸化炭素ガス。ここで作動させれば、
たんなる
美貌の女海賊は、顔色ひとつ変えずに
沈鬱な面持ちで黙っていたカッセル中佐は、意を決したように口を開いた。
「わかった……モーターキルダの艦長としてそちらの要求を呑もう」
「分かったならただちに退艦命令を出しなさい。もしおかしな真似をしたら、私が死んでもアラドヴァルがこの艦を沈めるわ」
「誓って疑われるような行動は慎むつもりだ。むろん部下にも徹底させる……」
絞り出すように言ったあと、カッセル中佐は震える声で「総員退艦」を叫ぶ。
最初は困惑していた部下たちも、艦長命令とあっては逆らうわけにもいかず、三々五々、先を競って
無人の艦橋にひとり残ったジュリエッタは、
乗組員たちを乗せた
伏兵を置いていった可能性がないとは言い切れない。敵と刺し違えることも厭わない気骨ある海軍軍人がいることを、ジュリエッタはよく知っている。
船内のチェックが終わろうかというとき、ふいに生体反応を示すマーカーが点滅した。
「……やってくれたわね、あのタヌキ」
ジュリエッタはヘルメットをその場に放ると、銃を手にすばやく
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