スカーレット・スカル ~辺境惑星の少年、最強の女海賊に拾われる~
ささはらゆき
プロローグ
第一話:密航者ショウジ・ブラックウェルの受難
少年が目を覚ましたのは、硬い床に叩きつけられたのと同時だった。
よほど長く眠っていたのか、意識と視界には濃霧みたいなもやがかかっている。
照明のまぶしさに目を細めながら、少年は上体を起こそうとこころみて、それが叶わないことを知った。
両手足は手枷と足枷によってきつく縛められている。立ち上がるどころか、芋虫みたいにもぞもぞと床の上を這い回るのがせいいっぱいなのだ。
「ようやくお目覚めか」
ふいに耳朶を打った野太い声に、少年ははじめて自分以外の何者かの存在を認識した。
ゆっくりと周囲に視線を巡らせれば、自分を見下ろしている二人の男が
ひとりは痩せぎす、もうひとりはがっしりとした体つきの巨漢だが、どちらも
軍靴の硬いつま先で少年の脇腹を小突きながら、巨漢の軍人はひとりごちるみたいに呟く。
「すこし蘇生剤の量が多すぎたようだな?」
「そのようです、カッセル中佐。致死量ギリギリでかまわないとのご命令でしたので……」
「まあ、いい。死んだところで
ぼんやりと男たちを見上げていた少年が宙を舞ったのは次の瞬間だった。
最初に衝撃、やや遅れて内臓をえぐられるような痛みが彼を襲った。
カッセル中佐と呼ばれた男が、軍靴をおもいきり少年のみぞおちに叩き込んだのだ。
食道を昇ってきた熱い液体に喉と胸を灼かれ、少年はおもわず咳き込む。
吐かずにはいられないが、空っぽの胃袋には、胃液のほかに吐き出せるものもない。
「いつまで寝ぼけているつもりだ、小僧。おネンネの時間はとっくに終わったぞ」
カッセル中佐の太い指が少年の黒い髪を掴み、華奢な身体を強引に引き起こす。
顎骨の張った無骨な顔貌に
「おまえのようなドブネズミにも名前くらいはあるんだろう。ええ、おい?」
「う……あ……」
「五秒以内に答えられれば次の一発はかんべんしてやる。忠告しておいてやるが、賢しらに偽名を使ってやりすごそうなどとは思うなよ。五、四、三……」
無慈悲なカウントが「
「シ……ショウジ……」
「名字と出身地は?」
「ショウジ……ブラック……ウェル……出身は……カルケミシュ……」
「ついでに市民登録番号も教えてもらおうか」
「とっくに……忘れちまった……よ」
カッセル中佐はわざと聞こえるように舌打ちをすると、傍らの男にすばやく視線を向ける。
痩せぎすの副官は、すでに小型端末のコンソールに指を走らせている。
「データベースの照合出ました。ハトウシャ星系カルケミシュ
「こいつはそいつらのどっちだ?」
「もうひとりは
「もういい。海軍元帥の御令息と
カッセル中佐はいかにも不機嫌そうに答えると、ふたたびショウジのほうに向き直る。
「さて、
「おれ……太陽系……地球……行こうとして……」
「検疫も入国審査も素通りして、だろう?」
カッセル中佐の言葉が引き金となったのか、うつろだった少年の瞳に光が戻った。
「自分のやったことを思い出したようだな。貴様は開発公社の内部ネットワークに侵入し、社員になりすましてガニメデ行きの無人輸送船に密航した。そのまま太陽系内まで行くつもりだったのだろうが、わが艦に出くわしたのが運の尽きだったな。不審に思って乗り込んでみれば、誰もいないはずの
「……」
「
カッセル中佐はショウジを壁に叩きつけると、あどけなさを残した細い顎を力任せにつかむ。
苦痛に歪んだ青白い顔に舐めるような視線を送りながら、カッセル中佐は低い声で尋問する。
「すなおに私の質問に答えれば悪いようにはせん。意図的な密航ではなく、不注意で船内に取り残された事故だったということにしてやってもいい」
「なにを……答えればいい……」
「貴様の密航を手引したのはどこの反政府
「だれの助けも借りてない……ぜんぶおれが自分ひとりでやった……」
「あまり大人をなめていると――――」
カッセル中佐が握り拳をショウジの顔の高さまで掲げたところで、軍服の襟に据えつけられた小型
聞こえよがしに舌打ちをして、カッセル中佐は通話スイッチをオンにする。
「なんだッ」
「
「チッ――」
カッセル中佐は「すぐに続きをしてやる」とショウジに吐き捨てると、副官とともに荒々しい足取りで部屋を後にした。
***
モーターキルダ級航宙
メイン・モニターに立体投影された三次元星図の上では、豆粒みたいな光点が明滅を繰り返している。
火器・航法・通信など各自のポジションについた十六人の若手士官たち――艦長と副官をのぞけばこの艦の全乗組員だ――の顔には、いずれも緊張の色が濃い。
ひな壇状の艦橋内で最も高い位置にある
「航海長、状況を報告しろッ」
「本艦の航路上に
「なぜこの距離まで捕捉できなかった?」
「直前まで分子雲の
「通信はどうか」
「先ほどから平文での交信を試みていますが、応答はありません」
カッセル中佐はわずかな逡巡ののち、太く厚い唇に愉快げな笑みを浮かべた。
「舵中央。針路はこのままだ」
「
「相手が何者であろうと、こちらが譲る道理はない。当方が
カッセル中佐の言葉の端々にはゆるぎない自信が充ちみちている。
それも故ないことではなかった。
モーターキルダ級は分類こそ
全長四◯◯メートルの艦の至るところにガンマ線
いまだ実戦を経験したことはないが、もともと今回の任務は外宇宙への遠洋練習航海なのだ。”密航者”を捕まえたのは予期せぬ偶然にすぎない。
たとえ相手が何者だろうと、敵艦との遭遇は、各科の若手士官たちにはなによりの実地訓練になるはずだった。
刹那、稲妻のような閃光が走ったかとおもうと、にぶい衝撃が艦橋を揺さぶった。
艦の防御を担う斥力フィールドが作動したのだ。肉眼では視認不可能なビーム砲撃は、バリア・システムとの接触時にのみ可視化される。
「掌帆長!! 被害状況を報告しろッ」
「損傷なし。砲撃は電子縮退ビーム。外したのではなく、本艦の右舷すれすれを狙ったものと思われます」
「威嚇射撃のつもりか……?」
「
掌帆長が言い終わるが早いか、メイン・ディスプレイに立体像が浮かび上がった。
最初はひどくおぼろげだったそれは、コンピュータによる補正を経て、数秒と経たないうちに鮮明な像を結んだ。
美しい船だった。
無骨な戦闘艦とは対極の流麗な
するどい舳先から船尾にいたる船体のすべてが、遠目にもあざやかな
天女の羽衣さながらにゆらめくものは、長短・大小さまざまのフィンだ。姿勢制御スラスター、あるいは放熱板の類であろうと思われるが、これほど優雅な造形はほかに類を見ない。
船体のほぼ中央にそびえる奇妙な塔は、いまではほとんど見かけることのない
その最上部にあたる
わずかな沈黙のあと、艦橋の士官たちは一斉にどよもした。
「あんな艦は見たことがないぞ」
「推定される全長およそ八○○メートル。
「海軍の艦籍データベースに照合中……過去三◯◯年のデータには
「ありえない話だ。海軍以外にあのクラスの大型戦闘艦を建造できるはずがない」
各科士官たちの会話を烈しい怒声がさえぎった。
「うろたえるな。各員はただちに戦闘用意!!」
「艦長、あの艦と戦闘を?」
「我が方に攻撃を仕掛けた以上、あれはもはや
カッセル中佐が言い終わらぬうちに、耳ざわりなノイズが艦橋を領した。
その発生源が本来なら使用されるはずのない艦内放送用のスピーカーだと理解して、士官たちの顔に動揺の色が浮かんだ。
不明艦からの電子攻撃だ。正規の通信チャンネルではなく、艦のシステムに強引に割り込んできたのだった。
「……私の声が聞こえていますね」
直後、ノイズの代わりにスピーカーから流れたのは、およそ戦場には似つかわしくないもの――――涼やかな女の声だった。
カッセル中佐の返答も待たず、玲瓏な声は一方的に宣言する。
「貴艦にこちらの要求をつたえます。ただちに停船し、全乗組員はすみやかに艦から退去しなさい。素直に従うなら生命は保証します。ただし……」
美しい声がふいにナイフのするどさを帯びた。
「もし拒否するというなら、この海賊戦艦”アラドヴァル”と砲火を交えてもらうことになります」
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