第四話:偽りのアダムとイブ

 ”ヒルディブラント”の艦橋ブリッジを淡い光が充たしていた。

 艦の運用は高度にオートメーション化されている。艦橋はむろん、巨大な艦内のどこにも乗組員クルーの姿は見当たらない。

 唯一の例外は、艦長席キャプテンシートに腰かけた一○○八オクトエイトだけだ。


「フレーシャ、アラドヴァルの運動パターン解析はどうなっている?」

「現在の進捗度は八十八パーセントです、司令官アドミラル

「充分だ。こちらにデータを回してくれ」


 一○○八オクトエイトが言うが早いか、目の前に三次元立体マップが浮かび上がった。

 おおきく弧を描くように伸びる光の点線は、フレーシャが算出したアラドヴァルの予想進路だ。

 前方を行く”ヴォルスング”を追う格好のアラドヴァルは、中性子星クエーサーゲミヌスΣⅢシグマ・ドライを周回するコースを辿りつつある。

 みずからの重力によって恒星だったころの数十億分の一にまで圧縮され、なかばブラックホールと化しつつあるゲミヌスΣⅢは、この宇宙で最も危険な天体のひとつと言っても過言ではない。

 強大な重力に絡め取られたが最期、二度と脱出することは叶わないのである。

 こちらの目的がアラドヴァルの拿捕である以上、ゲミヌスΣⅢへの不用意な接近は、いたずらに作戦失敗のリスクを増大させるだけだった。


(なにを考えている? エドワード――――)


 三次元立体マップを睨みながら、一○○八オクトエイトは顎髭をさする。

 ヒルディブラントは冷凍冬眠中のジュリエッタを収容している。

 ヴォルスングを援護するために中性子星に近づけば、なにかの拍子に重力に囚われるおそれもあるのだ。

 万が一の場合はジュリエッタだけを脱出させるにしても、重力圏から無事に逃れられるという保証はない。

 

司令官アドミラル、ヴォルスングよりレーザー通信です」


 フレーシャの声に、一○○八オクトエイトははたと我に返った。

 ほとんど反射的に「つなげ」と命じたが早いか、通信パネルからエドワードの声が流れた。


一○○八オクトエイト。これよりゲミヌスΣⅢ付近でアラドヴァルを挟撃する。以後ヒルディブラントにはこちらの指示にしたがってもらう」

「中性子星のちかくで戦うのは危険すぎます。ここは安全圏までアラドヴァルを誘い出すべきかと……」

「誰に向かって口を利いている?」


 エドワードの声はいつになく冷たかった。


「貴様はアラドヴァルの足を止めてくれれば充分だ。もとよりそれ以上の働きは期待していない。必要とあればヒルディブラントは沈めてかまわん」

「本艦にはジュリエッタを収容していることを忘れたのですか!?」

「あれは記憶の転写に失敗しただ。脳を取り出して分析にかけるつもりだったが、本物オリジナルのジュリエッタの情報体が保存されているアラドヴァルの中枢コンピュータを回収するためなら、失敗作など捨てたところで惜しくはない……」


 狼狽を隠せない一○○八オクトエイトに、エドワードはすげなく言い捨てる。

 

「命令は理解できたな、一○○八オクトエイト。貴様もならば、与えられた役目は果たしてみせろ」


 エドワードの言葉はそれきり途絶えた。

 機器にトラブルが発生したわけではない。ヴォルスングの側で通信を一方的に打ち切ったのだ。

 いかなる質問も抗弁も許さないという、それはエドワードの強硬な意思表示にほかならなかった。


「……出来損ない、か」


 一○○八オクトエイトは誰にともなくごちる。

 複製されたエドワードは、本物のエドワード・クライゼルとの合致率によっていくつかのタイプに分類される。

 一○○八が属しているのは、そのなかでも最下級にあたる戦闘型だ。体力と戦術的判断力に長ける一方、知的分野にさほどの適性を示さなかった個体は、より上位のエドワードの計画を実行する兵士としてに組み込まれるのである。

 戦闘型と一口に言っても、その任務はさまざまだ。ショウジの家族を殺した一四○四カルテフォアのように暗殺やテロ活動に従事する者もいれば、一○○八のように艦隊司令官として拠点防衛の任に当たる者もいる。

 そんな彼らに共通しているのは、エドワードたちのなかでもっとも生命の価値が低いということだ。

 どれほど理不尽な命令であっても、より上位の個体に逆らうことは許されない。生還がのぞめない危険な任務だろうと、従容と受け入れるほかないのだ。

 長年にわたって多量の中性子線を浴びつづけ、もはや余命いくばくもない一○○八は、そんなことは言われるまでもなく承知している。

 だが、エドワードがジュリエッタを「失敗作」と呼んだ瞬間、一○○八の胸に沸き起こったのは、かつて感じたことのない烈しい怒りだった。


 自分の生命にいまさら執着などない。

 それでも、かつて愛していた――――いまも愛している――――女の生命を、ほかならぬが軽んじたことは、どうしても許せなかったのだ。

 

「ジュリエッタ……」


 一○○八はぽつりと呟く。

 これまで数多のエドワードたちが死に変わり生まれ変わり、宇宙に飛び散った情報の断片をかき集め、途方もない年月をかけて追い求めた女の名を。

 

 そうしてよみがえった彼女は、本来の記憶も人格も持たない、ジュリエッタの姿かたちを借りただけの空虚な人形だった。

 だが、それがなんだというのだ?

 エドワードは幸運にもオリジナルの情報体が残っていただけだ。魂や人格が本物のエドワードと同一である保証などありはしない。

 それどころか、

 存在するかどうかもわからない本物のジュリエッタをもとめて何度となく自己複製を重ね、出口のない迷宮を永遠にさまようのがエドワードのさだめなら、出来損ない同士で舞台を降りるのもひとつの幸せであるはずだ。


 一○○八はふっとため息をつくと、フレーシャに顔を向ける。

 どこまでも無機質で冷淡、喜怒哀楽のいずれも持ち合わせていない少女の人形めいた佇まいは、いまの一○○八にはなによりも好ましいものとして映った。


 「ヒルディブラント、前進全速。各砲塔および遷光速ミサイル発射スタンバイ。――――ヴォルスングに喰われるまえにアラドヴァルの手足をもぎとるぞ、フレーシャ」


 一○○八の命令に、フレーシャは「了解ヤヴォール」と短く答える。

 神話に詠われた三ツ首の魔犬ケルベロスのごとく、三胴艦トリマランはアラドヴァルめがけて猛然と加速を開始した。

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