第二話:未知への跳躍
極彩色の光が
赤、紫、青、白、黄。
それぞれの色は複雑に重なりあい、目もあやなグラデーションを織りなしている。
艦の周囲にただよう高密度の星間ガス――――分子雲がまとう色彩であった。
その名は宇宙線や太陽風を浴びることで分子雲がはげしく電離し、あざやかな可視光線を放ってきらめくことに由来する。
そんな繰り返しのなかで偶発的に生まれた重元素の
アラドヴァルがこの空域に突入してから、すでに三日が経過している。
はじめは未知の景色に興奮を隠せなかったショウジも、いまではすっかり慣れた様子で、掃除や点検といった見習い水兵としての雑務をこなしている。
作業終了を報告するために
美しい女海賊はしかし、少年の期待に反して、いつものように坦々とねぎらいの言葉を口にしただけだった。
「ご苦労さま。今日の仕事はここまででいいわ」
ドン・スコルピオーネから提供されたデータを確認し終わったあと――――
ジュリエッタは、
ショウジはむろん、人工知能であるクロエまでもが面食らったのも無理はなかった。
ゲミヌスの周辺は、第一級の航行禁止区域に指定されている。
中性子星から放出される膨大な
そんなエリアにあえて艦を乗り入れるのは、ほとんど自殺行為と言っていい。
きっとキャプテンには深遠な考えがあるはずだ――――すくなくとも、ショウジはそう確信している。
問題は、面と向かってジュリエッタの真意を聞き出す勇気を持ち合わせていないということだった。
そうして日一日と時間が流れていくうちに、ショウジもようやく覚悟が決まったらしい。
「キャプテン、ほんとうに
「あなたは行きたくないの? ショウジ」
「それは――――」
ジュリエッタからの意外な反問に、ショウジは答えに窮する。
「……行きたい。でも、それは俺の問題だ。キャプテンに迷惑はかけたくない」
「なにか勘違いしているようだけれど、べつにあなたのために艦を動かしているわけじゃない。私には私の目的がある。ただそれだけよ」
「本当に?」
「信じるも信じないも好きにしなさい。ただ、利用できるものは利用したほうが賢明だと思うけれど」
「キャプテンを利用するなんて」と言いさして、ショウジはぐっと言葉を飲み込んだ。
試されているのだ。
これから宇宙海賊として生きていくためには、互いの腹をさぐりあい、時には
ジュリエッタがショウジを鍛えているのであれば、彼女がのぞむ答えはひとつしかないはずだった。
「……わかったよ、キャプテン。俺は家族の復讐のためにこの艦に乗った。その目的を果たすためなら、俺は遠慮なくキャプテンとアラドヴァルを利用させてもらう。そのかわり、キャプテンも俺を好きなように使ってくれてかまわない」
その言葉に、ジュリエッタはふっと唇に微笑を浮かべる。
ここまでの努力の甲斐あって、ショウジはアラドヴァルの
ジュリエッタとクロエに信頼されていることは、ショウジにこれ以上ないほどの自信と喜びをもたらしてくれた。
しかし、アラドヴァルに安住の地を求めてしまえば、復讐者の本懐を遂げることなど出来るはずもない。
好むと好まざるとにかかわらず、いつかはこの
それを思うたび、ショウジの胸にはちいさな痛みが沸き起こるのだった。
ふいに艦が揺れたのはそのときだった。
「キャプテン、主機関へのエネルギー充填完了。いつでも
クロエの言葉に、ジュリエッタは「跳躍スタンバイ」と応じる。
***
船体をかぎりなく光速にちかい速度まで加速させ、超長距離をごく短時間のうちに移動する特殊航法である。
大気の存在しない宇宙空間では、理論上は推進力の続くかぎり加速することができる。
だが、遷光速ミサイルのような使い捨ての兵器ならいざしらず、人間が乗った宇宙船は際限なく加速をつづけるわけにはいかない。目的地に辿り着くためには、じょじょに速度を落とし、最終的には船を停止させる必要がある。
とはいえ、いったん光速にちかい速度が乗った物体を止めるのは容易ではない。
慣性制御に莫大なエネルギーを必要とするだけでなく、失敗すれば永遠に宇宙をさまようことになる。
宇宙船の減速は、加速とは比較にならないほどの危険と隣り合わせの作業なのだ。
過去には減速タイミングを誤った星間輸送船が植民星に激突し、数億人もの犠牲者を出す大惨事も起こっている。
そこで考案されたのが、宇宙空間を水面、宇宙船を石に見立て、
むろん、宇宙には水のような巨大な抵抗は存在しない。
そのかわり、一般相対性理論における時空連続体の凹凸――――いわゆる重力場の歪みを利用して、船をゆるやかに減速させるのである。
外部の力を利用することで、船のエネルギー消費を極力抑えることができる。
よほど無茶な加速をしないかぎり、エネルギーが不足する心配はまずない。ブレーキを失って暴走するという最悪の事態は回避できるということだ。
跳躍のまえには然るべき準備が必要になる。
ブレーキとなる時空連続体の凹凸をあらかじめ把握し、船の軌道を完璧に計算しなければならないのである。
もし計算にわずかでも狂いがあれば、目的地に到着できないだけでなく、船そのものが過負荷によって破壊されるということも充分ありうる。
跳躍が無事に成功するかどうかは、船のコンピュータの性能にかかっているのだ。
アラドヴァルが輝線星雲に入ったのは、星間物質の状態から重力の歪みを検知し、中性子星ゲミヌスに至るもっとも確実なルートを算出するためであった。
危険な中性子星のちかくに艦を寄せるのは、クロエのすぐれた演算能力をもってしても至難の業だ。
失敗すれば、アラドヴァルは半ブラックホール化したゲミヌスの超重力に絡め取られ、なすすべもなく原子レベルまで分解されるだろう。
そして、いったん跳躍に入れば、もはや後戻りはできない。
ジュリエッタはすべてを承知のうえで、アラドヴァルの舵をクロエに委ねたのだった。
***
「ショウジ、聞こえたでしょう。
ジュリエッタの言葉に、ショウジはあわてて副長席に腰を下ろす。
跳躍航法は過去に何度か経験している。
もっとも、それも民間のシャトルや輸送船での話だ。
戦闘艦の跳躍は民間船とはまったく勝手がちがう。
民間船の跳躍距離がせいぜい恒星内にとどまるのに対して、高出力のエンジンを積んだ戦闘艦はそれよりずっと速く、長い距離を跳ぶのである。
「キャプテン、跳躍スタンバイよろしい。座標軸に変更なし」
「アラドヴァル、跳躍開始――――」
ジュリエッタの号令と、ディスプレイのむこうできらめいていた輝線星雲が消滅したのは同時だった。
「異常ではありません。光学センサーの受光限界域に入っただけです」
ショウジの不安を見透かしたように、クロエはあくまで冷静な声色で告げる。
艦の速度が上がるにつれて、センサーが捕捉する可視光線の量も少なくなっていく。
跳躍のあいだ、アラドヴァルはひたすらに闇の海を進むことになるのだ。
「まもなく時空連続体の凹凸部に接触します」
クロエの言葉を受けてとっさに身構えるショウジだったが、予想に反して、数秒経っても艦にはなんの変化もない。
「なにも起こらない……?」
「時空連続体に三次元的な質量は存在しません。接触と言っても、
安堵の息をつく暇もなく、ショウジの視界をまばゆい光が埋めた。
アラドヴァルの速度が低下したことで、光学センサーが可視光線を捕捉できるようになったのだ。
どうやら跳躍は無事に終わったらしい。
ゆっくりと瞼をひらいたショウジは、言葉にならない声を洩らしていた。
アラドヴァルのメイン・ディスプレイに映し出されたのは、ほんの数秒前までとはまったく異なる景色だ。
惑星はおろか、星間ガスや小惑星さえもほとんど見当たらない虚ろな空間。
茫洋とひろがる単色の世界は、ほのじろい光に充たされている。
「クロエ、艦の現在地は?」
「ゲミヌスΣⅢから○・一光年ほど離れた超新星残骸の内部と推測されます。正確な座標は……」
「観測機器が正常に動かないのはあなたのせいじゃないわ、クロエ。目的地はもう見えているもの」
言って、ジュリエッタはディスプレイの片隅を指さす。
そのさきに奇怪な物体を認めて、ショウジはおもわず後じさっていた。
くりぬかれた怪物の眼球――――。
白一色の宇宙にぽつねんと浮かんだ赤黒い楕円形を認めた瞬間、少年の脳裏をよぎったのは、そんなイメージだった。
そいつは
いままで見たことのあるどの星にも似ていない。
なにもかもが常識を外れたそれは、年老いた恒星が最後に辿りつく姿にほかならなかった。
「あれが……
ゲミヌスΣⅢに目を向けたまま、ショウジはひとりごちる。
一帯にひろがる虚ろな白い宇宙は、はるかな太古、白色矮星だったころのゲミヌスΣⅢが超新星爆発を起こした結果だ。
巨大なエネルギーの放出はじつに一・五光年もの広範囲におよび、その内側に存在する物体をことごとく破壊し尽くしていった。
すべてが終わったあとに残されたものは、もはや塵ともよべないレベルまで分解された惑星の残骸と、すさまじい線量の宇宙放射線だけだ。
いまなお人間を拒みつづける禁忌の星に、アラドヴァルはついに辿りついたのだった。
「キャプテン、七時方向に不明物体多数――――」
クロエが警告を発するが早いか、アラドヴァルは急反転に入っている。
直後、メイン・ディスプレイに飛び込んできた映像を認めて、ジュリエッタの端正な顔に驚きと焦りの色が差した。
黒い艦隊がアラドヴァルにむかって近づいてくる。
正確な数は不明だが、すくなく見積もっても三十隻はくだるまい。
一糸乱れぬみごとな艦隊運動は、
アラドヴァルめがけて無数の火線が伸びたのは次の瞬間だった。
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