第5話 グミ先輩のこと
コーヒーを飲んだあと、簡易ベッドを畳み、コーヒーカップを片づける。
まだ町の大半が眠っているような時間の太陽でもじりじりと照って、あたっているとまぶしいし、暑い。
天文部の乙女三人は屋上の
流星一個ごとの流れた方向を確かめて、ペルセウス座流星群の流星か、それ以外の流星かを決める。セリの記録には、見えていないはずの星座が書いてあったり、同じ流星のはずなのに表と星図とで方向が違っていたりして、手直しするのに時間がかかった。
記録は八時前に終わった。それから部室を開け、テーブルとパイプ椅子と簡易ベッドを折りたたんで運びこんだ。ノートパソコンも部室に戻して鍵をつける。
部室にも鍵をかけて学校を出たのは八時半ごろだった。
グミ先輩は学校から山のほうに行ったところに住んでいる。帰りはいつもは自転車だが、今日はバスだろう。
暁美の家までは電車で一駅、セリはさらに二駅先だ。
グミ先輩と、暁美とセリとは
「お疲れさま」
とあいさつを交わして校門の前でわかれた。
太陽に高いところから照らされたグミ先輩の制服の白いのが、目を細めないと見ていられないほどまぶしい。
夏の太陽は、朝の八時で、もう三時間分も空に上っているのだ。
駅に向かう道で、セリは無口だった。
疲れたのだろうか?
たしかに、セリは、疲れると極端に口数が増えるか減るかのどちらかなのだけれど。
暁美が気になって、ちらちらとセリの顔をのぞいてみる。しかしセリの表情は変わらない。
もうすぐ交差点を渡る。交差点の向こうはアーケードの商店街だ。
朝の商店街はまだ人は少なかった。それでも人は歩いているし、店に荷物を運びこみに来た人たちもいる。
暁美は交差点を渡る前に言ってみた。
「秋の実力試験のこと、教えてもらえてよかったね」
「アケビ」
セリは立ち止まり、くるっと暁美のほうを向いた。
険しい目で暁美を見ている。
暁美は息をのんだ。
以前、まだセリが苦手だったころの暁美には、セリの表情はよくこんなふうに見えた。
さっき、セリの記録にまちがいが多いと言ったのを気にして、怒っているのだろうか?
セリは眉を寄せて暁美の顔をしばらくじっと見た。
「な……に」
暁美の声がかすれる。
セリはさらに眉をひそめてから、顔を前に向けた。
「グミ先輩のこと、何かきいてる?」
グミ先輩のこと?
何のことだろう?
セリが気に障ることが何かあるのだろうか?
「いいや」
か細い声で答える。
「あのさ」
言ってからセリは息を継いだ。
「あのさ、グミ先輩、学校やめるって」
「えっ? やめる?」
暁美はセリをおもむろに見上げた。
「部をやめる、っていうんじゃなくて?」
「転校するの!」
セリは
「えっ?」
その声は悲鳴に近かったかも知れない。
「転校、って、そんなのあるの?」
あるに決まっている。間の抜けたことを聞いてしまった。
「あるの!」
セリはことばを強めた。
でも、ここは私立の高校で、しかもこのあたりでは名門ということになっている。親許から離れてでも通おうっていう子も多い。
それなのに。
よりによって、グミ先輩が……?
「転校先はさ」
セリが暁美から目を離して、ぽつっと言う。
「外国の高校らしい、って」
「そんなっ……」
あとが続かない。セリはもういちど深呼吸して息を整えた。
「うち、お母さんが学校の理事でしょ?」
「うん。そう言ってたね」
「理事」というのが何をする仕事か暁美は知らない。会社で言うと取締役とかにあたるんだとセリは言うが、その「取締役」がわからない。
何かわからないが、ともかく「学校の偉い人」なのだ。セリが部室棟の窓に警報装置がついていない理由を知っていたのも、そのお母さんからきいたからだ。
「それでさ、校長先生かだれかから聞いてきたらしいんだ」
セリは言う。
暁美は、目を何回か瞬きさせただけで、黙っていた。
「外国だとすると、普通は新しい学年が九月からだから、それに合わせて行くんじゃないかな」
「だって」
暁美は、うつむいたまま、反論してみる。
「このままで、あと、半年学校に行けば、ここの学校、卒業なのに」
「グミ先輩の都合を言えばそうだけど、その通りに行くとは限らないでしょう? たぶん、家族か何かの都合なんだろうけどさあ」
それはそうだ。
でも、家族の都合だとすれば?
どんな都合なのだろう?
だいいち、グミ先輩の家族って?
――そういえば、家族の話って聞いたことがない。
暁美がうつむき、その長い髪が両肩から大きく垂れる。
そのあいだに、渡らなかった交差点の信号が青から赤に変わった。
さっき立ち止まってからこの信号が変わったのはこれが最初じゃない気がする。
セリが、少しためらってから、その右肩の髪に手を伸ばして、その髪を後ろに押し返してくれた。
「どうする、アケビ?」
セリがきく。
「どうする、って?」
暁美が息をのみながら顔を上げた。
「いや、だからさ」
セリはしばらくことばを選んだ。
「わたしから直接にグミ先輩に聞くのはまずいと思うわけ。だって、理事の娘が本人に直接に確かめる、みたいなことになるわけでしょ? あんまりいい感じしないと思うんだ」
そして、目を逸らして、言う。
「でも、アケビが聞くのは、いいんじゃないかって思うんだけど」
「そう……かな?」
暁美が顔を上げる。
「そう」
セリの顔に、笑み、というのか、自信が戻ってきたように見える。
「お母さん、ときどきわけのわからない勘違いとかするし、知らない人の話をすぐに自分の知ってる人のことって勘違いするしさ、だから」
瞬きしてみせる。続きは、セリにしては優しい声だった。
「だから、アケビが確かめてみるのが、いいんじゃないかと思う」
「うん」
その声はたしかにグミ先輩の声の感じにも似ていた。
暁美は笑顔で頷いた。
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