第21話 ジュピター

 セリはすぐに扉を開けてくれた。

 「終わった?」

 「うん、終わった。先輩、よろしくって」

 「うん」

 「セリちゃん、先輩が梯子で下りるって最初から知ってた?」

 「いや」

 ことば少なに言って、セリは顔を上げる。

 「でも、前から一回は梯子で下りたそうにしてたから、もういましかチャンスがないじゃない? だから、やるんじゃないかな、とは思ったんだ」

 「ああ」

 暁美あけみは扉の外で、セリは扉の内側で。

 暁美が扉を腕で押し開けたまま、向かい合っている。

 「セリちゃん、わたしに見えてなかった先輩のいろんなところ、見えてたんだ」

 「それはそうだよ」

 あまり愉快そうではなく、セリはぽつんと言う。

 「だって、わたし、先輩が好きだったんだもの。それはそうだよ。じゃなかったら、惑星の並び順も知らないのに天文部には入らないって。だからさ、去年の冬ごろまでは、じゃまもののあんたを追い出そうっていろんなことやった」

 子どものように得意そうに言って、首をくるっと傾げる。

 かわいらしい。

 少なくとも、その表情は、言っていることとはずいぶん差がある。

 「あんたにわざときつい言いかたもしたし、それとさ、あんたがグミ先輩としゃべる前にわたしが割りこんでさ、グミ先輩との会話をぜんぶ独占しようとした。あんたってさ、しゃべり出すまでに時間がかかるから、かんたんだった。でもさ、ぜんぜん効かないんだよ、それが」

 いまはとても楽しそうだ。

 だから、暁美もその楽しさにつきあっていいという気分になる。

 「アケビってさ、きつい言いかたしても、理屈で言い返してくるからさ、こっちも、うーん、って考えるじゃない? そしたら普通の会話になっちゃう。それに、アケビってさ、わたしが懸命にグミ先輩としゃべってると、そうやってしゃべってるグミ先輩を一人でぽーって見てるんだよ。そして、グミ先輩も、そのアケビのほうをときどき優しく見てるんだ。で、聞いてないかと思うとさ、わたしがボケたことを言うと突っこんでくるし。わたしばっかり力使って、ただの引き立て役? 損をした、って感じじゃない、それって」

 そんなことを言われても、困る。

 それはセリの自業自得なのだし、それに、去年の冬あたりまで、セリの暁美へのきついものの言いかたは、たしかに暁美にはこたえたのだ。

 なんでそんな言いかたをしていたか、いままでわからなかった。ただ、セリはだれに対してでもああいう言いかたをするんだと思っていただけだ。

 「それでさ」

 セリは、一つ息をついて、少し低いめの声で、つづけた。

 「冬休みごろになってふと気がついた。わたし、グミ先輩より、アケビ、あんたが好きなんだって」

 「はいっ?」

 自分がそんな天に突き抜けるような声を出すとは、暁美はこれまで思っていなかった。

 でも、それはやっぱり自分の声なんだろう。

 「ちょっ……! えっ。えっ? えっ? えっなんでそうなるわけっ?」

 グミ先輩が自分の知らないところを最後まで持っていたように、自分にも自分の知らないところがたくさんある。

 暁美はそのことにいま納得が行った。

 それを教えてくれたのは、だれだったろう?

 「いやあ……」

 セリは弱く笑った。

 「好きになった、っていうのに、なんで、って言われても、困るんだよね」

 セリが軽く言って、息をつく。

 「でも、いま、失恋したのかな、って思う。だって、アケビはグミ先輩が好きって、いま、よくわかったから」

 「違うよ」

 暁美は言った。

 「好きだった。でも、それは終わったから。ついさっきだけど、終わったから」

 セリに、手を差し出す。

 いままで、おとなしい暁美に手を差し出すのはセリの役割だった。でも、いまは違う。

 「それで、これからが始まり。よろしくね、セリ」

 言って、グミ先輩がやったように、首を軽く傾げて見せる。

 「だからさぁ」

 セリは、照れた。

 「いまさらよろしくって言っても、その、さ」

 でも、セリはその暁美の手に自分の手を伸ばして、軽く、握った。

 少し冷たい、そして少し硬い、でも暁美にはとてもなじんだ手だった。

 舞台に導き出すように、暁美はセリの手を引っ張り上げる。

 観客は、八億キロ向こうの、ジュピターの神様――。

 外の明かりに照らされて、セリの顔にはまだ涙の痕が残り、制服の胸のところが湿っているのがわかった。

 何も言わなかった。

 さっき、グミ先輩を最後に抱きしめたその腕で、暁美はセリの痩せた体を引き寄せ、抱いた。

 ――今度は、やさしく。

 そっと。

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